Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

Paradox Interactive, Crusaderkings2, AAR

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 北畿内の大大名、伊勢義晃
 9代目伊勢家当主だがinfirm持ち

わしはすでに老いた。
なんとか見かけは常のように保っていられるが、心中は死への恐れと悔悟ではちきれんばかりだ。伊勢家の家督を継ぐようこのわたしを選んでくれた家中の皆にはすまぬことだが、わしはその任を果たすことができずにおる。
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 義晃は5代目貞頼の孫、7代目義詮の甥にあたる
 継承が貞頼流に戻った

くじびきで選ばれた先代貞材から本家筋に戻すということで選ばれたのだが、わしは虚弱で、臆病な男だ。寝床に伏しておって、いかにして公儀のために尽くすことができよう。
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 愛宕の国人、足利昭義
 かつての堀越公方政知の末裔だが、御所が伊勢の員弁郡に移ってからは都を任された

わしの功とされるものはほぼすべて足利昭義の助けによるものだ。彼は先代から祐筆を務め、伊勢家領をよく保ち、わが名代として各地の大大名と渡り合い、将棋を通じて多くの友人を作った。彼を愛さないものがあろうか?

ある日、わしは寝床に足利昭義を呼びよせた。
「わが命、もはや永くはない。一族の中から家督を継ぐ者を選んでおきたいが、それぞれに会うだけの気力もすでにない。どうすればよいと思う?」
彼はゆっくりとうなずき、こう言った。
「すでに選んであります」
わしは思わず笑ってしもうた。
「手回しのよいことだな」
「伊勢家に何年お仕えしているとお思いですか? その間あまたの伊勢家の若君たちを見てまいりました。家督を継ぐべき、これという人物がおります」
「教えよ」
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「先の当主、8代目『くじびき貞材』の息子です。名は親信。天の才を授けられております」
聞き覚えがある。
たしか先代からよろしく頼むと言われておったような……。しかしわしの記憶は曖昧模糊とし、定かではない。
 
「おまえがそう言うならそうなのだろう。では彼を世継ぎとしよう。さしあたり摂津守護に任じるというのはどうか」
「よろしいかと。あなたも摂津守護職から始めて家督を継がれた。前例になります」
「わしが死んでからでは遅い。さっそく親信を召し出して引き継ぎをしてくれ」
「仰せのままに」

それからというもの、わしは安心し長い夢うつつの時を過ごした。公方の足利勝頼が諸大名に蝦夷地遠征を命じたらしいが、遠い国の出来事のように感じられた。
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 将軍が号したものの、実際には伊達軍が主体となって行われた蝦夷地遠征
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 関東の大大名 上杉直義(扇ヶ谷系)
 すでに公儀に服している

3年続いていた上杉直義との領地争いが決着したのもこの頃だ。
わが祐筆の足利昭義が出陣し、世継ぎの伊勢親信の初陣となった。関東全域が戦場となったが、武蔵、相模、上野、上総の国人が伊勢氏に恭順を誓い、上杉氏は甲斐、下総、陸奥に退いたと聞く。

すでに公儀が日ノ本を制することは目に見えていた。
大大名たちは「その後」を見据え、領国の確保にやっきになっておった。
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 1651年5月、伊勢家は関八州をほぼ押さえた
 大大名畠山氏は北陸から信越を確保 
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関八州を制したと思いきや、その8月にまたしても武蔵の余瀬秀盛が上杉家のもとに走った。先代のときから数えてこれで何度目であろうか。わしはもはやその数を覚えてはおらぬ。
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 またまたまた武蔵国が上杉氏の領地に戻った
 もう知らない
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余瀬秀盛はまだ幼少につき、後見人である頼伝尼ほか武蔵の国人と上杉家のきずながかくも深いということであろうか。武蔵はあきらめたほうがいいのかも知れぬ……。

親信が語る
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 摂津守護 伊勢親信
 8代目『くじびき貞材』の息子

