Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

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天秤は傾く
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 テッサロニキ女公アヴェイス
 30,40の坂を越してさすがに老けた

主の1338年、アヴェイス・ドートヴィルは親衛兵を従えてヴェネツィア領の港レッジョへ入った。公軍の兵士たちは彼女を城門で迎え、声を限りにオートヴィルの名を叫んだ。
 
ヴェネツィア共和国を支持していた商人貴族たちはひっそりと町を出て、本国行きの船で逃げてしまっていた。

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 対ヴェネツィア初勝利

共和国軍は異教徒によるイフリーキーヤ聖戦でぼろぼろになっていたので、勝利はたやすかった。テッサロニキ女公アヴェイスは勝者としてレッジョ州を受け取り、カラブリア地方を一円支配する領主となった。

これに危機感を持ったビザンツ帝国は、再びテッサロニキを請求してラテン帝国に宣戦。女帝エウフロシネは辺境諸侯にまで召集をかけ、30000を超える軍団を西へ送ったという。

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 1339年、第二次テッサロニキ戦争
 戦時中、ビザンツ帝国では内乱が発生
 ラテン帝国はブルガリア内戦に介入
 さらにエジプトのケラク朝が遠征してくるなど大混乱

アヴェイスはブルガール風の騎馬衣を着けて自ら出陣し、主君のラテン皇帝フランソワ1世とともにビザンツ軍を迎え討った。そしてテッサロニキ本国を防衛しながら、1344年夏までにビザンツ領イタリアの首府サレルノを陥落させたのだった。

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 ビザンツ帝国に対しても初勝利を勝ち取る

「共和国も帝国も決して無敵ではない。わたしたちは勝てる」
勝利に沸く公軍を前にアヴェイスは言った。 
それぞれの勝利は小さかったが、彼女は自らの強さを証明したのだ。
 
民は強い者を愛する。
公国の人々はいまやアヴェイス・ドートヴィルを愛するようになっていた。

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もちろん、かたくなに彼女を愛さない者もいた。
そういった人々は散歩中何者かに『うっかり』川に突き落とされたという。

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 1344年現在、旧シチリア王国17州中7州を保有
 9州保有で王位を宣言できる

強き者として
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 アカイア女伯アデル・ドートヴィル
 アヴェイスの腹違いの妹

「アヴェイス、いつまでぐずぐずしているの。さっさとドージェにアプリア公位を請求したほうがよくてよ」
アデル・ドートヴィルは姉にヴェネツィア再戦を強く勧めた。

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アデルは手強い家臣だ。
父ギヨームからパトラス宮廷を受け継いだ彼女は、あらゆる機会を利用して自分の国アカイアを強化してきた。あくまでアヴェイスに忠実だったが、自分の損になるようなことも絶対にしなかった。

「アヴェイス。王位はすぐそこに、手の届くところにあるわ。アプリア請求権があればあなたは共和国からアプリア、レッチェの2州を一度に奪える」
「そして王国を打ち立てたあかつきには自分をアプリア女公にしろというんでしょう」
「いけなくて? わたしは正統のオートヴィルでバーリの領主だからその権利があるし、一族の首位はあなたとその息子アレクサンデルに認めると言っている」

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 アデルはフレリー系とフランク系の血筋を継いでいる

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 期待の継承者アレクサンデル・ドートヴィル
 アデルのパトラス宮廷に預けられてノルマン教育を受けた

「アプリアとカラブリアは継承者用にとっておきたいの。アテネ女公はどうかしら、アデル。アテネは豊かな伯領が多いしパトラスにも近いわ」
「大変結構。あなたはイタリアを取り、わたしはギリシアで最強の公国を作る」
「反逆したくなったら早めに言ってね」
「ご冗談を。分裂したら帝国や共和国の餌食になるだけだわ」
 
「でも共和国を攻めるにしても今度は異教徒の助けはない。正味のヴェネツィアと戦うことになる。わたしが恐れているのはそこなの。アデル、あなたにその覚悟はある?」
「テッサロニキ軍の3割と艦隊の半分を供出してきたの、どこの領主だかお忘れかしら。地獄の底までご一緒させていただくわ」

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1347年の暮れ、腹をくくったアヴェイスはヴェネツィア共和国に宣戦を布告した。
そして公国軍25000と傭兵隊をアドリア東岸の諸港に進軍させた。

