Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

Paradox Interactive, Crusaderkings2, AAR

代用品
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 フランドル分家のジャン3世

1430年11月、ラテン帝国のアカイア公領で代替わりがあった。
公領を継いだのはアルカ伯のジャン3世・ファン=フラーンデレン。1395年のアンティオキア遠征で、先のシチリア王ブーヴから征服地を賜った武官長アンドレの息子である。

フランドル家中の出来事だったが、この継承が近隣に与えた影響は大きかった。

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ジャン3世はシチリア王臣。その彼がアカイアを継いだことにより、ラテン帝国領の半分がシチリア王国へ移動した。

かつて小アジアへ反攻する以前のラテン帝国は、エーゲ海に点在する島と砦のつらなりにすぎなかった。そのなかでもまとまった領地を保有していたのがアカイア・フランドル家だったのだ。ラテン帝国は今回の継承によってこれらをすべて失った。

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同月、シチリア王タンクレード2世は少年皇帝オルソンに対してラテン皇帝位を請求した。

予想する者は多かった。シチリア王タンクレードが躊躇しない男であることも知られていた。しかし、それでも人々は信じていた。オートヴィル家は(ほぼ)つねにラテン皇帝を補弼してきたではないか? 先帝レーモン2世は彼の叔父であり、義父であり、親友だったではないか? タンクレードがレーモンの死後1年を待たずして本性を剥き出しにしたことは人々にある種の衝撃を与えた。

オートヴィルはしょせん盗賊騎士の血筋だ。人々はそのことを思い出さないわけにいかなかった。彼らはこうやって400年という歳月を生き永らえてきたのだ。

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タンクレードの帝位請求権はフランドル家皇女である母オードから受け継いだものだ。

これは『弱い請求権』なので、相手が女帝・幼帝でなければ使えないはずだった。だからみな油断していた。しかし幼帝オルソンが即位したことで、オートヴィル家にとって有利な状況が現れた。

あるいはこの条件を満たすため、フランドル家の男子が1人ならず退場を迫られたということがあったかもしれない。だがそれを証明する史料は残っていない。

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 内気なギヨームは父に怒った

「オルソンと戦うのはよしてよ! ぼくら友達なんだよ!
父上、フランドル家の面倒みるって言ったよね。どうして父上はキリスト教徒なのに約束破るの」

タンクレードの第1王子ギヨームは父に詰め寄った。彼は即位式でオルソンに会って、この年上の少年を崇拝するようになっていたからである。

「ときには兄弟も敵となるのだよ」
タンクレードはそう教えた。この時代に君主として生きるなら、他の答えはなかった。

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1433年12月、タンクレードの軍勢は帝都ドリュライオンを制圧した。
わずか6領のラテン帝国はよく戦ったが、シチリア王軍の敵ではなかった。フランドル家の少年皇帝は自分を裏切った後見人の前に頭を垂れた。

フランドル家との血縁。
対立教皇セヴェリヌス2世(テッサロニキ在座)による承認。
イタリア、ギリシア、小アジアを堅実に統治してきたオートヴィル家の実績。
十字軍士としての名誉。

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これらをもって、タンクレード2世ドートヴィルは『ロマニア皇帝  Imperator Romaniae』を名乗った。1204年の創設以来つねに脆弱の代名詞だった十字軍国家は、ここに強力な実体を帯びる事となった。

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 ラテン帝国の栗色に染まる旧シチリア王国領
 次はアラゴンから自立した諸伯領を狙っていく

旧都ドリュライオンからは聖遺物や財宝が持ち出され、騎士や司教たちは転居の準備を急いだ。一方、いまや『帝都』となったテッサロニキではかつてない規模の荘厳ミサが準備された。槍試合があり、見世物があり、7日7晩の祝宴があり、人々は口ではタンクレードを誉めたたえた。

しかし枢機卿から乞食に至るまで、帝国のすべての者が心の中ではこう思っていた。
 
「あの男は結局本物の皇帝にはなれなかった。だから代用品で満足したのだ」と。

怒りと響き
ラテン皇帝タンクレードの初年は血塗られたものとなった。
ビザンツ皇帝の牽制? アラゴン王との領地争い? いや、災いは一族のうちからやってきた。

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1433年の待降節、タンクレードが即位したその月のうちに、皇太子ギヨーム・ドートヴィルが無惨な死をとげた。塔の上から何者かに突き落とされたのだ。