あの日、わたしは急に都の今出川邸に呼ばれた。
一族の招集があったのだ。そこにいたのは伊勢家の祐筆足利昭義で、彼は静かにこう話した。
「義晃様が倒れられた。息はおありになるが、前後もわからぬ御様子だ」
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 ついに義晃にIncapableがついてしまった

「義晃様が言い残した通り、貞材様の御次男であられる親信様が伊勢家の家督を継がれる。異存ある方はおられるか」
そこにいる全ての者がわたしを見た。
ついにこの時が来たのか。すでに先代の務めの一部を果たしてはいたが、まだ心の準備ができていない。体の芯からくる震えが止まらなかった。
「おられないようですな。では以後そのように。本日より親信様がこの今出川邸に移られる」
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 1654年10月、伊勢義晃死す

義晃様はそれから3年生きた。
そして何もおっしゃることなく身罷られ、このわたしが正式に伊勢家当主となった。
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 10代目伊勢親信
 4代貞雅流に家督が戻った
 4,5,7,8,9,10代と貞頼流と交互に継承したことになる
 摂津守護職は兄の伊勢信孝へ渡った
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家督を継ぐのと時を同じくして、わたしは大和国の十市氏からこずえ姫を迎えた。大大名である伊勢家当主が大和の国人の娘を娶るというのは奇妙に思えるが、十市氏は文武に秀でた有力な一族だ。わたしは彼女から学ぶところが多かった。
 
「あなたはとても優れたお方。公方様を支え、この日ノ本の礎となられる方。きっとあなたはこのいくさ世を終わらせ、民が安んじて暮らせる国をお作りになるでしょう」

こずえの言葉はまことだった。
ほどなくわたしは公方様の命により、本邦最後のいくさに出かけることになったのだ。
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そのころ羽後国には針生氏が陣取っていた。針生氏はかつて伊達氏のもとにあったが独立し、公方様の支配を退けようとしていた。その心意気は買うが、兵数は1000にも及ばぬ。
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 針生親胤
 日ノ本最後の独立大名

「これで最後です、親信様。できれば血を流さずに終わりたいものです」
祐筆の足利昭義がそう言った。
「確かにそうだな」
わたしは何度も使者を送り、公儀への恭順をうながした。
しかし親胤はそれに応じることはなかった。ならば仕方ない。わたしは配下の者に催促状を回し、最後の戦いへとおもむいた。

北国の冬は厳しく、また出羽国の山は深く、兵は続々と倒れた。
伏兵を何度も退けながらわたしは軍を進め、親胤の住む秋田へとやってきた。
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 1655年3月15日
 羽後遠征、秋田を包囲中

「寡兵とて侮るな! 敵はこの地をよく知る者ぞ」
わたしが檄を飛ばしたそのとき、茂みからあまたの矢が飛び来たった。
「伏兵だ!」
うろたえた雑兵が次々に倒れていく。
次の矢ぶすまがきて、わたしの周囲に次々と矢が突き立ちーー。
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わたしは生きていた。
わたしをかばって盾となったのは祐筆の足利昭義だった。老いた身空で甲冑をまとい、従軍していたのだ。
 
彼はなにか言おうとして血を吐き、そして死んだ。
昭義がなにを言おうとしていたのか、今でもわたしはそのことをよく考える。
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 1655年12月
 黄色枠内は伊勢親信の領国

いくさは終わった。
羽後の針生氏を従え、わが領地は出羽から肥後・日向にいたるまでに広がった。畠山氏には及ばぬが、公儀第2の大大名として成り上がったわけだが、わたしはほとんど何もしておらぬ。ただ公方様に忠義を尽くし、山城国のたった3つの郡から始めて、奮闘に奮闘を重ねた祖先たちのおかげだ。
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 1656年3月
 蝦夷地の一部をのぞき、足利幕府が日ノ本を統一

しかしわたしにはわかっている。
これから大大名たちの日ノ本をめぐる静かな争いが始まるのを。
この争いに勝つことはできるだろうか。わからぬ。しかし戦い続けるほかはないだろう。それがもののふの務めなれば。

