Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

Paradox Interactive, Crusaderkings2, AAR

田舎者
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1406年、ギリシア人の帝国は復活した。
悲願を達成した皇帝ロマノス5世ラスカリスは、生まれ故郷であるエピロスのイグメニツァに宮廷を置いた。

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イグメニツァはヴェネツィア共和国が育てた町だ。守るに易く、攻めるに固い。そしてイタリアとギリシアを両睨みできる。海に開かれた新都イグメニツァには人が集まり、急速に発展しつつあった。

しかしまもなくイグメニツァは間諜の跋扈するところとなった。権力基盤が脆弱なロマノス5世の治世を最大限に利用すべく、大侯たちが息のかかった商人、宦官、美姫を帝都に送り込みはじめたのである。

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 シチリア王国密偵長イルドベール・ド=サントメール
 フランスから招聘された腕利きのスパイマスター

中でも猛威をふるったのがオートヴィル家の密偵網だ。シチリア王タンクレード・ドートヴィルはその地で複数の陰謀を同時進行させていた。

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まずは、影響力のある宦官集団を通じて『帝国からの独立』派閥を打ち立て、皇帝に圧力をかける。そうして次期皇帝を諸侯の合議で決めるようロマノス5世に『進言』する。

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皇帝はこれを受け入れるしかない。驚くほどあっさりと、ビザンツ皇帝位は選挙法継承となった。

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タンクレードはすぐさま『シチリア専制侯タンクレード2世』を次期皇帝として推戴するよう諸侯に働きかけた。

東方皇帝。ドイツの紛い物などとは比べ物にならない、本物のローマ皇帝。ノルマンの野心とギリシアの巧緻を合わせ持つオートヴィル家にふさわしい望みではないか?

1417年、あの全キリスト教世界を騒がせたオートヴィル家の帝国加入は、つまりこれが目的だったのだ。

タンクレード・ドートヴィルは帝国第二の大侯。
バルセロナ家に先を越されはしたが、今度こそノルマン人が何度も挑戦してきた『ビザンツ帝国の簒奪』を無血で成し遂げるチャンスである。

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だが事態はタンクレードの思うようには進まなかった。
宮廷の誰一人、彼を皇帝に推戴しようという者はなかった。3000枚超のドゥカート金貨を受け取った帝国高官たちも微動だにしなかった。

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 クレタ公ユリアノス・ラスカリス
 「はて、オートヴィル家?
  ああ、例の成り上がりの田舎貴族のことですかな」

彼らはタンクレードを個人的に知っているという素振りすら見せなかった。高慢で不実なギリシア人め!

こうしてタンクレード・ドートヴィルの帝位簒奪計画は完全な失敗に終わった。こんな単純なプロットでビザンツを丸呑みしようというのが浅はかだった。千年帝国の格式を舐めていたようだ……。

誰も望まない世界
年が明けて2月になり、荒れる地中海を抜けてきた一番船がバルセロナからの便りをもたらした。アラゴン王アルフォンスからの書簡だ。

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 アルフォンス7世 デ=バルセロナ、姉の子

「親愛なる叔父タンクレードよ。
次期皇帝の指名には賛成しないが、独立派閥なら加わってもいい。父のかたきに仕える日々がこれほど耐えがたいものとは思っていなかったのだ」

先のタンクレード皇帝推戴計画を黙殺したアルフォンス、まさか独立派閥のほうへ来るとは思わなかった。いや、それでは誰も得をしないのだ。

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独立戦争をやってシチリアとアラゴンが抜けたらどうなるか?
確実に帝国は潰れる。後に残るのは滓のようなラスカリス家領と小領主だけだ。10年ともたないだろう。
 
そして誰も単独でロマニアを押さえていないので、帝国が再建されることはない。全キリスト教徒の心の支えとなってきた正統ローマ帝国という存在はここに消滅する。

「だが、」とタンクレードはつぶやいた。
自分の寿命はあと20年かそこらだろう。このままギリシア人の家来として一生を終わるつもりか? オートヴィルの男子と生まれたからには、ぎりぎりまで足掻いてみるべきでは?