タンクレードは髪をかきむしって叫んだ。下手人を暴きだせと。即座に死を与えよと。
人々に拷問を繰り返した結果、疑わしき者の素性がしだいに浮かび上がってきた。その名はイサキオス・ドートヴィル。宰相にして同族のカラブリア公。

たしかに過去に不穏な動きはあった。それでもそのたびに許してきたのだ。イサキオスの才能を評価し、信用して宰相職にまでつけてやったのだ。それがこんな非道を、罪なき子供に、可愛いギヨームに……!

他人に向けた刃が自分にも向かってきたとき、怒り狂わずにいられる者は少ない。だからタンクレードも激怒した。しかしその一方でタンクレードは陰謀の緻密な縫い目を解きほぐすことを忘れなかった。

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どうやらシチリア王位を選挙制にしたのがまずかったようだ。
選挙制では成人のみが候補となる。イサキオスはギヨーム1人を排除するだけで第一王位継承者になれた。脅威を予想してしかるべきだった。

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 イタリア、小アジアをすべて失う恐れ
 三男ブーヴがテッサロニキ近郊を確保するものの
 次男ロジェにはからっぽのラテン帝座しか残されない

ラテン皇帝位は分割継承により次男ロジェが継ぐものの、このままでは帝国の9割を占めるシチリア王領が下手人イサキオス・ドートヴィルのものになってしまう。もっとも、イサキオスは王国を打ち立てた女傑『無慈悲のアヴェイス』の孫だ。王を号する正統性は十分にあると言っていい。

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タンクレードは即座に動いた。
問題のシチリア王位を廃し、諸侯をラテン皇帝の直轄下に置いたのだ。母オードやド=リューカ卿が危ぶんだように、幼少よりタンクレードはビザンツ流の謀略を不適切なまでにうまく操ってきた。それをイサキオスはすぐに思い知ることになる。

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これでイサキオスは何も手に入れることができなくなった。復興オートヴィル家の悲願だったシチリア王位をこうまで迅速に廃したことに、タンクレードの怒りのほどが読み取れる。

そして帝室密偵長イルドベール・ド=サントメールは今回も丁寧に仕事をした。

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 オートヴィル家の密偵網は決して獲物を逃さない

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 密偵長イルドベール 
「陛下、イサキオスをヴェネツィア領ナポリにて捕らえました。共和国当局は型通りの遺憾の意を表していますが、それだけですな。奴はどうやら教皇領に逃げようとしていたようです」

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 対立教皇セヴェリヌス2世 
「キリスト教皇帝に対する叛逆、とうてい赦されるものではない。ここに余はイサキオス・ドートヴィルを教会の保護下より放逐する」

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 新カラブリア公 カリストス2世ドートヴィル
 父親とは険悪な関係だった

「公位を安堵してくださったこと、感謝に堪えませぬ。父の不忠をお詫びするとともに、誠心誠意、皇帝に尽くす所存でございます」

イサキオスは両手両足を縛られ、ギヨーム少年が殺された塔の土台石の下に埋められた。しばらくして悪霊の噂が立つようになり、その塔には誰も近づかなくなって荒れ果てた。のちにタンクレードが死を迎えた時には塔が鳴動して歓喜の声をあげたという。

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 シチリア王位を再創設できたのは9年後
 しかもイサキオスとの一件でkinslayerがきっちりついてしまう

娘と息子たち
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1434年2月、フランス王ジル・カペーが喜ばしい便りを送ってきた。王子ピエールとタンクレード次女アヴェイスとの婚約を履行するというのだ。

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 おのが手でフランスを勝ち取ったジル王

フランスはこの30年、ブルゴーニュ家によるポルトガル=フランス王国の支配下にあった。これに反旗を翻したのが名家の末裔、ジル・カペーだ。彼はフランス諸侯に号令をかけ、このフランス系とはいえ外来の王家を下し、これをノルマンディーとブルターニュに押し込めた。

