Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

Paradox Interactive, Crusaderkings2, AAR

このいぶせき屋敷によく来てくれた。
紙と墨の用意はよいかな?
それではわたしの物語を語るとしよう。
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わが名は貞陸(さだみち)。
伊勢家の貞陸といえば知る者もいるだろう。
政所執事貞宗の子であり、わたしもまた、かつては山城国守護にして政所執事であった。公方様の右に座し、室町の御所からあまたの下知を発したものだ。

「かつては」?
そう、いまやわたしは葛野、紀伊、乙訓の3郡を治める北山城の守護代にすぎない。なぜこうなってしまったのか。それには少し長い話が必要になる。

明応2年、わたしは政所執事として日野富子殿、管領の細川殿とともに義澄様を補佐する立場にあった。義澄様はこの年に公方になられたばかりで、まだお若い。
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 11代足利将軍 義澄
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 1493年、細川政元、伊勢貞陸らは足利義視の子義材を放逐し、
 義政の次子義澄を公方に据えた

「貞陸、よろしく頼むぞ」
幼い声でそのように仰せになったとき、わたしは「このお方をなんとしてもお守りせねば……」と思ったのだ。
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 1493年、足利幕府

公儀は勢力を減じたとはいえ、いまだ畿内と南海道を抑えている。しかしその実態はお寒いものだ。都のある山城国愛宕郡のみが公方様の持ち物で、あとはすべて管領や守護が領している。
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 管領、細川政元
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 その領国

なかでも最大の版図をほこるのが管領である細川殿の領国だ。
細川殿は摂津、丹波、淡路、阿波、讃岐を抑えている。公方様の御意向は細川殿の御意向であり、公儀は彼によって動いているといっても過言ではない。
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 河内守護、畠山義豊
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 その領国
 紀伊北部・越中は彼のライバル尚順の領地

もう一方の雄、畠山義豊は河内、大和、南山城、南紀伊を抑える。父の代からの宿敵、畠山義就の子尚順とは河内の支配をめぐって鋭く対立しており、畠山氏の内紛は終わる気配を見せない。しかし強力な大名であることに変わりはなく、その威光は五畿内を覆わんとしている。

実質的に公儀はこの細川殿と畠山殿の両輪で走り続けており、いずれが欠けても成り立たぬ。
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そして公方様の直臣であるわたしは北山城3郡を領し、御所に座する公方様を補佐する任にあった。山城国には御料所が多く、そこから上がる年貢は直接公儀に納められるので、山城国守護はきわめて重要な役目といえる。

しかしわたしの最大の務めは細川殿と畠山殿のあいだに争いが起こらぬようにすることで、公儀の存続はわたしの肩にかかっていたといっても過言ではない。
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しかし、このときすでに寒風が吹きはじめていた。
二人のあいだにはひそやかな敵意が育ちつつあり、意見の衝突をみる機会も増えていた。わたしが催した宴には細川殿も畠山殿も訪れることがなかった。

いまから思い起こしてみれば、このとき細川殿は公儀を支えるという労多くして益少なき務めより、自立の道をさぐっていたのかもしれぬ。
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 評議会権力の強化をはかる六角氏
 自立をはかる管領細川政元 

同じようにして多くの守護たちが公儀の支配を離れていったのをわたしは見てきた。細川殿には管領という大きな名分があったが、もはやそれが大大名の手足を縛る重荷でしかなかったということは十分に考えられる。

また畠山殿は畠山殿で、みずからが保有する南山城にあきたらず、山城国の完全な支配をたくらんでいた。公方様の直臣であるわたしの領地、北山城を併呑しようというのだ。とんでもない話だ。

このように、明応2年という年はすべてを結わえていた紐が切れ、おのおのが思うままに動き始めた年であったといえよう。

わたしは公方様の保護下にあったが、かくなる状況のもとでは自分の身を自分で守らねばならなかった。北山城3郡の被官たちに命じて2700の兵を出すことはできたが、いかにも心細い。
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 大内政弘の領国

そこでわたしは息子の嫁に西国の大大名、大内政弘殿の姫君をもらうことにし、彼と盟約を結んだ。遠国ゆえ頼りにしていいものかどうかわからぬが、なにかの足しにはなるだろうと思ったのだ。
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 なにかあったときの上洛を期待しよう
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 伊豆の同族、伊勢盛時からもかなこ姫を迎え、同盟を結んだ

転落
盟約の価値を試されるときは思ったよりも早くきた。明応5年4月、ついに畠山殿が5800の兵を上げ、京の都に軍を進めたのだ。

御所をはじめ、都の主だった公家・武家の館は畠山軍によって包囲された。わたしはちょうどそのとき今出川邸を留守にしていた。知らせを聞いて、急ぎ兵を集めて西院に陣を敷いた。
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 「わたしが山城国守護となり、都の安寧をつかさどろう」
 公儀の権威が低下し、封臣間の戦争が可能となった

なんということだ!
世が世なら政所執事に刃向かう畠山殿は追捕されていたことだろう。しかし公方様の権威は地に落ちた。そしてわたしは無力だ。
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さっそく大内殿と伊勢新九郎盛時に早馬をとばしたが、二人の返事はなかった。彼らは上洛せず、わたしは見捨てられた。
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戦いは無益だ。さきの戦で苦しんだ京畿の民を、これ以上の戦乱にさらすことは望まぬ。わたしは畠山殿に降伏し、山城国守護職を彼にひきわたすことに同意した。