「すみやかにアドリア海を越えよ。共和国主力が半島に展開する前に、ひとつでも多くの都市を陥すのだ」

アヴェイスはそう諸侯に命じた。
これまでの対ヴェネツィア戦では、常にオートヴィル家は長期戦での資金不足に陥り、敵の豊富な傭兵戦力に競り負けることを繰り返してきた。

今回はそうはさせない。
とにかく短期間で多くの土地を占領し、早期講和に持ち込むのだ。

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 ドゥラッツォ、イグメニツァ前面で強固な抵抗に遭遇
 山越えではなく、イオニア海経由で海上輸送すべきだった

しかし予想以上に山越えは苦しく、今回もヴェネツィア要塞の防備は固かった。
こちらの軍勢が海を渡る前に共和国軍は半島に展開し、現地の公国諸侯は包囲されて敗退を重ねてしまっていた。

こうなるともう主力同士の決戦でかたをつけるしかない。
ヴェネツィア相手に正面衝突は避けたかったが、どうしようもなかった。

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 1348年6月25日、コセンツァの会戦

翌年の初夏、両軍主力はコセンツァ近郊で激突。
共和国17000、公国20000の兵がカラブリアの野を血で染めた。双方ともにギャンベスン程度しか着けていない軽装兵の割合が高く、無数の矢が飛び交う戦場は地獄絵図の有様だったという。
 
戦闘は1週間続いたが、タラント湾から上陸したセルビア人傭兵隊が最後の一押しとなって敵戦線を崩壊させた。
 
以後、ヴェネツィア軍は戦闘力をほぼ喪失した。少数の部隊がナポリに再集結するが、もはや戦役の流れを変えるには至らなかった。

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共和国側についた都市は守る者もなく放置されていた。
公国諸侯は競うようにこれらを略奪し、いくつかの町では凄惨な虐殺がおこなわれた。それにはアヴェイスの許可が出ていた。

かつてオートヴィル家を見捨て、ヴェネツィア共和国のドージェを主君に選んだ南イタリアの諸都市。
商人としての判断は正しかったかもしれない。だがアヴェイス・ドートヴィルは彼女なりのやり方で彼らに損得を教えたのだ。

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一方、このコセンツァの会戦で公位継承者アレクサンデルが傷を負った。
 「自分は大丈夫です。すぐに回復してパレルモへ進撃します」

勇ましい便りの言葉と裏腹に傷は深かったらしい。「命は助かっても不具になるだろう」と侍医は書き添えていた。

アヴェイスは激しく動揺したが、ただ祈ることしかできなかった。

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1349年春、ついにヴェネツィア共和国は降伏した。
 
アドリア両岸とイタリアの半分を制し、アフリカにまで進出した海洋覇権国の面影はもはやなかった。執拗に繰り返されたイスラーム諸国とオートヴィル家による攻撃はそれほどヴェネツィアを弱らせていたのだ。

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 1349年、テッサロニキ公国
 テッサロニキからレッチェへ宮廷を戻そうと試みたが、
 すでに1度ロードスから宮廷を移しているためか成功しなかった

先祖ゆかりの地アプリアを回収したことで、旧王国17州のうち過半数を確保したことになる。あとは戴冠式に必要な資金を集めるだけだ。それには1年もかからないだろう。
オートヴィルの一族が150年ものあいだ夢見てきた王国復興が目の前に迫っていた。

だが、アヴェイスの心は晴れなかった。

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同年6月、アレクサンデル・ドートヴィルは26歳の若さで死んだ。
コセンツァで受けた傷が膿んで全身に毒が回ったのだ。

アレクサンデルはこう言い残していた。

「妻と息子をよろしく頼みます。息子ブーヴはまだ小さい。できれば継承の重荷を負わせないでやってください。
そのかわり、兄マルコスを継承者にしてやってほしいのです。兄はずっと苦労してきました。そろそろ報われてもいいでしょう。

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 新継承者となった長男「のろまのマルコス」
 継承レースから外され、フランスはクルトネー家の
 女伯の婿に出されていた
 
