Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

Paradox Interactive, Crusaderkings2, AAR

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パトラス宮廷にて、1人の密偵がギヨーム伯に報告をしていた。
伯領の継承について封臣が持つ意見を調べてきたのだった。

「——というわけで、お世継ぎであるアヴェイス様への支持はほとんどありません」

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 ビザンツ帝国アカイア伯ギヨーム・ドートヴィルと妻エリア
 第一称号は一時的にリュキア伯になっている

ギヨームは難しい顔をして報告を聞いていた。
「その理由は?」
「ええ、その……やはりアヴェイス様が国外においでなのが条件として厳しいかと」

報告者は慎重に言葉を選んで話をした。
ギヨームを怒らせたが最後、命はないと知っていたからだ。

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 1315年、アカイア伯領継承順(選挙法)
 アヴェイスをテッサロニキ女公にしたが、依然としてアンドラヴィダ市長メレティオスとオーブレー・ドートヴィルが上位を押さえる
 
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 1323年。オーブレーを排除したが、アヴェイスの継承順は上がらないどころかレースから脱落

どうしてこうも市長たちが大きな顔をするようになったのか?
その答えは都市政策にある。

ロジェの代からオートヴィル家は都市とその収益を重視してきた。いまギヨームの配下には3人の市長がいるが、それぞれが3つから4つの都市を統治している。

市長や司教に複数領地を与えることで家臣数を抑えるというやり方なのだが、これは主従関係がいいときはうまく行く。だがいったん関係が壊れてしまうとこれほど選挙法継承と相性の悪いやり方もなかった。市長たちはこぞって有力な商人仲間に投票し、国外にいる当主の娘などまったく無視されてしまうのである。

「ひとつ聞きたい。アヴェイスを支持している者は何人いる」
「1人です。彼女を推薦しているのはギヨーム様、あなただけです」
「オートヴィル家はそこまで嫌われているのか」

報告者は無言をつらぬいた。
何を言っても命が危ないのなら、黙っているほうがまだましだ。

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一方、ギヨームは爪を噛んで考えにふけった。
このままではアンドロヴィダ市長メレティオスがアカイア伯領を継承し、ビザンツ皇帝直属の都市共和国となってしまう。父フレリーが血を流して切り取った伯領がまるごと失われるのだ。

メレティオスたちを殺すか?
しかし相手は都市や聖堂の参事会で選ばれたれっきとした市長・司教だ。彼らを殺しても後任者が継承リストに居座るだけだろう。それでは意味がない。

オートヴィル家にはアヴェイスのラテン帝国テッサロニキ公領が残るから、別に無一物になるというわけではない。しかしどうにかできないものか。

執念のカラブリア
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 ヴェネツィア商人からカラブリア公位を奪還!

主の1323年3月。
ギヨームはレッジョ共和国のドージェが僭称していたカラブリア公位を我がものとして宣言した。

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 オートヴィル家がこの称号を帯びるのは実に43年ぶり

レッジョは1318年にヴェネツィア共和国から独立している。5年の年季があけて、この称号を簒奪できるようになるのをギヨームは待っていた。

ギヨームが持っているのはカラブリア地方のうちコセンツァ領だけだ。1/2しか領有していないので簒奪合戦になる恐れがある。そんな不安定な公位を今なぜ取ったのか?

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答えはこうだ。
伯から公に昇格することで、継承法がリセットされて親族内での分割継承(gavelkind)になる。この時点で市長や司教は継承レースから排除される。すばらしい。

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カラブリア公位は長女アヴェイスに与えられる。ラテン帝国テッサロニキ女公としての彼女の地位に変化はない。

アカイア伯領、つまりギヨームが現在保有する全領地は後妻エリアとの間にできた次女アデル・ドートヴィルにいく。アデルはアカイア女伯として姉アヴェイスの臣下となる。

オートヴィル家にとって特別な称号であるカラブリア公を宣言することで、市長・司教の介入を防ぎつつ、オートヴィル家の領土を保ち、しかも公領としての統一を保持できるというわけだ。

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しかしアデルのアカイア伯領に大きな力を持たれても困る。そのためジェルジェンティ、ベネヴェント、フォッジアなどの都市に特権を与えて都市共和国化しておいた。アデルの直轄領を前もって9領から4領に減らしておいたことになる。