タンクレードはしばらく考えたのち、バルセロナへ返事をしたためた。

「手に入らなければ壊してしまえ……まるでたちの悪い恋人だな」
封をしたあと、タンクレード・ドートヴィルはそう言って力なく笑ったという。


晩祷
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1423年の5月15日は大アタナシウスの聖日にあたっていた。
その日の夕刻、パレルモで大規模な民衆暴動が起こった。発端は皇帝の兵士の乱暴だそうだが、今となっては真相はわからない。

晩課を告げる鐘とともに皇帝派のギリシア系住民は手当たりしだいに虐殺され、帝国官吏たちはガレーで本国へ逃げ帰った。暴徒の中でも目立つ者はオートヴィル家の旗を振り回していたという。
世にいう『パレルモの晩祷』である。

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 帝国離脱を宣言するシチリア王とアラゴン王

そして暴動の発生と同時に、すべての準備を整えたアラゴン=シチリア同盟軍は皇帝に対して叛旗を翻した。大乱ふたたびである。

この乱での戦場は大きく二つに分かれた。
シチリア王軍・帝国中央軍が衝突するトラキア戦線と、アラゴン王軍によるヒスパニア戦線だ。

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 1423年7月10日〜8月8日 カリポリスの戦い
 帝国軍48000 vs シチリア王軍49000

多くの戦がそうであるように、トラキアでの決戦もまた要衝カリポリスで戦われた。
 
4週間に及ぶ長い戦闘を制したのはシチリア王軍だった。しかし『戦場の華』と歌われたノルマン重騎兵はもはや活躍せず、金にあかせてドイツやイタリアから招集された傭兵たちがタンクレードに勝利をもたらした。

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 迅速に海上を機動するアラゴン軍

ヒスパニア戦線でもアラゴン王軍は帝国軍に対して勝利を収めた。さらにタンクレードはいくつかの都市共和国の商船を徴発し、テッサロニキからバルセロナへ援軍を送った。

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 1424年、ピレネーの秋 すでに気候は厳しく冬同然

これらの部隊はピレネーの南麓に展開し、帝国軍の残党狩りにあたった。寒さや飢え、在地のバスク土豪の抵抗によって兵士たちの半分が帰らなかったという。

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しかし、ついに皇帝は膝を屈した。

主の1425年6月17日、ビザンツ皇帝ロマノス5世ラスカリスは、シチリア王タンクレードとアラゴン王アルフォンスの前に頭を垂れ、皇帝の権威がもはや両王国に及ばぬことを認めた。

こうして900年続いた東方帝国は崩壊し、ひとつの時代が終わった。
だれも望まなかった世界がそこに広がっている。

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 1425年、帝国崩壊 
 すでに実態としては弱体だったラスカリス朝ビザンツ帝国を
 『パレルモの晩祷』は徹底的に破壊した


嬉しくないあだ名
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 勇将の誉れ高いレーモン2世帝
 激戦で片足を失ったが兵士からの信頼は篤い

その年の9月、戦が終わったばかりだというのにタンクレードは小アジアに軍を送った。義父のラテン皇帝レーモン2世がルム朝と戦っており、漁夫の利を狙うロマノス5世がルム朝に宣戦していたからである。
 
せっかくここまでビザンツを叩きのめしたのに、ルム領を横取りされ領土を回復されてはたまらない!

しかしタンクレードの願いもむなしく、彼もレーモン2世も領地を得ることはなく、ロマノス5世があっさりルム領を併合してしまった。
さすがはビザンツ、粘りを見せてくる。 

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 1425年末、ラスカリス家(黄)はさっそく旧領を回復
 白:オートヴィル家、シチリア王
 橙:フランドル家、ラテン皇帝
 黒:バルセロナ家、アラゴン王 反乱でロマニア領縮小

「どこの王家がロマニアを統一するのか?」
 
誰にも予測がつかない。取り返しもつかない。
もはやロマニアは泥沼だった。

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翌年1426年の夏。
タンクレードは義弟であるイングランド王アルフレッド2世の求めに応じて、イェルサレム王国で起きた反乱鎮圧に兵を出した。

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 アルフレッド2世プランタジネット
 タンクレード妹アリソンの夫君

