Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

Paradox Interactive, Crusaderkings2, AAR

 1615年1月18日
 巨摩郡の決戦
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 甲斐国をめぐる幕府と扇谷上杉氏との戦争
 越後上杉氏は衰亡してしまっている

そのころ、東国での戦役は大詰めを迎えていた。
公儀の軍勢は甲斐国巨摩郡で上杉軍を破り、甲斐は公儀のものとなった。
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いくさの怪我で伏せっておられた公方盛政様がなくなられ、長子の孝容様が還俗して公方になられたのもこの時期だ。
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 依然、六角氏の動員力は大きい
 緑色は伊勢氏の動員

戦役を終えて京の都に帰ってくると、なにやらさわがしい。それというのも近江守護の六角殿が西国征伐を命じられ、その軍勢の出立のさなかであったためだ。

そう……六角殿もまた公儀の覚えめでたく、大兵力を擁する大身だ。わたしがかねてより考えていた北畿内の征服にあたっては十分に注意せねばならぬ相手だ。

しかし六角殿は西国へ向かう途上、病を得て急死してしまった。残されたのはいまだ幼少の六角昭義だけだ。これを好機とみて、わたしは娘のゆみを昭義殿に嫁がせることにした。
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 六角昭義と伊勢ゆみの婚約、同盟

こうなれば、しぜん北畿内におけるわたしの矛先は絞られてくる。若狭武田氏だ。
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武田氏は長年公方様の忠実な臣下で、これを討つことには危うさもある。しかしいま公儀は西国征伐でてんてこまいだ。誰も異を唱えるものもなく、わたしは遠敷郡をわがものにすることができた。
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数年後、2度目の若狭合戦でわたしは丹波国何鹿郡を編入し、この方面での伊勢氏の勢力を確固たるものとした。若狭で得た領地は息子の貞満と貞政に与えた。 
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元和4年、公儀は大内氏を敗退させ、山陽山陰の大部分を回収した。
わたしは西国征伐にはまったく関わっていなかったものの(それどころか私戦にかまけていた)、公方様の覚えは依然めでたく、幕臣として、また畿内をおさえる有力な守護として伺候しつづけていた。
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 有力家臣3位につける
 1位は泣く子も黙る畠山殿、
 2位は管領伊勢貞持(所領は1郡のみだが本家に家格で勝る)

それでもいささかの後ろめたさがあって、わたしは来たる細川征伐には参加することにした。
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 かつて畿内に覇を唱えた細川殿も
 いまや四国のみの勢力となってしまった
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 讃岐合戦

元和6年7月、わたしは兵20000を率いて讃岐へわたり、これを制圧した。当地の国人らは城を包囲されると我先にとこちらへ降ってきたので、楽ないくさだった。
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 1623年の伊勢家所領
 狙っていた淡路と阿波は六角氏に取られてしまった
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寛永7年には伊予合戦をこなし、わたしは細川殿から伊予国を奪った。同盟相手の六角昭義殿はこの戦役に前後して播磨、備前、美作を抑えたようだ。なかなかやる。
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 老境にさしかかった義詮と妻たから
 義詮は作庭家などさまざまな属性を帯びている
 管理値を地味に上げてきたので直轄領8に耐えられるようになった 

たからよ、聞いてくれ。
このころからいくさに出るのがつらくなってきたのだ。
馬に乗るのがつらい。刀をふるのがつらい。若いころはあんなに楽しかった遠乗りもいまや苦行だ。

わたしは老いつつあった。
そろそろ継承のことと向き合わねばならない。
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わたしは伊勢貞義に家督を譲る意向を固めていた。
彼は先の管領、伊勢貞純の子だ。彼にはわが娘むつみを娶せ、盤石の体制だと思っていた。管領家と山城伊勢家をつなぐ一助になれば……。

だが貞義はわたしより先に死んでしまった!
すでに60を越していたのだ、なにも不思議はない。だがわたしの計画は大きく狂ってしまった。
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 祐筆足利昭義
 先代に続き、義詮の無二の友人でもあった

「家中の意見を聞いてみてはどうでしょう」

わが祐筆昭義の意見をいれて、わたしは伊勢家の目立った者を京の都に招集することにした。

「義詮殿の息子、貞満殿が家を継ぐにふさわしい!」
「いやそれなら貞政殿だ!」
 
議論は紛糾してしまい、結論が出ない。
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 軍目付、鳳至郡の伊勢義敦
 伊豆伊勢家の当主としてよく本家を支えた
 
「ええい、こうなってはくじで決めようではないか。神慮はくじにこそ現れるというぞ」
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そこで集った全員がくじを引いたところ、伊勢貞材という男に当たりが出た。貞材は4代目貞雅の孫にあたる者だが知る者とてない。親の貞詮とともに摂津で暮らしてきたようだ。