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アヴェイスはすでにテッサロニキ公臣の一人と母系結婚している。一方、アデルはブルガリアのアセン家次男ディオニシイと母系結婚させた。これでどちらもオートヴィル家として継承されるはずだ。

「カラブリア公位だけじゃなく、教皇が持っているスポレト公位も取ってやりなさいよ」
けしかけてくる妻エリアにギヨームはこう答えた。
「さしあたって教皇と事を構えたくないのでな。5年の年季があけてカラブリア公位を再簒奪されそうになったら、そのときスポレトを取ればよい」

継承問題をうまく処理したのでギヨームはきわめて満足していた。 

第3次ルム戦役
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 ノルマン重騎兵の突撃を受けるセルジュク騎兵

帝国は1319年からトルコ人との戦役を戦っていた。
1323年にはギヨームの領地リュキアが占領され、ルム朝は戦略目標の4割弱を達成している。

ルム朝が仕掛けてきたのは全ギリシア地域に対する聖戦だ。ギリシア地域は帝国の中核であり、ここを失うとあとにはクリミアやエデッサ、南イタリアしか残らない。

敗北は帝国の実質的消滅を意味する。それでは困る。ギヨームは女帝エウフロシネには何の恩義もなかったが、帝国軍としてカラブリア十字旗のもと出兵した。

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ギヨームはほとんど戦場に出たことがなかった。
宮廷で陰謀をめぐらす陰険な老人と思われていたギヨームだが、率先して前線に進撃したことで彼の評判はすこしだけ良くなった。以後ギヨームのことを「臆病」呼ばわりする者はいなくなったという。

1327年、カラブリア公軍はキュビライオトン地方を掌握した。敵軍の戦果を2割程度まで押し戻し、勢いづいた帝国軍は反撃を開始した。

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 1327年1月の戦線 ルム朝主力12000(オレンジ)を追跡し、
 皇帝軍主力(黄色)とともに挟撃を試みるも失敗

戦線は一進一退で推移していた。
ルム軍12000がギヨームの目の前でボスフォラスを渡り、コンスタンティノープルを包囲したとき、ギヨームはあえて主力同士の決戦を避けた。

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そのかわりニコメデイアで街道を封鎖し、小アジアからの補給を断って小さな戦勝を重ねる作戦に出た。この作戦は当たり、1328年1月にはルム朝はそれまでの戦果をほとんどすべて喪失した。

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だが老体をおしての戦役参加はギヨームの身体に大きな負担を強いたようだ。同じ頃ギヨームは熱病に倒れてニコメデイアの施療院に運び込まれている。

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2月17日、ギヨーム・ドートヴィルは施療院で息を引き取った。
55歳だった。
最後の言葉は「主に会うのがおそろしい」だったという。

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 テッサロニキ女公アヴェイス・ドートヴィル
 晴れてカラブリア公領を継承

この継承によって次のようなことが起きた。
まず、帝国外からの継承のためカラブリア公領は自動的にビザンツ帝国を離脱。ルム朝との戦争は終結した。

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そしてテッサロニキ公国は1325年からラテン帝国に対する独立戦争を戦っていたので、自動的にラテン皇帝との戦争に突入。すでに1割近く負けこんだ状態からのスタートである。

テッサロニキ公国として独立したままやっていくか。
それとも他国の傘下に入り、保護を受けるか。
道はいくつも用意されている。

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 1328年、3つの帝国
 エウフロシネ・ラスカリナのビザンツ帝国
 ジル・ファン=フランデレンのラテン帝国
 ジモン2世ヴィッテルスバハの神聖ローマ帝国
 
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 1328年、宗教概況。カトリックが依然強い
 しかし正教もルーシやイタリアで巻き返している

小さな間違い、わずかな油断が破滅を招く。
3つの帝国、2つの宗教、正解は1つ。
テッサロニキのアヴェイスはこの乱世をどう泳ぎきるのか。

ニケタスの乱
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 アンテミオス・ラスカリス
 皇位継承から遠く離れた分家の人間で、
 対セルジュク辺境ヘラクレイアで密偵頭をしていた