戦はさっさと済ませて初めてのイェルサレム巡礼をするなど、難しいことを考えなくていい遠征をタンクレードは満喫したようだ。
勇敢なアルフレッドとは気が合ったらしく、二人の交友は死ぬまで続いた。

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一方、既知世界の反対側では新しい王国が打ち立てられていた。
 
以前よりバルセロナ家は本家とフェズ家に別れていたが、フェズ公ベルナー=アマーはサハラを越えてティンブクトゥの都を制圧。ここにバルセロナ朝マリ王国を創設した。

「……まこと、世界は広いな」

知らせを聞いてタンクレードは呆れると同時に、これから沢山の冒険が待ち構えているであろう新王をうらやましく思ったという。

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 カラブリア公、謎の王位僭称反乱
 即時の条件不成立停戦(バグ?)

1427年の年明け、カラブリア・オートヴィル家のイサキオスが王位を僭称してタンクレードに戦いを挑んできた。しかしどうやら陣営内で対立があったようで反乱は沙汰やみになり、この小事件はすぐに忘れられた。

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 『賢王』タンクレード2世ドートヴィル

請求権を使って着実に領土を広げ、陰謀によって最大のライバルビザンツを叩き潰したタンクレード。このころ、彼は人々から『賢王』と呼ばれるようになった。

どちらかといえば平和な善政に捧げられるこの称号。ロマニアの混乱を招いた自覚のあるタンクレードはこの呼び名を好まなかったが、民衆も皮肉で言っていたのかもしれない。

家中のこと
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タンクレードは母オードと妻サラジーネを相次いでなくした。それで深い悲しみに包まれた。
ことにサラジーネはまだ26歳という若さだった。オートヴィル・フランドル両家の深い関係もあって、彼女と兄妹のようにして育った王の喪失感は深かった。

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しかし残された者は生きてゆかねばならない。
タンクレードは母オードからラテン皇帝請求権を引き継いだ。
そして王妃サラジーネは娘エリザンド、娘アヴェイス(フランス王太子と婚約)、息子ギヨームを夫に残した。

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 ギヨーム王子は気弱な本の虫になってしまった

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 王国宰相にして盟友、フレリー2世ド=リューカ
 ベネヴェントおよびスポレト公

「タンクレード、『王妃は国の要石』と言うぞ。悲しむ気持ちもわからんでもないが、宰相としては早めの再婚を勧める。
ここに候補者のリストを用意しておいた。ルーシからヒスパニアまでよりどりみどりだ」

タンクレード自身は再婚すべきか悩んでいたが、宰相の勧めもあり、喪が明けるとクロアチアの女王エテル・アールパードをテッサロニキへ迎えることにした。

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アールパード家は旧ハンガリー王家である。
 
アドリア海からステップにかけて強大な勢力を誇っていたが、カーン家と王位を争って負け、国を割ってクロアチア王家として独立した。そのせいでエテル女王はクロアチア本土、ステップ、黒海に分散した領土をまとめるのに苦心していた。
タンクレードとの婚姻、すなわちシチリア王国との同盟はこれを解決するものだ。

オートヴィル側の事情もあった。
現在チャナード家の支配するハンガリーはじわじわとバルカンとカフカーズから南下してきている。彼らが旧トレビゾンド帝国領とマルマラ南岸キジコス領を王国に編入したことで、その脅威は確定的になった。
 
誰がロマニアを統一するにせよ、チャナード家とは必ず対決することになる。その際、背後に控える旧王家アールパードとの同盟が役立つはずだった。

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 やさしの君、新王妃エテル

二人はそこそこ良い夫婦になった。1429年、エテルは男子ロジェを産んだ。
 
ところでシチリア王国の相続法は分割継承のままだ。したがってサラジーネの遺児ギヨームはシチリアを、エテルの子ロジェはクロアチアを継ぐことになる。

続いて三男ブーヴ、三女マチルドも産まれ、テッサロニキ宮廷には往時のにぎやかさが戻ってきた。

フランドル家の新皇帝
1429年の暮れ、ドリュライオンのラテン帝国宮廷から知らせがあった。レーモン2世帝がついにその長い治世を終え、孫のオルソン・ファン=フラーンデレンが皇帝に即位したという。
 