みな一様に押し黙ってしまったが、決まったものはしかたない。次代は貞材でいくということに決まった。はたして大丈夫だろうか……。
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たからよ、近ごろ寺によく通うようになったのはそなたの勧めがあってのことだ。老い先短くなって、おのれの罪業を償いたいという願いにとらわれるようになった。

しかし生来の冷笑癖がたたって仏門での昇進は望めないと告げられた。しかしそれでも構わぬ。心の平安を得られるのならば。

8郡を継ぎ、西に東にと駆け回り、子をたくさん育て、公方様に仕えつづけた。思えば長いようで短い一生であった。

たからよ、そなたがつねにそばで助けとなってくれればこそ、わたしはこれまでやってこれたのだ。深く礼を言うぞ。これでわたしの話は終わり、あとは武士らしく潔くくたばるだけだ。
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 義詮、69歳で死亡
 残念ながら北畿内王位を得ることはできなかったが、
 若狭の大部分と讃岐、伊予を得た
 継承は予定通り貞材に


次回、貞材が語る

 義詮の妻たから
 紀州の国人湯川氏の出

たからよ。
そなたは美しい。若いうちは、そなたの美しさゆえにわたしは閨に通いつめ、そして多くの息子たち、娘たちに恵まれた。しかしこの歳になってわかる。そなたのまことの美質は足るを知るところにある。ついぞわたしの持ち合わせない徳であった。

これから話すことどもをよく記憶しておいてくれ。
これがそなたを娶った男の半生だ。
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 山城国・三河国守護、伊勢義詮
 伊勢貞頼の4男

天正20年、わたしは伊勢家の家督と8郡を継いだ。
先代光喜は伊豆伊勢家から出たが、わたしの代で山城伊勢家に継承が戻ったことになる。

犬追物、流鏑馬、巻狩……。
幼いときからわたしは武芸では誰にも負けなかった。
しかし『武に優れるも家政が弱い』とはよく言われたことで、自覚はしていたが、わたしには多くの郡を知行することがとても難しかった。せいぜい4郡の限りだ。

しかし、ひとつたりと郡を手放すわけにはいかない。公方様に仕える山城番衆12000の兵力は8つの郡あってこそなのだ。だがこのまま8郡を領していては、わたしは心労で病んでしまうだろう。どうすればいいのか。
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「法をあらためてはどうか」

わが祐筆、足利義量が助け舟を出してくれた。
義量いわく、法をあらため吏僚を増やして段銭をきちんと徴収していくことで、6郡までは無理なく治めることができるという。そこでわたしはこの案を評定にかけることにした。
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 集権化をLowに進め、直轄地制限を+2と緩めることに成功

義量の主導でこの案は評定を通った。義量、ありがとう。
6郡ではまだ足りないところがあるが……6郡も8郡も似たようなものだ、このまま耐えることにした。
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文禄3年、畠山殿(当時のわが主君だ)と六角殿のいくさがあり、双方1万数千の兵を繰り出す大騒ぎになっていた。畠山殿は伊勢家の軍勢を催促してきたが、わたしはそれに応えなかった。

ひとつには、わたしは畠山殿ではなく公方様の臣であるという心持ちがあったし、もうひとつには私事でいくさを構えようとしていたからだ。
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同年、細川殿の領国である播磨、備前、美作で一揆が起こり、細川殿は危機におちいっていた。一揆の領域は四国と丹波・丹後を分断し、丹波には兵がいない。これを好機と兵を挙げ、3年かけて丹波を攻略した。

これでわたしは山城、摂津、三河に合わせて丹波をも領することになった。押しも押されぬ大身だ。
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覚えているか、長女すみれを公方盛政様の孫足利長就の嫁にと乞われたのはこのころだったな。誇らしいことだった。代々公方様にお仕えしてきた甲斐あったというものだ。

公方盛政様は伊勢国員弁(いなべ)に御所を置き、ここから守護たちを指揮しておられた。わたしは祐筆である足利義和を員弁に派遣し、つねに公方様と密な連絡をとるようにしていた。
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 17代将軍足利盛政
 外交改善x3で+60opinionを突破
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 盛政は義材の孫、稙義の長男にあたる

ある日、わたしは公方様に便りをしたためた。
そこにはひとつの願いを書いた。
畠山殿の支配を離れて、公方様の直臣にしてはもらえまいかというのだ。
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 幕府内最大の勢力、畠山重稙
 幼少の身でも21000の兵力を擁する

何代にもわたって畠山殿の臣下に甘んじてきたが、本来伊勢家は幕臣である。伊勢家の力がこれまでになく育ち、当代の畠山殿が幼少である今このときこそ、好機であるとわたしは考えていた。
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 +60opinionの条件を満たしたので
 betrayコマンドで将軍の直臣に

