Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

Paradox Interactive, Crusaderkings2, AAR

1301年の待降節のことである。
マルコというヴェネツィア人がパトラスに寄港した。はるか東方の『キタイ』から帰ってきたという触れ込みだったので、興味を持ったギヨーム・ドートヴィルはマルコを呼んで話を聴いた。

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「その国はバグダードよりも遠いのか」
ギヨーム・ドートヴィルは自分が知っているうちで一番遠い町の名をあげた。

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 ヴェネツィア人マルコ
 
「十倍も、二十倍も遠いですね」 
「その都はコンスタンティノープルのように栄えているか」
「はるかに栄えています! 都には百万の民が暮らし、皇帝の蔵には百万の金塊が収められています。それに、家々の屋根は黄金で葺かれていました」

マルコは熱をこめて東方の繁栄ぶりを語った。

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 ギヨームは自分が理解できる範囲で東方事情を聞き出した
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 モンゴル人のハーンはがっしりと東方を押さえている
 アイユーブ朝は内乱を経てケラク朝(シーア派)に交代
 マグレブ諸国(緑字)による対ヴェネツィア聖戦が進行中

「実にヴェネツィア人らしい男だな」
 
客人が退出したあとで、ギヨームは妻エモニーにそう語った。

「あいつは『百万』『百万』と派手なことを言うだけだ。実のある情報はほとんど出さなかった。彼が実際にキタイに行ったかどうかは知らん。だが旅先で見た本当に重要なものは、共和国政府にしか報告しないはずだ」

オートヴィル家は共和国の敵だ。ヴェネツィア人は本当の情報を敵に渡したりしない。結局、ギヨームはうさんくさい話で煙に巻かれただけだった。

テーブルの下で蹴り合う
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当時ヴェネツィアはカリフに聖戦を挑まれていた。
カリフといっても往時の権威はない。シーア派のケラク朝によってカリフはエジプトを追い出され、スンナ派はマグレブ西部の地方宗派と化していた。

しかし、モロッコのアミン朝とチュニスのマスーフィ朝、サハラの向こうからはソンガイ朝がカリフの招集に応じた。

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 ムワッヒド家のカリフ、カマル2世
 スンニー復興をかけてマグレブ諸国軍を招集した 
 
教皇クレメンス4世は対抗十字軍を呼びかけた。
もちろんギヨームは静観した。ヴェネツィアの味方をする気はさらさらなかった。異教徒がヴェネツィアを弱らせてくれれば、あとでオートヴィル家がやりやすくなるというものではないか?

敵の敵は味方だ。ギヨームはマスーフィ朝と連絡をとり、100万ドゥカートに相当する秘密資金援助までやっていた。

汚いやり方ではある。十字軍の敵を応援するというのだから、すなわち全キリスト教徒への裏切りに等しい。しかし父親までの世代と違い、策謀渦巻くビザンツの空気の中で育ったギヨームにためらいはなかった。

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 オートヴィル家、初の破門

向こうもやられて黙っているわけがない。
共和国カラブリア総督ディ=キアラモンテの誓願により、クレメンス4世がギヨームを破門した。もっともらしい理由を述べてはいるが、要は資金援助に対する制裁である。

オートヴィル家はつねに保守的な教皇派だった。そのオートヴィルの家長が破門されるとはよっぽどの事だ! 正教徒家臣はこの事件にまったく動じなかったが、カトリック家臣たちは激しく動揺した。

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しかしローマに駐在するノルマン人枢機卿エランド・ド=クロトンの努力により、数ヶ月で破門は解除された。ヴェネツィア寄りのクレメンス4世を納得させるため、帳簿に載らない多額の金が動いたという。

ギヨームはこの枢機卿エランドをきわめて信頼していた。事件のあと彼は宮廷慈善官に任命され、特別の俸給を受けている。

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 聖庁にて一進一退の外交戦を繰り広げる枢機卿エランド
 この後数度にわたって共和国の破門攻勢を防ぐ