俺は精一杯生きました。悔いはありません。
あるとすればただひとつ——母上、あなたが王冠を戴くところを見られないのが残念です」

アレクサンデル・ドートヴィルの葬儀はしめやかに行われ、人々は「彼は良き王になっただろうに」と言ってその死を悼んだ。

戴冠
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アヴェイスの戴冠式は聖母被昇天の祝日に行われた。
公国の主立った人々はみなフォッジアのモンテガルガノへ来て、丘の上の聖ミカエル教会に参列した。

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 ロジェのマント

聖俗諸侯が見守る中、アヴェイスは母語であるギリシア語で祈りを捧げた。
そしてアラビア語の聖句が刺繍された王朝初代ロジェ2世のマントをまとった。
最後に教皇レオ10世の手によって、シチリア王冠をその白くなった頭に受けた。

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 復興オートヴィル朝シチリア、アヴェイス1世女王

「わたしこそ、ノルマン王である。
はるかな北国からこの地に安寧をもたらすためにやってきた騎士たちの長であり、ギリシア人とアラビア人、ランゴバルド人とラテン人の調停者である。
 
耳を持つ者は聞け。目を持つ者はとくと見よ。
長き不在のあとで、オートヴィルの名を持つまことの王が帰ってきたのだ」

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 雌伏の時代をようやく終わらせた

こうしてアヴェイスはオートヴィル家が王位を取り戻したことを全キリスト教世界に宣言。
1世紀半におよぶ大事業はここに終わりを告げた。

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 1351年、キリスト教世界
 存在感を増すフランドル家のラテン帝国
 アヴェイスはビザンツから独立したタラントを領土に加えた
 /
 ドイツ大乱。3代続いたヴィッテルスバハ家は凋落し
 帝位はツールーズのフランドル家へ
 / 
 プランタジネット朝イングランドは第六回聖地十字軍を成功させた

Aveis La Cruelle
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ギヨームの娘アヴェイスは19歳でテッサロニキ女公となった。

ロードス育ちで流暢なギリシャ語を話したが、父ギヨームの手駒として送り込まれた異国の姫君に対する風当たりは強かった。
宮廷にも領国にも彼女の味方は少なく、暗殺や反乱におびえる日々が続いたという。

それから10年が過ぎ、アヴェイスは父親のカラブリア公領を相続した。彼女の敵はみな姿を消していた。
彼らがどこに行ったのか、誰も知らない。それを詮索する者もまた消えたからだ。

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 アヴェイスの夫君、密偵頭マシュー・ド=ヴォロ
 日陰から出ずに淡々と妻の敵を処理した

公国の人々はむっつり黙ってアヴェイスの支配を受け入れた。
彼女は強欲で、しばしば憤怒にかられ、そして残酷だった。それで人々は彼女を「無慈悲のアヴェイス Aveis La Cruelle」と呼んだ。
 
旗揚げ
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 1329年2月9日 レスボス島の虐殺
 反逆したテッサロニキ軍14000はラテン皇帝軍8000を鏖殺した
 島を逃げ出せたのは少年皇帝ジルとわずかな供の者だけだった

1331年、アヴェイス・ドートヴィルはフランドル朝ラテン帝国からの独立戦争に勝利し、晴れてテッサロニキ公国の女主人となった。

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 白枠:独立を果たしたテッサロニキ公国
 旧王国17州のうち5州を有している 

祝いの席でアヴェイスは地図の上に5つの駒を置き、家臣たちに言った。
「これが何かわかるか」
「わが国の領土です」
「より正確に言うならば、アヴェイス様に従う南イタリアの3共和国、2伯領ですな」
「その通り。では残りの南イタリアはどうだ」
「ビザンツ皇帝、そしてヴェネツィアのドージェのものです」

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すると彼女は4つの駒を取り出し、卓の上にざっと放り投げた。
「あと4州あれば王国の再建ができる。旧シチリア王国17州のうち、9州を手にすればいいのだからな」

家臣たちは耳を疑った。
「王国ですと?」
「そう、王国だ。150年前にドイツ人に滅ぼされた、私たちノルマンの王国だ」
 
アヴェイスは声を強めた。
「父上は血濡れた手で私をテッサロニキに送り込んだ。
オートヴィル家がイタリアへ捲土重来を果たすにはこの地の富が必要だからだ。
 
私は自分の王国を打ち立てる。子供の頃から暗殺の恐怖に脅えながら、それだけを心の支えにして生きてきたのだ。
父祖の王冠をこの頭に戴くこと、それだけがわが望み。おまえたちはわが家臣でありながら、そんなことも気付かないできたのか?」