(終)
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  大大名伊勢親信
 最終的に直轄領10、36000の兵を保有するに至った
 
付)大大名たち
畠山景道
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内紛はあったものの、序盤から終盤まで足利幕府に属し続けた畠山氏。幕府領は一時畿内近国だけになるくらい縮小したが、畠山氏の下支えによって復活したといっても過言ではない。終了時には南畿内から北陸東海信越を抑える幕府随一の大大名となった。伊勢家とはよく通婚している。

六角彰良
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同じく足利幕府に属し続けた六角氏。
畠山氏と違って近江から出ることができない時期が続いたが、16世紀終わりごろに細川領を奪うことによって瀬戸内の東半分を抑える大大名となった。山城と三河をつなぎたい伊勢家にとっては目の上のたんこぶだった。
 
武田頼景
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周防武田氏。
17世紀初めの幕府の大内攻めの際、大内勢から幕府側に寝返ったものと思われる。周防を中心に西中国と豊前、肥前を抑える。あまり伊勢家と関わりはなかった。

大内照
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かつての西日本の覇者。
16世紀ごろ山陽山陰九州に覇を唱えたが、17世紀になって幕府に攻められ没落。経緯は不明ながら現在は備前、因幡、但馬、土佐に領地を持つ。細川領を食って生き延びたのかもしれない。

将軍足利勝頼
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序盤から終盤まで直轄領は少なかったが、畠山、伊勢、六角の助けによって全国統一を果たした。16世紀半ばのごたごたで都を去り、鈴鹿山麓の員弁(いなべ)郡に御所を置いて以来そのままである。全国に散らばる8郡を支配している。幕府は実質的に大大名の連合政権であり、足利家に実権はなさそう。

上杉直義
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王国級称号を3つも持っている東日本の元覇者。
扇ヶ谷上杉系。武蔵を中心に関東に隠然たる勢力を有している。その他、会津、陸中、津軽に領地を持つ。強い。

伊達綱孝
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蝦夷地征服者。
詳細は不明ながら旧領を中心に陸奥で勢力を蓄え、その後上杉氏に従属していた。出羽・陸中を失ったかわりに蝦夷地へ伸びた。幕府の蝦夷地征服はほぼ伊達の軍勢によるもの。

内戦を終わらせる
バクトリアの使者は夜に昼を継いで馬を走らせた。
宿駅ごとに馬を換え、砂漠を越え、アレクサンドレイア・マルギアナ、ヘカトンピュロス、エクバタナ、そしてセレウケイアへ。

このとき使者は16000スタディオンをわずか10日で走破したという。
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 セレウコス家のゴタルゼス
 セレウコス・ニカトルから数えて4代目

セレウケイアで使者を迎えたのはゴタルゼス王だった。バクトリアの尚書長プトレマイオスの手紙を読むと、ゴタルゼスはこう言った。

「大風にゆれる糸杉の樹を大地がしっかり支えるように、友邦が危機に瀕しているとき、援軍を出さない王がいるだろうか。よかろう、すぐに兵20000を派遣しよう」
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 前221年10月11日
 セレウコス朝の援軍で戦況が変わりはじめた

さらに尚書長プトレマイオスはバクトリア西部を侵していたピッスロイ人にも信書を送った。

ピッスロイ人はマルギアナの過半を占領していたものの、全域を掌握することができず手詰まりの状態にあった。陣営に病が流行りはじめたこともあり、彼らは和平に同意した。
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 ピッスロイ人と白紙和平
 残るは反乱軍だけだ
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 ソフュテス2世率いる瀕死の第1軍
 人的資源が回復しないため
 定数26000のところ7500しか充足していない

バクトリア軍の戦い方も変えた。
反乱軍主力と決戦して勝利しても、敵部隊にコホルスが残る限りは占領地から兵士が補充されているのでは? そこで反乱軍の占領地を逆占領してゆき、敵の補充戦力を削ぐことに力を注いだ。