いまだフランスではノルマンディー出身の田舎者扱いされていたオートヴィル家にとって、かような勇名を馳せたカペー家との婚姻は実に名誉と言えた。

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また、タンクレードの三女モードはイングランド王モーリス・プランタジネットと婚約した。アルフレッド王に嫁いだ妹アリソンに続き、オートヴィルの娘が2代続けてイングランド王妃となるわけだ。このとき王の妹イザベラを三男ブーヴの嫁にもらう約束をしている。

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 先のラテン皇帝
 オルソン・ファン=フラーンデレン

一方、長女エリザンドはフランドル家のオルソンの元に嫁がせた。オルソンにはトラケシア公位を安堵し、帝室慈善官にも任命した。彼は生まれついて英明だったので、その領国の政治はきわめて良かった。

タンクレードが『自分のために宰相として働いてほしい』と便りをよこしたとき、オルソンはすぐに返事をよこさなかった。しかしその次の週、テッサロニキへ妻と廷臣を連れてやってきて、帝国宰相としてタンクレードに忠誠を誓った。

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民は公正と慈愛の人オルソンを愛した。彼は生涯タンクレードを裏切らなかったが、また親しむこともなかった。フランドル家の存続のため、静かに簒奪者の治世を支え続けたオルソンのことを忘れない人は多い。

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さて、タンクレードの息子たちはどう育ったか。
長男ギヨーム亡き今、次男ロジェが帝国を継ぐことになる。だがロジェは嘘つきに育った。昨日も嘘、今日も嘘、こんな皇帝は誰だって願い下げだろう。
きつく叱り続けたのがよかったのか、ロジェは嘘をつくのはやめた。しかし言われてやめるようでは先々不安だ……。

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そして三男ブーヴもまた嘘つきなのだ!
しかも大変ロジェと仲が悪い。帝国と二つの王冠を継ぐ兄に対するねたみが強く、もう手がつけられない。どうやらタンクレードは息子たちの教育に失敗したらしい。

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 アビュドス、スミルナなどエーゲ海沿岸5領を制圧

1442年までにタンクレードはバルセロナ朝アラゴンから離反したエーゲ沿岸領を帝国に組み入れた。タンクレードに帰順したフランドル家には当地への請求権を持っている者が多く、彼らは新しい領地を得た。

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「俺はこのまま治世を終えるのだろうか」

塔の上から帝都テッサロニキを見下ろしながら、タンクレードはひとりつぶやいた。

「オートヴィルを再興し、ホーエンシュタウフェン家と対峙した女傑アルビニア。異教徒のくびきの下で必死に戦ったフレリー。血塗れの手でシチリア王国を取り戻したアヴェイス。ビザンツと全力でぶつかった祖父と父。彼らに比べると俺は何もしていない。

血を流し、人を騙し、そして手に入れたのがこれだ。ヴェネツィア人の偽物の帝国! 決して俺は満足して死なないだろう」

最後の挑戦
 しかし彼の運命は最後の挑戦をタンクレードに与えた。

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 ラスカリス朝10代皇帝カイサリオス
 
1442年当時、ビザンツ帝国では波乱の生涯を送ったロマノス5世に代わり、皇子カイサリオスが10代皇帝として即位していた。カイサリオスはオートヴィル朝ラテン帝国に包囲されたイグメニツァを捨て、東部アナトリアの新領地ガラティヤに東遷していた。

何気なくビザンツ情勢についての報告を読んでいたタンクレードはある項目にふと目をとめた。

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 いつもなら見逃すような平凡な書類
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 1. 皇太子グレゴリオス
 2. クロアチア王国のハンガリー人女公エリカ
 3. タンクレード2世ドートヴィル

なんだこれは? 自分がビザンツ皇帝の第3継承者とされている!
かつてロマノス5世帝に強要した皇帝選挙制。あれから20年が経ったが、まだ継承法が修正されていないようなのだ。

タンクレードはさっそくビザンツ帝臣のカリポリス・オートヴィル分家に使節を派遣した。彼らはギリシア化して久しいが、宮廷が近いので連絡は密にとっている。

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 カリポリス家の当主ラザロス・ドートヴィル
 アルビニアの代からの古い分家なので本家と同格扱い