このほかにもお互いの領地の請求権を取り合ったりして、オートヴィル家とヴェネツィア共和国は絶え間ない冷戦状態にあった。同時代のフィレンツェの歴史家ヴィッラーニはこれを『テーブルの下で足を蹴り合う二人の男』と表現している。

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 1306年、ジハードは失敗に終わる
 資金援助の甲斐なくマスーフィ朝は敗北
 ヴェネツィア共和国は西地中海航路の安全を確保した


汝結婚せよ、オートヴィル家
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 フレリーという名を提案されたが、タンクレッドと名付ける
 一族の由緒ある名前である


ギヨームには二人の子があった。
長女アヴェイスと長男タンクレッド。彼らのうちどちらかがアカイア伯領を継ぎ、また母方のテッサロニキ公領を継承するのは先に述べた通りだ。

婚姻政策は先の先を考えないといけない。
次にどこを狙うか。
 
ギヨームは女子が相続人になっている他家の情報を集め、伯領顧問団と共に検討に入った。

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 尚書長、フォッジアのブルーノ

「私はガヴァラス家を勧めます。伯の母君プルケリア・ガヴァライナ様の御実家ですな」
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「ガヴァラス家のキビライオト公領、キプロス公領は帝国内にあり、パトラスからの連絡が容易です。しかしルム領、セルジュク領をはじめとするトルコ人君侯と正面から対峙することになるのは、この案の欠点でしょうな」

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 密偵頭、ヒメリオス主教

「私はプシェミスル家がよいと思う」
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「彼らはボヘミア王国、ヴェローナ公領、アンコナを有する。称号の格、領地の広さは文句なしだろう。それに神聖ローマ帝国を戦争で削るのは困難だが、この案ならそれができる。しかしドイツ諸侯の請求権争いに巻き込まれる危険があることは覚えておいて頂きたい」

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 連隊長、兄オーブレー・ドートヴィル

「ギヨーム、フランドル家はどうだ」
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「ラテン皇帝の縁戚だぞ。彼らのフランドルおよびトゥールーズ公国は、分裂したフランスにあってきわめて安定している。ヨーロッパで一、二を争う豊かな領地だ。パトラスから遠いのは確かだが……」

議論は連日深夜にまで及んだ。

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「プシェミスル家にしよう」
長い検討を経て、ギヨームはそう決断した。
 
もちろんボヘミア王位も魅力的なのだが、プシェミスル家のヴェローナ公領はライバルのヴェネツィア共和国の後背地である。ここを手にすればかなり有利な戦いができる。また、神聖ローマ皇帝に奪われたアンコナ港を回収できることも大きかった。

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プシェミスル家の子供は双子で、王女ドブラフカに継承権がある。そこでオートヴィル家の長子タンクレッドは王女ドブラフカと婚約し、

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長女アヴェイスはボヘミア王子フセボルと交叉婚約という運びになった。両家の主だった者はプラハの都に集まり、数週間に渡って盛大な祝いの宴が張られたという。

うまくいけばタンクレッドとドブラフカの子供は王になり、オートヴィル家はプラハからアドリア海、ギリシアにわたる国々に君臨するだろう。

どれほどの栄光が家系にもたらされることか!
ギヨームは名高いボヘミアの麦酒に酔い、朝まで踊り明かしたという。

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だが突然の悲しみがギヨームを襲った。
主の1303年2月、愛する妃のエモニー・ドートヴィルが急逝してしまった。まだ21歳だったというのに……。

近頃はやりの天然痘ということだった。これにかかると二目と見られぬ容貌になってしまう。伝染力が強く、罹患した者の多くは死んだ。美しかった妻の手に触れることも許されず、ギヨームは涙ながらに亡骸を葬った。

このエモニーの早すぎる死は後々になって影響を及ぼしてくる。

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 まだ2歳の長子タンクレッドが母の称号を継ぐ
 ロードス領主、アルメニアコン公