公方様からの返信がきた。
そこには「許す」と書かれてあった。

ついにこの時がきた。
さらば、畠山殿!
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そうしてわたしは公方様の直臣となった。
伊勢家代々の職である政所執事職をも望んでいたのだが、さすがにそれは許されなかった。しかし御供衆代表として御前沙汰に出られるよう取り計らっていただいた。公方様には感謝の念のほかはない。
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 1598年、伊勢義詮の領国
 ついに畠山殿から独立した
 山城、摂津、丹波、三河、鈴鹿郡を領する大名に
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 1599年の西国
 衰退する細川氏
 大内氏と幕府の一騎打ちの様相を呈してきた
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 東国
 覇権を握った上杉氏とそれに臣従する伊達氏

例の事件
うん?
ああ……その通りだ。
あれは不名誉な事件だったな。
いや、そんな言い方はないだろう。

それでは言わせてもらうが、わたしに私利私欲はなかったのだ。純粋に伊勢家を強めるためにしたことだ。
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 実権を持たない『管領』伊勢貞純
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 山城伊勢家は大きく貞雅流(管領家・越中守護家)と
 貞頼流(山城守護家)に別れる
 この二つを統合したい

当時、伊勢家中では家督を伊勢貞純が継ぐということになっていたのだ。彼はわたしの従兄弟にあたる。実権を持たぬとはいえ管領位にあったし、その人望も篤かった。
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しかし遠い親族の伊勢盛澄という若者があらわれて事情は変わった。その優れた武をもって家中の票をさらった盛澄は、貞純を蹴落とし一躍わが後継者の座に躍り出た。
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必要なことだったのだ。
あの日、盛澄はわたしとともに櫓の上にいた。領国の話をしていた。
「すまぬが、これからいろいろと迷惑をかけることになる」
わたしが手を伸ばすと盛澄はにっこり笑って手を差し出した。しかしわたしはそのまま彼を押し出し、櫓から落とした。必要なことだったのだ……。
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 盛澄暗殺に成功
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だがそれを見ていた大工がいたらしい。
わたしの評判は地に落ち、親族殺しの汚名をかぶることになった。
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あろうことか悪評は伊勢貞純にまで及び、彼もまた家中の支持を大きく失った。これではなんのためにわたしが手を汚したのかわからないではないか……!

いや、みなまで言うな。
わかっておる、わたしが愚かだったことは。
継承など思うままにならぬものだ。無理に手を加えようとするとこういうことになる。このことは次代に申し伝えておくべきことだ。
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たからよ、あのときは迷惑をかけたな。
そなたがわたしを一心に助けてくれたことはよく覚えておる。われわれの結婚は愛から始まったものではなかったが、いまわたしはそなたをとても大切に思っておる。それだけは言っておきたい。
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 側室を手放す
 正室への愛ゆえか、うしろめたさゆえか  
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 子供たちもしだいに育ってきた
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慶長8年、わたしは一冊の書を上梓した。
内容はかねてより関心があった暗殺の技術についてだ。
わたしはこの書を「影剣秘要」と名付けた。

親族殺しの伊勢義詮が書いたとあって評判は上々。
人生とは皮肉なものだ。そう思わぬか?

野望
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 北畿内:伊勢氏、六角氏、武田氏の鼎立状態
 南畿内:畠山氏の独占
 王国級称号の北畿内王号はまだ空席だ

そのころわたしには新しい野望があった。
北畿内を制したいという野望だ。南畿内はすでに畠山殿が抑えてしまったが、まだ北畿内は群雄割拠。畠山殿に対抗するためにも、ここを手早く支配したい。

そのためには公儀のうちでいくさを起こす必要があるし、若狭の武田殿と近江の六角殿が邪魔になる。それに畠山殿がどう動くかも計算に入れておかねばなるまい。

公方様はあまりいい顔をなさらなかった。それはそうだろう、彼にしてみればすべての戦力を東国征伐に向けてそろえている最中だ。御前沙汰に出せるような話ではない。しかしわたしはこの望みを忘れず、ずっと温めていた。
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慶長12年、公方盛政様は関東へ出兵するも敗北。
しかも負傷してしまわれた。
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代わって公儀の先頭に立たれたのは御台所のちょう様だ。わたしはちょう様のために骨を折ったことがあったので関係は悪くない。つづく評定でもわたしは彼女の味方をし、将軍家をもり立てた。

地盤の弱いちょう様にとって畠山殿の対立者たる伊勢家の勢力が増すことは好都合と見えて、彼女はさまざまな恩義を計ってくれた。
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 ついに位階を得る

そうしてわたしは念願の従五位下を得た!
雌伏110年、ようやく幕臣としてまた守護としてこの地位に返り咲いたのだ。また伊勢家が故実を旨とすることから、式部少輔の官職を得ることができた。これは大きな喜びだ。

かくなる上は、残る望みは北畿内の支配だけだ。
わたしは静かに状況を観察し、持てる力と知恵のすべてをこの望みにむけて注ぎ込んでいった。
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