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確かに時間はかかった。
だが王国滅亡から150年、アルビニア、ロジェ、フレリー、ギヨームの4代にわたって蓄積されてきた土地と富は、ようやく王国再建について考えることをオートヴィル家に許したのだった。

「だがそうなると皇帝かドージェと刃を交えることになりますぞ」
「父の遺領カラブリアを継承した今、その力はある」
「……たしかに」
「旗揚げの時来たる、というわけですな」
「皇帝もドージェも、ともにオートヴィル家とは因縁のある相手。アヴェイス様はどちらと戦うおつもりか?」

「決まっている。敵はこいつらだ」

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アヴェイスは有翼獅子の絵の上に駒を進め、薄く笑ったと伝えられている。

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恩寵は勇敢な者に与えられる。
 
1332年6月、シーア派指導者アヤトッラー・ドゥーアはヴェネツィア共和国に対するジハードを宣言し、共和国領イフリーキーヤは異教徒の攻撃にさらされることになった。
アヴェイスにとってこれ以上ない好機である。

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彼女はギリシャ人たちに命じて商船団を出航させ、各地の情報を収集した。
共和国遠征軍はイフリーキーヤ東部にあり、その兵力は20000。マスーフィ朝のトリポリ3州を占拠しつつある。

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一方、レヴァントのテッサロニキ商館からは、モンゴル帝国の動員が始まったという報告がきた。
 
シーア派盟主であるトゥメン・ハーンの召集に応えた諸侯のリストはどんどん膨れ上がり、バグダード、アンティオキア、ダマスカスといった有力大守らが名を連ねた。情報を総合すると、90000から110000の兵が前線へ送られる見込みだ。

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これでは共和国に勝ち目はない。いける。
アヴェイスは家臣に動員準備を命じ、遠国の傭兵隊長に便りを出した。ひさびさの戦役とあってギリシャの諸港は活況に沸いた。
 
激発
1334年10月、対ヴェネツィア戦役の準備が着々と進む中、コンスタンティノープルの使者がテッサロニキ宮廷に到着した。
 
華麗な外套に身を包んだ皇帝の使者は、次のような文章を鼻にかかった発音で読み上げた。

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『断りもなく帝国を離脱したオートヴィル家に告ぐ。
余、ローマ人の皇帝エウフロシネ・ラスカリナは、貴公アヴェイス・ドートヴィルの治世が短くまた惨めに終わることを望む。余はここに正式に両者が戦争状態にあることを告げるものである』

やられた。
先手を打って帝国が攻めてきた……!

父ギヨームの死によって旧カラブリア公領はビザンツ帝国を離脱し、アヴェイスのテッサロニキ公国に統合された。
そして、まさにその離脱によって、父ギヨームの持っていた称号のすべてにビザンツ皇帝の請求権が発生してしまっていたのだ。
なんということだ。

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 赤い■は女帝がアヴェイスに対して請求している権利
 ビザンツに"press all claim"で宣戦される恐怖

アヴェイスに負けるという選択肢はない。
帝国と戦って勝たねば全イタリアとギリシアの1/3を喪失してしまう。
そうなれば王国再建は夢のまた夢だ。

急遽アヴェイスは公国軍を編成した。

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 赤:テッサロニキ公軍 黄:ビザンツ帝国軍
 テンプル騎士団など15000 首都防衛
 傭兵軍17000 首都防衛
 ヘラス諸侯連合軍18000 後備
 イタリアの都市共和国軍はビザンツ領サレルノを攻略  

彼女は全諸侯に出撃を命じた。
前公家のアレラミチ家がためこんだ2800万ドラクマという金にあかせ、雇える傭兵隊をすべて雇った。
そして聖地への途上にあったテンプル騎士団総長ブノワ・ド=モルトマールを執拗に説得し、戦役に参加してもらった。

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「帝都に近いところで戦うと敵の増援に捕まりやすい。できるだけこちらに引きつけて戦うべきだ。テッサロニキ市前面の山地に防衛線を敷くことを勧める」