砂漠の女騎士
1304年、モンゴル人がパレスティナを征服した。
ケラク朝の有力諸侯だったイベリン伯は当地を追われ、正妃の実家があるウィーンへ逃亡。伯の側室だったアデル・ドートヴィルとその妹エリアは同族が支配するパトラスに亡命を望んだ。二人はギヨームのいとこにあたる。

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 女ながら聖戦士の称号を持つエリア
 パレスティナで鍛えられたのか、心身ともに強健

喪が明けて再婚相手を探していたギヨームはエリア・ドートヴィルに目をとめた。なかなかの女丈夫で、伯妃としての貫禄は十分だ。それに高齢なので子供も生まれにくいはず。ギヨームはあまり継承をややこしくしたくはなかった。

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エリアは結婚に同意し、さっそく式が行われた。彼女は表向きキリスト教徒というふれこみにしたが、実際は生まれついてのスンナ派ムスリムだった。

結婚後、ギヨームは何度も改宗を頼んだが、彼女は信仰を捨てることを断固として拒んだ。それで最後はギヨームの方があきらめた。さすが見込んだ女だけのことはある。


テッサロニキ継承問題

1305年、やっと義母ロドヴィカ・アレラミチがテッサロニキ女公になった。彼女はタンクレッドの祖母なので、当然継承は故エモニー・ドートヴィルを通じて我が子タンクレッドにいくものとギヨームは信じていた。

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 新テッサロニキ女公ロドヴィカ・アレラミチ
 後継者(黄色枠)に注目


しかし実際に後継者として指名されたのは兄オーブレーの娘プルケリアだった。プルケリア、妹のテクラ、そして三番目にやっとタンクレッドがくる。
 
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 なんでこうなってしまったのか
 ロドヴィカ・アレラミチの4人の子と1人の孫 
 番号はテッサロニキ公領継承順位

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 どうせこうなるなら、オートヴィル本家のアカイア伯領も
 オーブレー系で継承しておけばよかったのだ
 本家継承をギヨーム系に切り替えるのが早すぎたようだ

ギヨームは頭を抱えた。
父フレリーが継承を操作しようとして右往左往した結果がこれだ。
 
しかし、今さら兄に「どうぞどうぞ」と家長を譲る気はない。
譲ってたまるか。

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ギヨームは密偵頭ヒメリオスによる報告を思い出していた。
司教ヒメリオスはオーブレーの陰謀を防ぐため2度も殺されかけたという。いったい兄はテッサロニキ公領で何をたくらんでいるのか?

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ギヨーム自身、狩りのときに不審な矢に狙われたことが何度かある。誰かが彼を殺そうとしているのは明らかだった。

ギヨームが死んで一番得をするのは誰か?
オーブレーだ。
彼のアカイア伯継承順位は上がり、娘たちはテッサロニキ公領を継承する。兄の家系のもとオートヴィル家の領地は統合される。
大変結構!

「冗談じゃない」

ギヨームは焦りを感じた。
なんとかして事態の解決をはかる必要がある。

そして彼が当然の結論に至るまでに、そう時間はかからなかった。
「兄とその娘たちは全員アカイア伯領内にいる。彼らの生死は思いのままではないか」

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しかしギヨーム・ドートヴィルには重大な弱点があった。
彼は帝国宮廷で『謙虚、慈愛、公正の人』として通っていた。またそうでなければいけなかったのだ。

オートヴィル家の特徴として、ただでさえ評判の下がりやすい異民族・異教徒の家臣を多く抱えていることが挙げられる。だからギヨームは決して下手な行動を取れない。家臣の評判の低下は反乱あるいは陰謀の応酬に直結する。親族の暗殺などもってのほかである。

では、どうするか?