「タンクレード、我々は強力な皇帝を望んでいる。我々というのはオートヴィル、ガヴァラス、バタツェス、つまり旧バルセロナ・ビザンツ朝の臣下だった帝都近辺の非ラスカリス諸侯のことだ。

いまビザンツの第一の敵は貴公のラテン帝国。そして第二が南下してくる大ハンガリー王国だ。貴公がビザンツ皇帝になればラテンとビザンツは統合される。第一の敵を取り込むことで千年帝国の延命を計り、そして統合された帝国は大ハンガリーを打ち倒すことができるだろう!」

「なるほど……ビザンツ宮廷は依然として複雑怪奇だ」

ラザロスの話によれば、このほかにも皇弟クレタ公ユリアノス・ラスカリスを推す勢力、第2皇子ミカイルを推す勢力などがあるということだった。継承3位となってはいるが実際には片手ほどの候補者を排除する必要がある。

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 凄腕のスパイマスター ルトバート

引退するイルドベール・ド=サントメールの勧めに従い、タンクレードはバーベンベルク家のルトバートをボヘミアから招聘した。音に聞こえた計略の編み手であり、オートヴィル家の総決算となる挑戦にふさわしい密偵長である。

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1442年6月、さっそくルトバートはガラティヤに潜入し密偵網を構築。まったく自らの手を汚すことなく、有力なライバルであるビザンツ第2皇子ミカイル・ラスカリスを亡き者とした。

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 第1皇子派の重鎮、ゴリのアルセニオスがミカイル暗殺に協力

しかし問題がすぐに現れた。工作資金が足りない。いまだ強力なフランドル諸家の反乱を恐れるあまり、ラテン帝国皇帝就任祝いで金をばらまきすぎたのだ。

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継承2位の女公エリカはなんとか貯めた金で通常暗殺に持ち込んだが、もう帝室国庫はすっからかんだ。

それなりの密偵長がついている皇太子グレゴリオスを暗殺するのは簡単なことではない。およそ1回の試みで450ドゥカートが消えるとして、成功の見込みは10回に1回。4500ドゥカートもの蓄えがどこにあるというのか。

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 タンクレードが2位、妃エテルが3位に浮上
 あと一息に見えるがターゲットは相当固い

「国庫に金が溜まるまで待つか」
そう考えたタンクレードはすぐに首をふった。時すでに1442年。自分があと10年以上生きている保証はない。内乱かなにかが起きないという保証もない。今、この場で決着をつけたい。でも一体どうすれば? 

田舎者
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1406年、ギリシア人の帝国は復活した。
悲願を達成した皇帝ロマノス5世ラスカリスは、生まれ故郷であるエピロスのイグメニツァに宮廷を置いた。

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イグメニツァはヴェネツィア共和国が育てた町だ。守るに易く、攻めるに固い。そしてイタリアとギリシアを両睨みできる。海に開かれた新都イグメニツァには人が集まり、急速に発展しつつあった。

しかしまもなくイグメニツァは間諜の跋扈するところとなった。権力基盤が脆弱なロマノス5世の治世を最大限に利用すべく、大侯たちが息のかかった商人、宦官、美姫を帝都に送り込みはじめたのである。

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 シチリア王国密偵長イルドベール・ド=サントメール
 フランスから招聘された腕利きのスパイマスター

中でも猛威をふるったのがオートヴィル家の密偵網だ。シチリア王タンクレード・ドートヴィルはその地で複数の陰謀を同時進行させていた。

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まずは、影響力のある宦官集団を通じて『帝国からの独立』派閥を打ち立て、皇帝に圧力をかける。そうして次期皇帝を諸侯の合議で決めるようロマノス5世に『進言』する。

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皇帝はこれを受け入れるしかない。驚くほどあっさりと、ビザンツ皇帝位は選挙法継承となった。

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タンクレードはすぐさま『シチリア専制侯タンクレード2世』を次期皇帝として推戴するよう諸侯に働きかけた。

東方皇帝。ドイツの紛い物などとは比べ物にならない、本物のローマ皇帝。ノルマンの野心とギリシアの巧緻を合わせ持つオートヴィル家にふさわしい望みではないか?