ド=モルトマールの助言に従い、公国軍はカルキディケ領からテッサロニキ領へ通じる山間の隘路を予定戦場と定め、陣地を構築した。

1月25日払暁、予想通りエグナティア街道を西進してきた帝国軍25000は、州境の峠でテッサロニキ公国軍と激突した。

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 1335年1月25日、エグナティア街道の会戦

帝国軍の戦列と衝突した瞬間、傭兵隊の寄せ集めでしかないテッサロニキ軍はひるんで後退を始めた。
だが戦列中央をまかされたテンプル騎士たちは野太い喚声をあげ、その場にとどまった。彼らは多大な損害を出しながらも、帝国軍の突撃を跳ね返しつづけたのだ。

「ソロモンの騎士ら マケドニアへきたりて
 槌をふるいて 暁、峠に死す」

 
この時の騎士団の武勲は今でもいくつもの言語で歌われている。
 
夕刻、オートヴィル家直参のラテン重歩兵8000が山地を突破して奇襲をかけ、敵戦列を崩壊させてこの戦闘を制した。

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 同4月3日、フィリッポポリスの会戦
 
戦果を確定するため、テッサロニキ主力はエグナティア街道に沿って帝国軍を追撃した。
フィリッポポリスでこれをとらえて撃破したが、直後、東方カリポリスから進撃してきた帝国軍25000に遭遇し、3度目の会戦を強いられる。

さすがはビザンツ。いったいどれだけの兵力があるのか。

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 左翼を連合傭兵、中央を騎士団、
 右翼をオートヴィル家臣団が固める
 金その他を大量に消費して初めて可能となる布陣

28日間に及んだ会戦は辛くもテッサロニキが勝利した。
敵がその兵力を数度に分けて投入せず、一度に70000超の帝国軍と激突することになっていたら……。
テッサロニキにまず勝ち目はなかっただろう。

敵の増援は帝都周辺に集結し、万単位の大部隊となって西進してくる。
これを未然に叩き潰すため、騎士団総長ド=モルトマールは後備ヘラス軍18000をカリポリスに上陸させる作戦を発案した。これらは64隻のギリシャ商船隊でピストン輸送する。

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 カリポリス上陸作戦、成功。おなじみの戦略要地
 ダーダネルス、ボスポラス両海峡で敵を抑えこむ 

山がちなマケドニア、トラキアを迂回できる海上輸送は非常に有用だ。ヘラス軍はきわめて迅速にエーゲ海を渡ることができた。彼らはそのまま海峡を封鎖し、カリポリスとコンスタンティノープルの包囲に移った。

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その冬、コンスタンティノープルの牢獄に囚われていた一人の老人が獄死した。イスラームに改宗して数奇な運命をたどったオートヴィルの一人、フランク・ドートヴィルだ。
 
地下牢に入れられていたフランクは、オートヴィル家の軍隊がすぐそこまで来ていて、帝都を攻めているなどと知るよしもなかった。そして一人淋しく死んだ。
彼の魂に平安を。

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翌1336年8月、テッサロニキ軍はついにコンスタンティノープルの外郭城壁のひとつを陥落させた。
何度も何度もビザンツを攻めては敗退してきたオートヴィル家。
数百年かけてついにここまで来たのだ。

「その夏、われわれは皇帝の都を攻めた」

だが意外にも、オートヴィル家の年代記にはそういった簡単な記述があるだけだ。挿絵も残されていない。それほど戦いが激しかったということなのかもしれない。

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同年12月、資金が底をつき、イタリア人傭兵隊が反乱を起こした。金庫にうなっていた2800万ドラクマもこの大規模戦役では2年半と保たなかったようだ。

反乱はまもなく鎮圧されたが、ほかの傭兵隊が動揺しつつあった。
補充が早い傭兵戦力はいまやテッサロニキ軍の4割超を占めている。しかし国庫はもうすっからかんなのだ。
これ以上の反乱を避けるため、ド=モルトマールはすべての傭兵隊を解雇せざるを得なかった。

「問題はそれだけではありません」
 
ド=モルトマールは手紙でアヴェイスに訴えた。
 
「非ギリシャ系部隊、特にイタリア諸都市軍の不満がかなり高まっているようです。そしてテッサロニキ軍はきわめて疲弊しているというのに、アナトリアからは帝国の増援が無限に沸いてきます。この先は泥沼です」