こうしてわたしは畠山殿の被官となり、政所執事の職も失った。公方様の後見は畠山殿が行うことになった。京の都には畠山軍が進駐し、細川殿の力はあきらかに減じた。
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 山城の支配を実現した畠山義豊
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ただの3郡を統べる領主となったわたしに、畠山殿は家令になるよう命じてきた。わたしにほかに選ぶ道はなく、そのようにした。いまや公儀は畠山殿のものであり、畠山殿のために働くことは公方様のために働くことでもあると思ったからだ。
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 相楽、綴喜2郡の守護代、古市澄胤
 貞陸に命じられ山城国一揆を鎮圧した

「わたしもさまざまな武家の方と茶の湯をともにしてきましたが、どうも貞陸殿とは話が通じませんな」

しかし畠山殿の被官となったことですべてが難しくなった。
たとえば古市澄胤はわたし自身が守護代に任じた人物だが、いまやわたしの同格だ。彼はわたしに対する侮蔑を隠そうともせず、我々はしばしば畠山殿の面前で口論となった。恥をかかされることもあり、また恥をかかせることもあった。

茶の湯に通じた趣味人として個人的に尊敬していた澄胤とこのような関係になってしまったことは、わたしをひどくがっかりさせた。

明応8年、わが長子の貞忠が元服をとりおこない、家中には喜びの声があふれた。しかし正直に言おう、あまり出来のよい息子ではなかった。
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「父上はわたしにご不満のようですが、わたしとて精一杯勉学に励み、弓馬の道に親しんできたつもりです」
「そうか、そうだな……」

わたしは心配だったのだ。
貞忠はこの生き馬の目を抜くような畿内で生き残っていけるのだろうか。公方様に側仕えしていたわたしには、国人たちの抗争はあまりに野蛮に映った。しかしこれが今からわたしと子孫たちの生きてゆく時代であり、道なのだ。

わたしは決意した。
ひとつでも多くの領地を得て、息子のために盤石の体制を整えてやろうと。
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 1499年12月19日、八幡の戦い

同年、たがいに押妨を繰り返していた古市澄胤との関係が決定的にこじれ、わたしは兵を起こした。金を払って山城の国衆2300を味方につけたわたしは戦いを優勢に進め、綴喜郡にある澄胤の城を包囲した。これはいけると思った。綴喜郡をわがものとする好機だ。
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 まさかのRealm peace

しかしこの私戦に畠山殿が口をはさんできた。
「被官同士の戦いは許されない。争いはわたしが仲裁しよう」

余計なことを!
わたしは怒り狂い、古市澄胤との和解の茶席にも出席しなかった。食事も喉を通らなかった。綴喜郡をこの手からとりこぼした衝撃はそれほど大きかった。

わたしは館にこもり、畠山殿のもとへの出仕も拒んだ。公方様からの呼び出しにも答えなかった。怒りはおさまるどころか、しだいに大きくなりつつあった。
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わたしは仏の道に救いを見出した。
比叡山延暦寺を訪れ、開埜師に教えを乞い、法悦にひたった。わが怒りがほどけていくのを感じる……。
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わたしは延暦寺の秘宝の数々を目にした。そのうちの1つである『さりらかの骨』をぜひともわがものにしたいと思ったのはそんなに責められることだろうか?
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わかってくれ、わたしはどうしてもあれが欲しいのだ。
いや、欲しいのではなく、安全なわが腕のうちにそれを保管したいのだ。わたしはこれからまた延暦寺を訪れ、あれを引き取ってくるつもりだ。いや止めないでくれ、わたしにはわたしのやっていることがわかっている。わたしは——。
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 1503年10月25日
 かつての政所執事伊勢貞陸が延暦寺で殺害された
 聖遺物を盗もうとしたところを
 僧兵の正宇に斬り伏せられたという
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 失意は身を滅ぼす……。
 伊勢貞忠には父親と違った生き方を期待しよう


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Version: 2.8.1(Mac) Difficulty: Very Hard
Start: 1493.6.9/✊Ironman Mode

MOD: Nova Monumenta Iaponiae Historica (ver.0.7.3)
DLC:SoI/LoR/TheRepublic/TheOldGods/SoA/Charlemagne/WayofLife/HL/Conclave/Rajas of India/Jade Dragon


はじめに
これはParadox Interactive社の歴史シミュレーションゲーム、クルセイダーキングスIIのAAR(アフターアクションリポート)です。

日本の戦国時代をCK2システムで再現したNova Monumenta Iaponiae HistoricaのAARです。このMODは驚くべきデータ量によって支えられており、またバニラと遜色のない安定感あるプレイが楽しめる労作です。
 
伊勢氏について
代々室町幕府の政所執事を輩出した幕臣伊勢氏のことを知り、大変面白いなと思いました。戦国時代のさなかを故実とともに駆け抜けた立ち位置に惹かれます。「伊勢氏でプレイして、落日の足利政権をともに歩んでみるのもよいのではないか?」と思い選択しました。将軍家を助ける忠臣プレイを基本にやってゆきたいと思います。

選ぶ時代は1493年の明応の政変。
管領細川政元が義政の次子義澄を将軍に据えた直後から、歴史を分岐させます。

それではAARを始めましょう。
貞陸が語る です。

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