賭けに出る

主の1306年、ギヨームはオーブレーをパトラスでの宴に呼んだ。
「兄貴、伯領の毒味役をやってくれないか」

伯の暗殺をするのにこれほど適した役職はない。
ギヨームは兄弟争いの手打ちをしようと提案したのだった。

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 将来:オーブレー系オートヴィル(赤枠)と
 ギヨーム系オートヴィル(黄色枠)

ギヨームは兄にこう言った。
「うちにはプシェミスル家のボヘミア王国、ヴェローナ公領が手に入る。『それなら』と俺は思ったんだよ。テッサロニキは兄貴の血筋に任せるべきだと」

領地が他家に渡りさえしなければいいのだ。
次の世代で家系を統合するチャンスもある。

先年、オーブレーの娘プルケリアは謎の死を遂げたが、
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 プルケリアはすでに結婚し他家の男子を産んでいた
 これは許容できない

妹テクラはまだ健在だ。
彼女にはパトラス宮廷のノルマン騎士をあてがい、母系結婚をさせる。

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 独身主義者(生殖-1000%)は婚約拒否されたので、
 同性愛者アボンディオ(生殖-15%)をテクラにあてがう

テクラに子ができれば、テッサロニキはオーブレーの家系のものになる。子がなければ、テッサロニキは改めて継承順2位のタンクレッドのものになる。

兄弟でやる賭けのようなものだ。
賭け金は領地、開帳期間は十数年、ベッドの上ですべてが決まる。
とにかく余計な人死にを出さないことが肝心だった。

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 「愛する弟ギヨームよ、汝に平安あれ
 娘テクラと騎士アボンディオの結婚に同意する」
 
オートヴィル家の兄弟はこの条件で合意した。
二人はがっちりと握手をしたが、ギヨームは退室するとすぐに手を洗った。 
 
「今頃、兄貴も同じように手を洗っているのだろうな」
とギヨームは思った。



戦勝の宴はローマで開かれた。
そしてカラブリア公フレリー・ドートヴィルは唖然としていた。

教皇の裁定はあまりに予想外だった。まっさきに戦地へ駆けつけ奮戦したオートヴィル家に領地は与えられなかった。間違いではない。与えられなかったのだ。ただの1州でさえも。
 
かわりに全領土を得たのはヴェネツィア共和国だった。
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 ドージェ・アンセルモが第5回十字軍の果実を手にした

先の十字軍で創設したラテン帝国が弱体だった反省からか、今回ヴェネツィアは占領地の直接支配を望んだらしい。19年間のムスリム支配に耐えた後でやってきたのは、きわめて強靭な政体を誇る重商共和国だった。

またしても。またしても彼らがオートヴィル家の前に立ちふさがる。
 
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 1274年、ヴェネツィア領シチリア共和国成立
 正直、納得いかない

なぜフレリーは領土を得られなかったのか?
たしかにヴェネツィアも大軍を送り、各地を占領した。だが戦果ということならフレリーも互角以上だったはずだ。王国格のヴェネツィアと公国格のカラブリアの差だろうか? カラブリアが他国の臣下であって、独立勢力でないことが不利に働いた? 理由はいくらでも考えつく。だがそれだけではないように思えた。

いくらカトリックを守り教皇に忠誠を誓い続けてきたとはいえ、今やオートヴィル家は東方帝国の一部だ。南イタリア全土に正教帝国ビザンツの旗が揚がるなど、教皇にとっては受け入れがたい光景だったのかもしれない。

だがどうしてヴェネツィアなのか?
ほかのカトリック諸侯では駄目だったのか?