オートヴィル家はフランドル皇帝家の縁戚中の縁戚だ。タンクレードみずから弔問に赴くのは当然だった。

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タンクレードがドリュライオンで出会ったのは蒼白い顔をした美少年だった。彼は11歳にして公正さを示し、慈愛にあふれ、俊敏だった。将来かならず良い君主になると思われた。しかし彼は嫌な咳をした。胸の病をわずらっていたのである。

「フランドル家を代表して挨拶します。タンクレード、よく来てくれました」

オルソンの父、皇太子ラウルは4年前に暗殺されていた。誰が刺客を差し向けたのか、いまだに解らない。それでオルソンは脅えていた。アカイア公、キレナイカ公、エーゲ諸島公などの同族はみな帝座を請求する権利があった。

「陛下、お聞きください」

タンクレードは少年に優しく語りかけた。
国内事情から加入こそしていないが、オートヴィル家は全力で帝国のために働くと。フランドル家のことはずっと面倒を見るとも言った。
 オルソン・ファン=フラーンデレンはこのタンクレードの言葉を生涯胸に刻むことになる。

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降りしきる雪のなか、レーモン2世の葬儀はおごそかに行われた。
 
老皇帝は民衆にたいそう慕われていた。消滅寸前までいったラテン帝国を立て直し、小アジアへの反攻を実現させたというだけでなく、その人柄が魅力的だったのだ。葬儀への参列者はドリュライオンの大聖堂を外まで埋め尽くしたという。

そうして年が明けた。すでに15世紀に入って30年が過ぎていた。
ロマニアの混乱は永遠に終わらないように思われた……。


摂政オードの治世
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主の1402年、王太后オード・ファン=フラーンデレンはテッサロニキ宮廷を掌握した。以後15年にわたり、彼女はタンクレード2世の摂政としてシチリア王国を支配する。

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 母后オード ラテン帝国第4皇女にして王国摂政
 幾人もの王侯の求婚を断りテッサロニキにとどまった

オードは飛び抜けた能力の持ち主ではない。誰もが彼女のことを『頭のからっぽな浪費好きの未亡人』と思っていた。だがオードは実際には廷臣の意見をよく聞き、よく考える名摂政だった。

「寝ても覚めてもビザンツ、ビザンツ。帝国が攻めてくるのではないか、とにかくそればっかり考えている」

当時、ラテン帝国、シチリア王国ともに最大の懸念となっていたのがビザンツ情勢だ。アラゴン王国を丸呑みして強大化したビザンツは、数年の内乱を経て再びラスカリス家のものとなっていた。

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 ラスカリス朝9代皇帝 ロマノス5世
 みな彼のことを『慈愛に溢れ、内気で臆病な青年』と思っていた


ロマノスは7代皇帝アンドレアスの息子だ。
自分の領地エピロスから各地に檄文を送り、ラスカリス正統皇帝に力を貸してくれと必死に訴えた。

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カトリック皇帝ベレンゲー=ルナールの支配を嫌う帝国諸侯の多くが檄文に応えた。

5万という大反乱軍を率いたロマノスは、アドリアノープルの会戦でベレンゲー=ルナールを打ち破り、これをエピロスの牢獄につないだ。こうしてバルセロナ朝ビザンツは1代限りの夢に終わった。

ふたたび強大な正教帝国として復活したビザンツ。
その隣国シチリアの摂政として、オードは何をすべきか/何ができるかを考えた。

●ラテン帝国への援助
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 ラテン皇帝レーモン2世帝は妹オードの援助により
 ビザンツ領トラケシアを奪取した
 
まず、オードの実家でありシチリアの同盟先であるラテン帝国フランドル家に資金を送り、ビザンツに競り負けない国力を維持させる。
 
ロマニアを分割支配する4家(ラスカリス、フランドル、オートヴィル、バルセロナ)のうち2家が団結すれば、そこそこ帝国に対抗できるはずだ。

●未回収のロマニア併合
オードの夫ブーヴ・ドートヴィルはいくつもの請求権を使わないまま死んだ。これらを可能な限り活用し、ロマニアにおけるシチリア王国の領土を拡大する。