1417年、あの全キリスト教世界を騒がせたオートヴィル家の帝国加入は、つまりこれが目的だったのだ。

タンクレード・ドートヴィルは帝国第二の大侯。
バルセロナ家に先を越されはしたが、今度こそノルマン人が何度も挑戦してきた『ビザンツ帝国の簒奪』を無血で成し遂げるチャンスである。

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だが事態はタンクレードの思うようには進まなかった。
宮廷の誰一人、彼を皇帝に推戴しようという者はなかった。3000枚超のドゥカート金貨を受け取った帝国高官たちも微動だにしなかった。

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 クレタ公ユリアノス・ラスカリス
 「はて、オートヴィル家?
  ああ、例の成り上がりの田舎貴族のことですかな」

彼らはタンクレードを個人的に知っているという素振りすら見せなかった。高慢で不実なギリシア人め!

こうしてタンクレード・ドートヴィルの帝位簒奪計画は完全な失敗に終わった。こんな単純なプロットでビザンツを丸呑みしようというのが浅はかだった。千年帝国の格式を舐めていたようだ……。

誰も望まない世界
年が明けて2月になり、荒れる地中海を抜けてきた一番船がバルセロナからの便りをもたらした。アラゴン王アルフォンスからの書簡だ。

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 アルフォンス7世 デ=バルセロナ、姉の子

「親愛なる叔父タンクレードよ。
次期皇帝の指名には賛成しないが、独立派閥なら加わってもいい。父のかたきに仕える日々がこれほど耐えがたいものとは思っていなかったのだ」

先のタンクレード皇帝推戴計画を黙殺したアルフォンス、まさか独立派閥のほうへ来るとは思わなかった。いや、それでは誰も得をしないのだ。

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独立戦争をやってシチリアとアラゴンが抜けたらどうなるか?
確実に帝国は潰れる。後に残るのは滓のようなラスカリス家領と小領主だけだ。10年ともたないだろう。
 
そして誰も単独でロマニアを押さえていないので、帝国が再建されることはない。全キリスト教徒の心の支えとなってきた正統ローマ帝国という存在はここに消滅する。

「だが、」とタンクレードはつぶやいた。
自分の寿命はあと20年かそこらだろう。このままギリシア人の家来として一生を終わるつもりか? オートヴィルの男子と生まれたからには、ぎりぎりまで足掻いてみるべきでは?

タンクレードはしばらく考えたのち、バルセロナへ返事をしたためた。

「手に入らなければ壊してしまえ……まるでたちの悪い恋人だな」
封をしたあと、タンクレード・ドートヴィルはそう言って力なく笑ったという。


晩祷
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1423年の5月15日は大アタナシウスの聖日にあたっていた。
その日の夕刻、パレルモで大規模な民衆暴動が起こった。発端は皇帝の兵士の乱暴だそうだが、今となっては真相はわからない。

晩課を告げる鐘とともに皇帝派のギリシア系住民は手当たりしだいに虐殺され、帝国官吏たちはガレーで本国へ逃げ帰った。暴徒の中でも目立つ者はオートヴィル家の旗を振り回していたという。
世にいう『パレルモの晩祷』である。

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 帝国離脱を宣言するシチリア王とアラゴン王

そして暴動の発生と同時に、すべての準備を整えたアラゴン=シチリア同盟軍は皇帝に対して叛旗を翻した。大乱ふたたびである。

この乱での戦場は大きく二つに分かれた。
シチリア王軍・帝国中央軍が衝突するトラキア戦線と、アラゴン王軍によるヒスパニア戦線だ。

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 1423年7月10日〜8月8日 カリポリスの戦い
 帝国軍48000 vs シチリア王軍49000

多くの戦がそうであるように、トラキアでの決戦もまた要衝カリポリスで戦われた。
 
4週間に及ぶ長い戦闘を制したのはシチリア王軍だった。しかし『戦場の華』と歌われたノルマン重騎兵はもはや活躍せず、金にあかせてドイツやイタリアから招集された傭兵たちがタンクレードに勝利をもたらした。