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 教皇マルケルス2世 ヴェネツィアと手打ちをして
 南イタリアにおける聖庁の利権を確保した

教皇は無謬である。もはや決定は下されてしまったのだ。フレリーは異議を唱えることもせず、無言でローマを立ち去ったという。彼にできることは何もなかった。

「人が認めなくてもあなたの戦いぶりは主が御覧になっています。聖霊のお導きによって、いつかかならず報われますよ」

パトラスに帰り、男泣きに泣く夫をプルケリア・ガヴァライナはこう言って慰めたという。

スルタンの娘

十字軍の結果、マスーフィ朝はイタリアから撤退した。
だが反乱した大守たちとスルタンの戦いはまだ続いている。反乱側についた弟オスウィン・ドートヴィルがスルタンの牢に囚われたことはすでに述べた。

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1277年、スルタン・マフタルの攻撃を受けてオスウィンの最後の領地シラクサが陥落した。オスウィンの妃であったアーイシャ・マスーフィは、オートヴィルの名を持つ娘たちを連れてパトラスに亡命してきた。

アーイシャは先のスルタン、ヤフヤー3世の王女である。
フレリーは威儀を正して弟の家族を迎えた。
「スルターナ、弟はかならず解放されるものと信じております。それまでこのパトラスでゆっくりとお休みください」

だがフレリーは忘れていなかった。
彼女がかつて自分の暗殺を企んでいたことを。

数日もしないうちにアーイシャは子供たちと引き離され、パトラスから遠く離れた山麓の塔に送られた。スルタンの娘に関するオートヴィル家の記録はそこで途絶えている。

アデマール・ドートヴィル

フレリーのもう一人の弟フランクは早死にし、その領地フォッジアは長男アデマール・ドートヴィルが治めていた。だが1278年、スルタン・マフタルがベネヴェント大守領を滅ぼしたため、こちらからもオートヴィル家は追い出されてしまった。

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 アラブ人の母を持つアデマール・ドートヴィル
 どうもオートヴィル家とイベリン家は縁があるらしい


アデマールはオスウィンと違って逃亡に成功し、一族もろともパレスティナのイベリン家の元へ身を寄せた。1243年のイェルサレム王国の滅亡後もイベリン家はアイユーブ朝下で勢力を保ち、イスラームに改宗した元キリスト教徒の集合地となっていたからである。

フレリーは「パトラスへ来ないか。改宗するなら男爵領を与えてもいい」とアデマールに使いを送った。

しかしパレスティナから返事が返ってくることはなかった。まあ、甥っ子が心安く暮らせるのならそれでいい……。

モンゴル人のこと

祖母アルビニア・ドートヴィルの日記にも、東方で勃興したという平たい顔の蛮族のことは記されている。だがその記述はあまり詳しくはない。所詮、彼らは遠隔の地の民であり、オートヴィルの者が刃を交えることはなかったからだ。

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1278年の公現祭の頃である。
チドゥクル・ハーン率いるモンゴル軍がペルシアの向こうから現れ、そのままシリアに進撃を始めた。まさに『イナゴのような』という形容辞がふさわしい大軍であったという。

ビザンツ領シリアも攻撃を受けたため、皇帝テオドロス2世ラスカリスは帝国全地の諸侯を招集。フレリーはギリシア諸侯軍の一員として出撃し、シリアを転戦した。

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 1278年3月1日、ホムスの戦い
 フレリーの部隊はこの戦闘に右翼重歩兵として参加していた

いくつもの激しい戦いが繰り広げられたと伝えられているが、オートヴィル家の年代記はシリア戦役について多くを語っていない。

当主フレリーが五体満足で戦地から帰ってきたこと。
結局ビザンツがシリアを失ったこと。
仇敵だったラテン帝国がビザンツとよく協調して戦ったこと。
太陽を崇める蛮族だったチドゥクル・ハーンが、戦役ののちシーア派に改宗したことが淡々と記されているだけである。

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 キプチャク平原からペルシア、イラク、湾岸がシーアに染まる
 アイユーブ朝旧臣を中心としてスンニーも根強い
 カトリックは十字軍諸侯の勢力下にギリシアを教化したほか
 エジプトとシリアでは有力な信仰であり続けている

公位喪失
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 パトラスを拠点にイタリア反攻計画を着々と進める
 混乱が続く旧マスーフィ大守領を狙い撃ちにし、アプリア、フォッジア、ベネヴェントを回収した