主の1306年冬、帝国諸侯が一斉に蜂起した。
叛徒はコンスタンティオス3世帝を廃し、61歳のアンテミオス・ラスカリスを帝位に据えよと要求していた。

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 皇帝の強圧的な統治は各地で反感を呼んでいた
 ギヨームの息子タンクレッドも
 アルメニアコン公位を返上させられている

アカイア伯ギヨーム・ドートヴィルは反乱側に知り合いが多かった。特に反乱指導者カリポリス伯ニケタスは同族だったので、互いの宮廷を行き来することもあった。

「ギヨーム、同族のよしみで力を貸してくれ。かならず礼はする」
 
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 カリポリス伯ニケタス・ドートヴィル
 3代前にギリシア化したオートヴィル分家

しかしギヨームはこれを黙殺した。
「この愚か者め」
彼はつくづくニケタスに呆れていた。

ビザンツの宮廷政治に手を突っ込むなど、新参貴族が絶対にしてはならない事の代表である。「つまらん陰謀で一族を危機にさらすな」と怒鳴りつけてやりたいが、もう遅い。

ギヨームは皇帝を好きではなかったが、彼を戦で退位させられるとも思っていなかった。

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 ニケタスの乱(1306-1308) 白枠は反乱軍
 ロードスのタンクレッドの摂政は反乱側についた
 ギヨームはアカイア公ヨアネス・ガヴァラスの臣下だったが、これに反逆して皇帝に忠誠を誓い直した

反乱にはヴァタツェス家、ガヴァラス家などの有力諸侯が参加した。そして息子がいるロードスの摂政が反乱側に回ったのを見て、ギヨームの怒りは頂点に達した。

「ギリシア人の阿呆どもが……。ロードスは俺の息子の国だ。あいつはこれから大きな継承を控えてるんだぞ!」

反乱者は投獄され、領地を奪われるのが常だ。
いったい息子はどうなるのか。ギヨームは皇帝の招集に応じて鎮圧軍に参加したが、内心気が気でなかった。

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1308年秋、内戦は終わった。
ニケタス・ドートヴィル、デメトラ・ガヴァライナなどギヨームの親戚を含めた多数の貴族が入牢した。

皇帝側についたギヨームに配慮したのか、コンスタンティオス3世は息子タンクレッドの領地は男爵領をひとつ召し上げるだけで済ませた。だがまだ7歳の息子本人は、人質としてコンスタンティノープルへ連れ去られてしまう。

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 囚われの身のタンクレッド

「オートヴィルの忠義を疑うものではない。しかし、いざというときの備えがあって初めて君主は心安らかでいられるのでな」

皇帝の言葉にギヨームはうなずくしかなかった。

コンスタンティオス3世のイタリア遠征
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主の1310年、皇帝は諸侯を招集し、南イタリアに侵攻した。
サレルノ市とタラント市がヴェネツィア共和国に反旗を翻していたので、これを横から分捕ってやろうというのだ。

皇帝に誠意を示すいい機会だ。
ギヨームは招集に応じて従軍し、南イタリアの諸領を転戦した。

翌年の春、「戦況は帝国に有利だ」と判断したギヨームは、アカイア伯として独自にヴェネツィア共和国に宣戦。共和国領レッチェを請求した。

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 1311年7月16日、レッチェの会戦
 オトラント海峡からはセルビア傭兵5500が上陸中

レッチェを奪還することで、ギヨームはオートヴィル家代々の称号である『アプリア公』を宣言することができる。レッチェは曾祖母アルビニアゆかりの地であり、代々のオートヴィルが投資を重ねてきた州だ。ここはどうしても押さえておきたい。

9月、皇帝はサレルノ市と講和。
サレルノ、タラントの2州は帝国領に編入された。300年ぶりにサレルノに入城した東方皇帝を人々は棕櫚の葉を振って迎えたという。

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よく戦ったギヨームには皇帝から『クロパラテス(en)』という爵位が授与された。今ではありふれた将軍職のひとつにすぎないが、かつてはグルジア、アルメニアなどの非ギリシア人王侯に与えられた格式ある帝国爵位だ。

だがギヨームは副将にこう漏らしたという。
「爵位など、豚か宦官どもにくれてやるがいい。俺はそんなものよりレッチェが欲しい」

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 1313年1月の戦線
 敵の増援が到着したレッチェを泣く泣く放棄
 部隊をコセンツァに後退させた