主力27000を3個軍に分け、それに加えてなけなしの400タラントンを支払ってソグド人傭兵17000を編成する。とにかく反乱軍主力と当たらないようにして占領地を取り返していくのだ。
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こうしてセレウコス暦92年の初めには、反乱軍が支配する地域はソグディアナの一部にまで縮小した。そして4月、反乱は一応の終息をみたのである。
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「わたしはまだ納得していない!」

内戦は終わったものの、反乱を引き起こしたソフュテス2世の姉テオドテはまだその私兵23000を有したままだった。
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 重装歩兵9500を中核とするなかなか強力な軍だ

テオドテはカウカーソス山脈のかなたアラコシアに陣取り、ソフュテス2世に不満を持つ将軍や太守たちと連絡を取り続けていた。

「弟ソフュテスではなく、わたしこそがバクトリアの王位にふさわしい。どうかわたしを助けると思って再び兵を挙げてほしい」
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 またまた内戦の危機
 全軍の33%超が不忠な将軍(ここではテオドテ)に率いられているため

ソフュテス2世は心底うんざりしていた。
姉はどこまで自分を振り回せば気がすむのか? バクトリアにもう一度の内戦を戦う体力はない。であれば、取り得る方法は1つだ。

「600タラントンを支払って、彼女の軍団の古参兵たちを帰順せしめよ。姉とはもう戦いたくない。すべては金で解決だ」
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 金で解決した結果、テオドテに従うのはたった3個大隊となった

「裏切り者どもめ!」
テオドテは怒り狂ったが、どうしようもない。
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ソフュテス2世は笑みを浮かべてこう言った。
「姉の名において神々に牛を捧げよ。和解のために宴をひらけ。ソフュテス家の者は手に手を携えてやってゆかねばならないのだ」

この宴にテオドテが参加したかどうかは知られていない。たぶん参加しなかっただろう。その後テオドテは都に邸宅を与えられ、75歳まで長生きした。
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 かつては7つの交易路を誇ったバクトラの都
 いまはたった2つだけ

さて、内戦の傷痕は深かった。
半数の州がその忠誠を失い、税も交易収入もバクトラの都に届かなくなっていた。そのバクトラもいまは戦火に焼かれて住民の1/4を失ってしまった。
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 タクシラ州とアラコシア州に至っては1%台の忠誠度を記録
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 Aggressive Expansion値の減少が急務だ

忠誠を失った州には非ギリシア人が多いという特徴があった。今回の内戦だけではなく、先のマウリヤ朝戦役で国土を急激に拡大したことに対する異民族の不満が尾を引いていたのである。

ソフュテス2世は各州に自由を与えて不満を抑えるとともに、太守にはできるだけ現地の人間を任命した。またさまざまな施策を講じて諸民族の要求に答えた。
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 新都アレクサンドレイア・オクシアナ
 バクトラが占領されると自動的に遷都された

そして遷都も行われた。
オクソス河上流の王国第2の都市、アレクサンドレイア・オクシアナに宮廷を移したのである。ここは戦火からもっとも早く復興した都市のひとつで、その美しさから『月の姫君』と呼ばれた。
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また人口の多い町を選んで市場を整備し、それらを街道で結ぶ計画を立てた。幹線として北方のキュロポリスからマラカンダ、バクトラを経てカウカーソス山脈をカラクで越える。ここからインダス河谷まで山道をゆき、タキシラでマウリヤ朝の『大幹道』に接続する。
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 Civic Advancesが6を超えたので道路建設が可能に
 軍団を選び、build road(赤丸)を押す
 この状態で隣の都市へ移動させる(ユニットがスコップを持った絵になる)と建設開始

こうしてバクトリアはゆるやかに復興し、交易路はにぎわいはじめ、人々は少しずつ豊かになっていった。ソフュテス2世は74歳まで生き、長男のアマンタス2世が後を継いだ。
 
コッシオイ戦役
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 レウコネス家のアリストクレイア
 アマンタス2世の妃