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 迅速に海上を機動するアラゴン軍

ヒスパニア戦線でもアラゴン王軍は帝国軍に対して勝利を収めた。さらにタンクレードはいくつかの都市共和国の商船を徴発し、テッサロニキからバルセロナへ援軍を送った。

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 1424年、ピレネーの秋 すでに気候は厳しく冬同然

これらの部隊はピレネーの南麓に展開し、帝国軍の残党狩りにあたった。寒さや飢え、在地のバスク土豪の抵抗によって兵士たちの半分が帰らなかったという。

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しかし、ついに皇帝は膝を屈した。

主の1425年6月17日、ビザンツ皇帝ロマノス5世ラスカリスは、シチリア王タンクレードとアラゴン王アルフォンスの前に頭を垂れ、皇帝の権威がもはや両王国に及ばぬことを認めた。

こうして900年続いた東方帝国は崩壊し、ひとつの時代が終わった。
だれも望まなかった世界がそこに広がっている。

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 1425年、帝国崩壊 
 すでに実態としては弱体だったラスカリス朝ビザンツ帝国を
 『パレルモの晩祷』は徹底的に破壊した


嬉しくないあだ名
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 勇将の誉れ高いレーモン2世帝
 激戦で片足を失ったが兵士からの信頼は篤い

その年の9月、戦が終わったばかりだというのにタンクレードは小アジアに軍を送った。義父のラテン皇帝レーモン2世がルム朝と戦っており、漁夫の利を狙うロマノス5世がルム朝に宣戦していたからである。
 
せっかくここまでビザンツを叩きのめしたのに、ルム領を横取りされ領土を回復されてはたまらない!

しかしタンクレードの願いもむなしく、彼もレーモン2世も領地を得ることはなく、ロマノス5世があっさりルム領を併合してしまった。
さすがはビザンツ、粘りを見せてくる。 

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 1425年末、ラスカリス家(黄)はさっそく旧領を回復
 白:オートヴィル家、シチリア王
 橙:フランドル家、ラテン皇帝
 黒:バルセロナ家、アラゴン王 反乱でロマニア領縮小

「どこの王家がロマニアを統一するのか?」
 
誰にも予測がつかない。取り返しもつかない。
もはやロマニアは泥沼だった。

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翌年1426年の夏。
タンクレードは義弟であるイングランド王アルフレッド2世の求めに応じて、イェルサレム王国で起きた反乱鎮圧に兵を出した。

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 アルフレッド2世プランタジネット
 タンクレード妹アリソンの夫君

戦はさっさと済ませて初めてのイェルサレム巡礼をするなど、難しいことを考えなくていい遠征をタンクレードは満喫したようだ。
勇敢なアルフレッドとは気が合ったらしく、二人の交友は死ぬまで続いた。

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一方、既知世界の反対側では新しい王国が打ち立てられていた。
 
以前よりバルセロナ家は本家とフェズ家に別れていたが、フェズ公ベルナー=アマーはサハラを越えてティンブクトゥの都を制圧。ここにバルセロナ朝マリ王国を創設した。

「……まこと、世界は広いな」

知らせを聞いてタンクレードは呆れると同時に、これから沢山の冒険が待ち構えているであろう新王をうらやましく思ったという。

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 カラブリア公、謎の王位僭称反乱
 即時の条件不成立停戦(バグ?)

1427年の年明け、カラブリア・オートヴィル家のイサキオスが王位を僭称してタンクレードに戦いを挑んできた。しかしどうやら陣営内で対立があったようで反乱は沙汰やみになり、この小事件はすぐに忘れられた。

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 『賢王』タンクレード2世ドートヴィル

請求権を使って着実に領土を広げ、陰謀によって最大のライバルビザンツを叩き潰したタンクレード。このころ、彼は人々から『賢王』と呼ばれるようになった。

どちらかといえば平和な善政に捧げられるこの称号。ロマニアの混乱を招いた自覚のあるタンクレードはこの呼び名を好まなかったが、民衆も皮肉で言っていたのかもしれない。

家中のこと
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タンクレードは母オードと妻サラジーネを相次いでなくした。それで深い悲しみに包まれた。
ことにサラジーネはまだ26歳という若さだった。オートヴィル・フランドル両家の深い関係もあって、彼女と兄妹のようにして育った王の喪失感は深かった。