テッサロニキ宮廷では「まだ行ける」という意見が多数を占めていた。 だがアヴェイスは前線からの報告をじっくりと読み、考えた。
 
「いまヴェネツィアや異教徒に攻められたら国がなくなる。悔しいが、私の力量はこんなものだ」
 
1337年2月、アヴェイスは女帝エウフロシネに和平の使いを送った。

名称未設定
 「アヴェイス・ドートヴィル、貴公の無能ぶりは劇に出てくる洗濯女並だな。
 そうか、和平を望むか。もう息切れしたか。
 こちらはまだまだ戦えるが、大いに譲歩して応じてやってもよい」

女帝は白紙和平に応じ、戦役は終わった。

身を守る
アヴェイスはむなしかった。
これだけの戦費を溶かし、国を荒らし、何も手に入らない。そしてすべての請求権はまだエウフロシネが持ち続けているのだ。

いつまたビザンツに戦を仕掛けられるかわからない。
もう金はない。軍も維持できないし、傭兵隊も雇えない。
次に戦いがあれば領土を失うことはアヴェイスにも解っていた。
なんとかしなければ。

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アヴェイスは諸国にギリシャ商人を派遣した。
アラゴン、フランス、ドイツ、教皇庁、ヴェネツィア、ハンガリー、ブルガリア、ラテン帝国、ビザンツ帝国。
商人たちは公然と任地へおもむき、極秘の調査を開始した。

調査内容はきわめて慎重な扱いを要するものだった。
 
「貴国はテッサロニキ女公の臣従を受け入れる用意があるか?」

アヴェイスはオートヴィル家の領地を守るため、独立国でありつづけることを断念したのだ。

神聖ローマ皇帝とフランス王以外のすべての国が「可」という返事を送ってよこした。
だがアラゴン、ハンガリー、ブルガリアはアヴェイスの選択肢から外された。アラゴンは遠すぎたし、ハンガリーとブルガリアは国内が不安定すぎたからだ。

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 残るは教皇庁、ヴェネツィア、ラテン帝国、ビザンツ帝国
 どこに臣従すべきだろうか?

彼女が本命視していたのは聖庁と、そして意外なことにヴェネツィア共和国だった。教皇庁国家の不可侵性は魅力だったし、ヴェネツィア共和国を内側から食い尽くしていくという選択肢はさらに魅力的だった。

しかしこの両国は王権法がきわめて発達しており、封臣になってしまうと国内外でまったく身動きができない状態になることがわかった。宗教政体あるいは共和国政体のためか、派閥すら作ることができないのだ。それでこの案も放棄された。

「ビザンツに臣従するか?
あの女帝エウフロシネに頭を下げて、家来に加えてくれと言うか?」

結局、それがもっとも合理的な判断だった。
 
まず、アヴェイスの臣従によって東地中海全体が安定する。異教徒によるジハードなどの突発的な危険を回避できるのは大きい。
次に、帝国の王権法は中程度だから内外の活動も自由がきく。
女帝が持つ請求権についても、臣従してしまえば臣下の領地をいじることになり、リスクが大きい。女帝は自制せざるを得ないだろう。

「だが、私はそうはしない」

アヴェイスはビザンツ臣従案を蹴った。
理由はただ一つ。彼女はどうしてもエウフロシネなんかに頭を下げたくなかったのだ。アヴェイス・ドートヴィルはそういう女だった。

それで彼女は最後に残った選択肢、ラテン皇帝アリエノール・ファン=フラーンデレンに使いを送った。

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 フランドル朝ラテン帝国第7代皇帝、アリエノール
 ラスカリス朝ビザンツとオートヴィル家の
 2人の強力な女君主にはさまれて苦労が多かった

ラテン皇帝領はきわめて弱体で、帝国全体の動員力も11000とテッサロニキの1/3しかない。防衛力を求めるアヴェイスにとっては不本意な選択だったがやむを得ない。
少なくとも「皇帝が弱体だといつでも帝国を抜けられる」という利点はあった。

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1337年春、ラテン帝国はオートヴィル家の再臣従を受け入れた。
受け入れなければどうなるか、アリエノールはよくよく解っていたに違いない。「国を乗っ取られたような気分がした」と後に彼女はこのときの事を語っている。

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