1313年が明けてもまだ戦は続いていた。
皇帝軍が撤退したあと、共和国はじわじわと各地から傭兵を送り込んできた。そしていつのまにかアカイア伯軍のほうが劣勢に立たされていたのだ。

ギヨームは現実を認めるしかなかった。
独力ではヴェネツィアに勝てない。

参戦する時期が遅すぎた。
たったひとつの海洋共和国相手にビザンツ帝国が手こずるわけがないのだ。様子見などせず、皇帝が南イタリアへ侵攻すると同時に、さっさとレッチェの包囲を始めるべきだった。ギヨームは歯嚙みしつつ、ヴェネツィアに白紙和平の使者を送った。

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 「哀れなギヨームよ。西はアイルランドから東はキタイに至るまで、貴殿のぶざまな戦いぶりは語り草になっておるぞ。あはは、よかろう。和平を受け入れようではないか」

ドージェの嫌味たっぷりの返答を読んで、ギヨームは悔しさのあまりしばらく夜も寝られなかったという。

苛立ち
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よくない知らせが続く。
ボヘミア王妃にしてヴェローナ女公、アンコナ領主のユッタ・フラメンスが神聖ローマ皇帝に反逆したという報告があった。

ヴィッテルスバハ皇帝家の地位は盤石なので、これに反逆して成功するとは考えられない。王妃ユッタはまず公位の剥奪はまぬがれないだろう。そうなれば将来のプシェミスル家継承計画にも影響が出てくる。

「まったく余計なことを……。俺の息子が継承する領地を減らすんじゃない」
傍目にも解るほどギヨームは苛立っていた。

悲報

そして1313年5月。
ギヨームを徹底的に打ちのめす知らせがコンスタンティノープルから届いた。

『ロードス伯タンクレッド・ドートヴィル、
皇帝宮殿に囚われたまま死亡!』

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 まだ12歳 あまりのことに言葉がない

なぜ、うちの息子だけが。
ほかの貴族たちは順次解放されていたのに。
蒼白になったギヨームはもう誰の声も聞こえないようだった。彼は黙ってパトラス城の礼拝堂に籠った。

皇帝への恨みは不思議と湧かなかった。
ただ心の中にぽっかりと穴があいたようになってしまった。
『このとき、ギヨーム・ドートヴィルはその魂の幾分の一かを永久に失ってしまった』と同時代の史家は書き残している。

タンクレッドが生きていてこそ、多彩な婚姻政策も可能だったのだ。もうプシェミスル家のボヘミア王国も、キプロスも、フランドルも手に入らない。ギヨームの立案した継承計画は完全に破綻した。

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もし妻のエモニー・ドートヴィルがもっと長く生きていたら。
タンクレッドが幼くしてロードスを継ぐことはなく、ロードス領はニケタスの乱に加わらなかったかもしれない。タンクレッドは人質に取られることもなく、病にもかからず……。
いや、無益な空想にふけるのはよそう。

主はすべてを見そなわす。我々にできるのは愛と義に従って生きることだけだ。その結果は全能の御手にゆだねるばかりである。

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 長女アヴェイス・ドートヴィルがロードス領を継承
 エモニーの面影を残す黒髪の佳人に育ったが、
 「弱気、酷薄、強欲、憤怒」は後継者としてかなり不安


女帝の時代

1317年4月、コンスタンティオス3世ラスカリスが崩御した。貴族と臣民に憎まれながらの死だった。

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 エウフロシネ・ラスカリナ ラスカリス朝5代皇帝 

遺言通り、コンスタンティオスの皇女エウフロシネが帝座についた。先帝の圧政から解放されたと感じた人々はこの若い女帝を諸手を上げて迎えたのだが……。

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 エデッサ1州のためにエウフロシネは聖戦を宣言した

エウフロシネの治世はきわめて不安定な状態で始まった。
貴族の支持もないのに王権を強化しようとしたり、わずかな領土のためにイル汗国とケラク朝エジプトに戦争を仕掛けたりした。こういった無茶な政策を次々に実行したせいで、女帝から人心が離れるのはきわめて早かった。