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しかし残された者は生きてゆかねばならない。
タンクレードは母オードからラテン皇帝請求権を引き継いだ。
そして王妃サラジーネは娘エリザンド、娘アヴェイス(フランス王太子と婚約)、息子ギヨームを夫に残した。

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 ギヨーム王子は気弱な本の虫になってしまった

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 王国宰相にして盟友、フレリー2世ド=リューカ
 ベネヴェントおよびスポレト公

「タンクレード、『王妃は国の要石』と言うぞ。悲しむ気持ちもわからんでもないが、宰相としては早めの再婚を勧める。
ここに候補者のリストを用意しておいた。ルーシからヒスパニアまでよりどりみどりだ」

タンクレード自身は再婚すべきか悩んでいたが、宰相の勧めもあり、喪が明けるとクロアチアの女王エテル・アールパードをテッサロニキへ迎えることにした。

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アールパード家は旧ハンガリー王家である。
 
アドリア海からステップにかけて強大な勢力を誇っていたが、カーン家と王位を争って負け、国を割ってクロアチア王家として独立した。そのせいでエテル女王はクロアチア本土、ステップ、黒海に分散した領土をまとめるのに苦心していた。
タンクレードとの婚姻、すなわちシチリア王国との同盟はこれを解決するものだ。

オートヴィル側の事情もあった。
現在チャナード家の支配するハンガリーはじわじわとバルカンとカフカーズから南下してきている。彼らが旧トレビゾンド帝国領とマルマラ南岸キジコス領を王国に編入したことで、その脅威は確定的になった。
 
誰がロマニアを統一するにせよ、チャナード家とは必ず対決することになる。その際、背後に控える旧王家アールパードとの同盟が役立つはずだった。

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 やさしの君、新王妃エテル

二人はそこそこ良い夫婦になった。1429年、エテルは男子ロジェを産んだ。
 
ところでシチリア王国の相続法は分割継承のままだ。したがってサラジーネの遺児ギヨームはシチリアを、エテルの子ロジェはクロアチアを継ぐことになる。

続いて三男ブーヴ、三女マチルドも産まれ、テッサロニキ宮廷には往時のにぎやかさが戻ってきた。

フランドル家の新皇帝
1429年の暮れ、ドリュライオンのラテン帝国宮廷から知らせがあった。レーモン2世帝がついにその長い治世を終え、孫のオルソン・ファン=フラーンデレンが皇帝に即位したという。
 
オートヴィル家はフランドル皇帝家の縁戚中の縁戚だ。タンクレードみずから弔問に赴くのは当然だった。

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タンクレードがドリュライオンで出会ったのは蒼白い顔をした美少年だった。彼は11歳にして公正さを示し、慈愛にあふれ、俊敏だった。将来かならず良い君主になると思われた。しかし彼は嫌な咳をした。胸の病をわずらっていたのである。

「フランドル家を代表して挨拶します。タンクレード、よく来てくれました」

オルソンの父、皇太子ラウルは4年前に暗殺されていた。誰が刺客を差し向けたのか、いまだに解らない。それでオルソンは脅えていた。アカイア公、キレナイカ公、エーゲ諸島公などの同族はみな帝座を請求する権利があった。

「陛下、お聞きください」

タンクレードは少年に優しく語りかけた。
国内事情から加入こそしていないが、オートヴィル家は全力で帝国のために働くと。フランドル家のことはずっと面倒を見るとも言った。
 オルソン・ファン=フラーンデレンはこのタンクレードの言葉を生涯胸に刻むことになる。

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降りしきる雪のなか、レーモン2世の葬儀はおごそかに行われた。
 
老皇帝は民衆にたいそう慕われていた。消滅寸前までいったラテン帝国を立て直し、小アジアへの反攻を実現させたというだけでなく、その人柄が魅力的だったのだ。葬儀への参列者はドリュライオンの大聖堂を外まで埋め尽くしたという。

そうして年が明けた。すでに15世紀に入って30年が過ぎていた。
ロマニアの混乱は永遠に終わらないように思われた……。


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