「メガステネス、ペルシス戦線での食糧は足りていますか? 馬の飼料は? よろしい。燕麦の補給を切らさないように! それでは明日、セレウコス朝の使者と会います」

戦時中とあってアレクサンドレイア・オクシアナの王宮からはごっそりと男が姿を消していた。かわりに活発に動いているのが女たちだ。なかでもアリストクレイアは妃として王国を託され、その責務を十二分に果たしていた。

アリストクレイアはもともと武勇に秀で、父親にも「男子であったなら」と嘆かせたほどの女だ。後方の治安を守るのも補充兵を前線へ送るのも見事にやりとげて、夫の戦役をよく支えた。
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戦役というのはほかでもない。セレウコス暦127年にはじまったコッシオイ戦役のことで、コッシオイとパラエタケネ、それにアトロパテネの3国がセレウコス朝に戦をしかけてきた。当然、バクトリアもペルシスへ援軍を送ることが期待される。
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 セレウコス朝の王アンティオコス2世が救援を求めている
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だが気をつけなければいけない。
東方の雄マウリヤ朝の内戦はすでに終わり、強大な統一国家がインドに再出現していた。その軍の総数、24万。

本国の兵を引き抜きすぎて、突然の2正面作戦を強いられることになってはまずい。
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さらにもうひとつの心配事が北東にあった。
『月の民』の勃興と移住である。
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聞くところによるとセリカの北方にあったこの遊牧部族は、近年西方へ移動し、砂漠沿いのオアシス諸都市を掌握していた。さらに彼らはイマオン山を越えてバクトリア領にも移住してきていた。

バクトリアは国境を閉鎖しこれを武力でせきとめることもできたが、あえての定住を許した。兵を使うと辺境が動揺するのがわかっていたからである。
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『月の民』の移住は再三、再四に及び、すでにフェルガナ地方の部族民の1/3が『月の民』となってしまっていた。いまのところは何事も起きてはいないが、不穏な情勢である。

こういったわけで本国にある程度の軍を置いて睨みをきかせつつ、遠征軍を編成しなければいけない。悩ましいところだ。
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「全軍を率いてさっさと戦役を終わらせるほうがいいのではないか」
実のところアマンタス2世はそう思っていたが、妃にいさめられた。
 
「戦役がいつまで続くか知れたものではありません。後方に軍を残しておくのが筋というものです」
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結局アマンタス2世は全軍の2/3にあたる70000をペルシスに送ることを決め、みずから軍を率いた。出立は華々しくおこなわれた。人々は軍勢を見るために詰めかけ、都の道々には花がまかれたという。

さて戦役は20余年におよび、そのあいだには輝かしい勝利も、悲惨な敗北もあった。
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 前163年3月16日
 バビロンの北方シャフラバンの決戦で
 アマンタス2世は決定的な勝利をおさめた

王妃アリストクレイアは戦役のあいだずっとバクトリアを統治した。特に力を入れたのは交易で、セリカやインド、バビロンへつづく街道はよく整備され、隊商宿がさかんに建設された。そしてこの時代ついに交易収入が税収を越えている。
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 積極的に国外から輸入を行い、資源を国内に蓄積
 同盟国などからの輸出要請を待ち、
 結果としてきわめて多数の輸出ボーナスを得る
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 月額80タラントンの交易収入
 軍維持費52タラントンをおぎなって余りある
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セレウコス暦151年にコッシオイ戦役は終わり、アンティオコス2世は中部の国土を大きく回復した。首都セレウケイアでは盛大な凱旋式が催され、それにはアマンタス2世も参加した。

バクトリアは寸土も得ることのない戦役だったが、兄弟国が安定するのは何よりも望ましいことだ。なにより両国は東方にマウリヤ朝という巨大な敵国を抱えているのだから……。
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セレウコス暦159年、病の床にあったアマンタス2世は安らかに息を引き取り、息子のフィロクセノスがバクトリア王に即位した。王妃アリストクレイアは息子を強固に支持し、目立った継承の危機を起こさせなかった。

バクトリアは順風満帆。
新しい王のもとでなんでもできるという気概に満ちていた。


次回、バクトリアの末裔たち 4

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