1280年、イタリアで戦陣にあったフレリー・ドートヴィルは新たな怒りに震えることになった。ヴェネツィアのドージェ・アンセルモがフレリーの第一称号『カラブリア公』を簒奪したのだ。

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 オートヴィル伝統の公位をあっさり奪われ、ただの伯に
 妻プルケリアが皇帝からアルメニアコン女公の称号を賜っているため、気をつかって『アルメニアコン公』と呼ばれているのがとても情けない

カラブリア2州のうちカタンツァロはフレリーが所有している。したがってヴェネツィアに対抗して公位を簒奪し返すことは可能だ。だがヴェネツィアは潤沢な資金で何度でも公位を買い戻してくるだろう。こちらにはそんな金はない。つまり、フレリーにはなすすべがなかった。

「あの沼ガエルどもは、どこまで俺の邪魔をする気だ……」

またもヴェネツィアにしてやられ、彼は憤怒のあまり失神しかけたという。これでフレリー・ドートヴィルはただのアカイア伯になってしまった。
 
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 嫁のほうが偉い

後継者

1282年6月、フレリーの長男ロジェ・ドートヴィルが急死した。
そこでロジェの息子ゴーフリドがフレリーの後継者に繰り上がった。しかしゴーフリドが継ぐのは父方のアカイア伯領だけではない。母方のテッサロニキの領地も彼のものになるのだ。

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 フレリーの孫ゴーフリドがこれらすべての領地を相続する
 白枠:父方、オートヴィル家のアカイア伯領
 黄枠:祖母プルケリア・ガヴァライナのロードス領

テッサロニキ公領はラテン帝国の7割を占める大領である。ここをオートヴィル家の領地にできるなら、かのヴェネツィア共和国と正面からぶつかることも可能な兵力が手に入るはずだ。しかし……。

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ゴーフリドは白痴に生まれついた。
ギリシア中の行者を呼んで祈祷を頼んだが、何も変わらなかった。

50歳を前にして初孫が可愛くないわけがない。しかし広大な領地や公位と引き換えに、白痴の後継者を受け入れねばならないとしたらどうだろう?

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フレリーはゴーフリドをあきらめた。
そのかわり次男オーブレーに賭けることにした。まず選挙法継承に切り替え、オーブレーを第一継承者に指名する。そして兄嫁のテッサロニキ公女ロドヴィカと結婚させ、ゴーフリドに代わる孫の誕生を期待したのだ。

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 成人したオーブレー・ドートヴィル
 ノルマンらしい風貌だし、能力も期待できる

オーブレーは酷薄なところのある息子であまりそりは合わなかったが、しょうがない。このやり方ならゴーフリドを継承から外し、かつテッサロニキとアカイアを統合することができる。いくら白痴とはいえ、フレリーは孫を殺したりしたくはなかった。

1286年の四旬節、妻プルケリア・ガヴァライナが死んだ。
若い頃はフレリーと対立することも多かったようだが、彼がビザンツ帝臣となってからは、ノルマン人でカトリックという異質な夫を帝国宮廷でよく支えた。

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 「薔薇よ、ロドスの薔薇よ
 わが手をすりぬけ、暗き淵に消え失せぬ」

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プルケリアの死により、白痴の孫ゴーフリドがロードス領主ならびにアルメニアコン公となった。これは現地の法によるものでいかんともしがたい。実際の施政は母であるテッサロニキ女公ロドヴィカが執ることになる。

翌年の夏、プルケリアに続き、フレリーのよき理解者であったテオドロス2世ラスカリスが崩御した。『使徒皇帝』の名に恥じない偉大な君主だった。ハギア・ソフィア聖堂で行われた荘厳な葬礼にはフレリーも出席した。存亡の危機に手を差し伸べてくれた主君に思いを馳せ、このノルマン人の老公は人目をはばからず号泣したという。