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・フィリッポポリス(アドリアノープル公国)
・セレウキア(ルム朝)
・スポレト(教皇領)
・南エピロス(ビザンツ帝国)
・カプア(ヴェネツィア共和国)
が標的となった。いくつかの戦役と交渉を経て、これらは1416年までにシチリア王国に編入された。
 
人々はこの強引な拡張政策を見て「オートヴィル家はキリスト教世界に4つ目の帝国を打ち立てるつもりか」と皮肉を言った。

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 1410年、聖座ローマを包囲するシチリア王軍
 対立教皇ハドリアヌス5世を擁するオートヴィル家にとって
 もはや教皇など隣国の1司教にすぎない

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 南エピロスをロマノス5世皇帝から奪う宰相ド=リューカ
 正面衝突だとまず勝ち目はないが、
 ハンガリーとのトレビゾンド戦争の合間をうまく突いた

●宮廷
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宮廷内はどうか。
 
まず、息子のタンクレード2世はきわめて慎重な少年に育った。
穏やかにふるまっているようで、腹では何を考えているかわからない。教育を担当したド=リューカ卿も彼にはずいぶん手を焼いたようだ。

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 1414年、成人したタンクレード2世
 俊敏、勇敢、「卓越した交渉者」に育った

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オードは息子の妃としてフランドル家のサラジーネ姫を選んであった。
兄レーモン2世帝の第1皇女で、オードにとっては姪にあたる。この結婚でフランドル家とオートヴィル家の紐帯はよりいっそう強固になる。

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 イングランド王太子 プランタジネット家のアルフレッド

娘のアリソンは西方皇帝のアスカーニエン家へ輿入れする予定だった。しかしこれは諸事情により破談した。そこで、まだ若いプランタジネット家の王太子アルフレッドと縁組することになった。

イングランドは安定した王国であり、フランスの1/3と聖地パレスティナを押さえている。文化も近く、頼れる縁戚といっていい。

「我々に与えられた時間は限られている。打てる手はすべて打っておくのがよい」

オードは何かの焦りを感じていたのか、よく臣下たちにそう言っていたという。

ルーシからサヘルまで 
主の1417年7月、キリスト教世界は驚きの渦に包まれた。
 
シチリア王タンクレード2世ドートヴィルが親政を開始し、同時に東方皇帝の至上権を受け入れたというのだ。

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 1417年、さらに拡大した東方帝国

またもや地図は塗り替えられた。
シチリア王国はラスカリス朝の喉に刺さった巨大なトゲだった。そのシチリアが帝国に加入したことで帝国の中央部がしっかりつながった。

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南ルーシのステップからニジェール河のほとりに至るまで、すべての王侯が双頭の鷲旗に忠誠を誓った。かのユスティニアヌス大帝にせまる偉業だ!

だが、帝国の実態はそんな雄壮なものではなかったと言われている。

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 1417年、帝国内勢力図
 茶:バルセロナ家(先帝、アラゴン王)
 薄緑:オートヴィル家(シチリア王)
 紫:ラスカリス家(皇帝)10領にも満たない

ロマノス5世は帝位簒奪者ベレンゲー=ルナールを捕らえ、いまだにエピロスの宮殿に監禁している。
だがバルセロナ家の所領にまでは手を出せない。ベレンゲー=ルナールを推戴した帝都周辺のバタツェス家やガヴァラス家がアラゴン王臣にとどまっているからだ。そのためバルセロナ家は依然として帝都コンスタンティノープルを押さえ、帝国領の5割を確保している。

そして恐ろしいことに、彼らはラスカリス朝8代コンスタンティネの血筋として、いまだに帝位請求権を持ち続けている。いつまた反乱が起きて、天秤がひっくり返るか解らないのだ!