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 同時多発する陰謀の嵐
 6つもの派閥が帝国宮廷にうごめく
 
01
 帝都コンスタンティノープル総主教すらも
 エウフロシネ排除の陰謀に加担したという

しかしギヨームはいずれの派閥にも与しなかった。
もちろん息子の復讐を望む気持ちは強かったが、テッサロニキ公領の継承を控えて下手な動きができなかったのだ。

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 外交力習得ノルマ達成。耐えに耐えたこの時期、
 ギヨームの外交力はかえって鍛えられたという

けりをつける
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 テッサロニキ女公ロドヴィカ・アレラミチ
 60代後半にさしかかり、政務が取れない状態にあるが
 まだまだ死ぬ気配はない

ギヨームはかつて練った計画を再考していた。
標的はテッサロニキ。プシェミスル家のボヘミア継承計画が泡と消えた今、オートヴィル家は何が何でもアレラミチ家のテッサロニキを手に入れる必要があった。
それも、確実に。

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 密偵頭ハシム・マスーフィ
 テッサロニキに諜報網を構築中

この頃、ギヨームは異教徒家臣のハシム・イブン・アブーバクル・マスーフィを密偵頭に据えている。ハシムはオートヴィル家の女性と結婚しており、ヴェネツィアがイタリアからマスーフィ朝を追い出した時、妻と共にパトラスへ亡命してきたらしい。

記録によればハシム・マスーフィは俸給分の仕事をしたようだ。

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1318年10月、テッサロニキ女公ロドヴィカとその継承者テクラ・ドートヴィルが相次いで殺された。

テクラを殺した犯人の一人が拷問でアカイア伯ギヨームの名を出したらしいが、ギヨームはこれを根拠のない中傷として否定した。

Saloniki Macedonia Medieval 2
 『帝都に等しき町』と呼ばれたテッサロニキ

ギヨームの娘アヴェイスはロードスを発ち、テッサロニキにて堂々たる入城式を執り行った。かつてドゥーカス家、コムネノス家、アンゲロス家が受けた名誉ある冠が、同じようにオートヴィルの娘に与えられる。

しかし、新しい女公を迎えるテッサロニキの民の視線は冷たかった。 

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 アヴェイス・ドートヴィル
 ラテン帝国テッサロニキ女公にしてギヨーム後継者
 ロードスでギリシア式教育を受けてしまったようだ

「お父様。わたし、怖くてしょうがない。
民は宮殿を囲んで『ノルマン人は去れ』と日夜叫んでいるし、廷臣たちは敵意を隠そうともしない。

わたしは『殺人者の娘』と言われているわ。だから殺されても当然だって。そうかもしれない。わたし毎朝目が覚めるたび、自分がまだ生きているのに気付いて安心するの。
わたしロードスへ帰りたい。こんなの、もう耐えられない」

ギヨームは娘を安心させるように言った。 
「大丈夫だ、アヴェイス。俺が守ってやるから大丈夫だ。それにおまえにはモンテガルガノの聖ミカエルの加護がある。安心して自分の国を統治するがいい。誰にも邪魔はさせん」
「……」
アヴェイスは何か恐ろしいものを見るような目で自分の父親を見たという。

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翌年6月、ギヨームの兄オーブレーも謎の死をとげた。
自分の妻と娘が殺されたとして、皇帝に訴え出ている最中の出来事だった。

「ギヨーム伯は兄の復讐を恐れたんだ」
「いや、オーブレーはアカイア伯領の継承順でアヴェイスより上にいた。復讐を企もうが企むまいが、排除しないわけにはいかなかったんだ」
「あの男はもう何人も殺してる。いまさら一人増えたって同じさ」

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 「親族殺しのギヨーム」の噂は広がるばかり
 
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 赤線はギヨームによる暗殺
 計8人の死者の上にアヴェイスのテッサロニキ継承がある

「これでやっと安心できる。あとは俺がきちんと伯領を娘に渡してやればいい」

彼はそう言って領内で宴を開かせたが、誘いに応じる者は多くはなかった。ギヨームの回りからは一人、また一人と古い友人が去っていた。彼らはみな一様に「ギヨーム・ドートヴィルは変わった。昔はあんな男ではなかった」と語ったという。


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