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 ロマノス5世の主要な臣下/
 帝都総主教アレクシオス、
 シチリア王タンクレード2世、
 アラゴン王ベレンゲー=ルナール、
 世継ぎのクレタ公エリアス・ラスカリス

 
そこでオートヴィル家である。
オートヴィル朝シチリアの帝国加入は、この圧倒的な力を誇るバルセロナ家に対するカウンターだ。帝国宮廷のギリシア人たちは昔からこのやり方には通じていた。ラテン人をラテン人で制するのだ。

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もちろん異論はあった。

「歴史上、わずかな例外を除いて常にオートヴィル家は帝国と敵対してきた。こんな連中は信用できません」
「彼らはつい数年前にも皇帝直轄領の南エピロスを強奪したばかりではないか!」

しかしロマノス5世は次のように事情を語って、疑い深い廷臣たちを納得させた。

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 ベレンゲー=ルナールとタンクレードの関係 -82

アラゴン王とシチリア王の関係は相当に悪い。性格の不一致に加え、摂政オードがベレンゲー=ルナールのキエフ遠征に兵を出さなかったことがかなり響いている。

それにシチリア王国がルム朝からセレウキア領を奪取したことで、シチリアとアラゴンは小アルメニア公位をめぐって争う間柄になってしまった。
とどめに、ベレンゲー=ルナールがシチリア王位を欲しがっているときたものだ。

「2人の王が同盟して皇帝に反逆する可能性はきわめて低い」
 
それがロマノス5世の結論だった。

皇帝はオートヴィル家をバルセロナ家の押さえに使いたい。
オートヴィル家はオートヴィル家で、ビザンツ帝国から攻撃されない立場にいたい。
シチリア王国の帝国合流には、こういったさまざまな事情がからんでいたと言われている。

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 『クロパラテス』称号を皇帝から授かるタンクレード2世
 曾祖父ギヨーム4世ドートヴィルもこの爵位を受けた

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 皇統復活、帝国拡張の偉業を成し遂げたので
 ロマノス5世は『大帝』と呼ばれた
 この二つ名はテオドロス3世ラスカリス以来

バルセロナにて
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1418年の暮れ、シチリア王妃サラジーネ・ファン=フラーンデレンは初子を産んだ。
この子はオートヴィル家の伝統に従ってギヨームと名付けられた。王位についた暁には『ギヨーム5世』と呼ばれるだろう。

各地から祝いの使者が到着した。彼らは土地の産物や金品を携えてテッサロニキを訪れ、それなりの返礼の品とともに主君の宮廷に戻っていった。

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 地中海最強国の王都バルセロナ

だがバルセロナからやってきた使者は特別だった。
アラゴン王ベレンゲー=ルナールの名代としてやってきたバルセロナ家のアルフォンス王子は、ジェノヴァの商船隊を借り切って故国へ帰るはめになった。それほど返礼の品が多かったのだ。

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 タンクレード2世は甥にあたるアルフォンス王子を歓待した
 1137万ドゥカートの贈り物は王の全資産の20%に相当

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1422年、アラゴン王ベレンゲー=ルナールはエピロスの宮殿に囚われたまま死んだ。
 
一度は皇帝にまで昇りつめた男の葬儀はごく簡単に行われ、遺骸だけがバルセロナに送られてきた。カタルーニャの民はこの王を愛していたので、 改めて行われた葬儀には王国各地から数えきれない人々が集まったという。

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 新アラゴン王 アルフォンス7世
 シチリア王タンクレード2世(叔父)との関係 100
 皇帝ロマノス5世(主君)との関係 -86

 
長男のアルフォンスが後を継いで王となり、彼は『アルフォンス7世』を名乗った。

タンクレード2世は甥の即位祝いとして係争中のセレウキア領を贈ることにした。ずっと続いていたシチリアとアラゴンの領土争いはこれで丸く収まった。

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 アラゴン王に引き渡されたセレウキア領
 ノルマン人の伯ゴーフリドが引き続き治める
 この贈与は両王家の関係を大きく改善した

アルフォンス7世もまた父王を愛していた。
彼は父がカトリック司祭の終油を受けることも許されず獄死したと聞いてひどく悲しんだ。そして悲しみの深さと同じだけ皇帝を憎んだ。

その様子を見ていた母フレセンダは息子にこう言った。

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 アルフォンスの母后 フレセンダ・ドートヴィル
 タンクレード2世の姉

「息子よ。ラスカリスに父を殺された恨み、おまえが必ず晴らしなさい。そのときは私の弟が力になります」

それからしばらくして、フレセンダはテッサロニキに向けて手紙を書いた。手紙は厳重に封をされ、夜明けとともにギリシア行きのガレー船で送り出された。


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