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 ハギア・ソフィア聖堂『皇帝の門』 
 テオドロス2世の遺骸はここを通って堂内に安置された

同日、皇子コンスタンティオスが皇帝に即位。彼の皇后はラテン帝国皇帝の妹ブランシュであり、両帝国の絆はさらに深まった。
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 新皇帝コンスタンティオス3世ラスカリス
 陰謀値が低いので暗殺には気をつけてほしい


舵を切る

1288年6月、フレリーはアブルッツォ州を最後にイタリアのムスリム諸邦の再征服を完了した。ホーエンシュタウフェン朝シチリア王国の崩壊から33年が経っていた。彼はこれまでの苦労を思い、つぶやいた。

「目まぐるしい歳月だった……。オートヴィルがビザンツの尖兵としてイタリアを攻めるなど、わが先祖が聞いたらなんと思うことか」

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 1288年の地中海。同年、半島でのレコンキスタを終了
 テッサロニキ公国はラテン帝国に対して継承戦争中

しかしまだまだ問題は山積していた。
後継者に指名した次男オーブレーに男子が生まれなかったのである。このままではテッサロニキ公領は白痴のゴーフリドに行ってしまう。

そこでフレリーは次の手を打った。
継承予定者を次男オーブレーから三男ギヨームに再度変更。そしてゴーフリドの妹エモニー・ドートヴィルをギヨームに娶らせる。

ギヨームは伯領の連隊長を務めるほどの戦上手に育ち、これならと思わせた。 
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 三男ギヨーム・ドートヴィルと孫娘エモニー
 めまぐるしく代わる継承予定者


だが高齢のフレリーにはもはや時間がない。
同時に彼はロードスに向けて密使を送った。

「ゴーフリドを消せ。しかしテッサロニキに感づかれると面倒だ。
うまく機会をとらえよ」

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まだ8つの初孫を殺そうというのだ。
そうすれば妹のエモニーがロードス領主、アルメニアコン女公を継承できる。同時に彼女はテッサロニキ女公ロドヴィカの第一継承者に繰り上がる。

つまりギヨームとエモニーの子はアカイア、ロードス、テッサロニキを統合し、その上アルメニアコン公、テッサロニキ公の称号を手に入れることができるというわけだ。

何も間違ってはいないはずだ。何も……。

退場

フレリーはざわついた心を抱えて統治を続けた。

oswyndeath
1291年春、スルタンの牢から帰ってきてフレリーの家令をしていた弟オスウィンが、アカイアの農民暴動に巻き込まれて重傷を負った。

ドイツ人の傀儡、イスラームへの改宗、虜囚、妻の失踪と数奇な人生をたどった弟にフレリーはできるだけのことをしてやりたかった。しかしアテナイから名医を呼ぼうとするフレリーを押しとどめ、弟はこう言った。

「司祭を呼んでくれ。キリスト者として死にたい」

そして終油の場で「娘二人はしかるべき貴族に娶らせてやってくれ。あれもオートヴィルの娘だから」と言い残して、オスウィンは死んだ。彼の遺骸はキリスト教徒として葬られ、モンテガルガノの墓所に今でも眠っている。

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 若者と話をするのは楽しいものだ
 騎士ド=リューカの家系はシナリオ開始時からずっとノルマン文化を守っている

楽しい事もあった。
由緒あるノルマン貴族の若者たちが、老いの目立ってきたフレリーのもとを訪れるようになった。昔の話を聞きたがる彼らに、フレリーは目を輝かせて十字軍の思い出を語り、皇帝と鞍を並べて戦ったアナトリアの話をした。

ギリシア側のパトラスに宮廷を移したせいか、このころ家臣のなかに正教へ改宗する者が続出していた。そんな中、若者たちがカトリックを守り続けると約束してくれたこともフレリーには嬉しかった。

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そして1295年の年の暮れ。
黒衣の使者がロードスからやってきた。
降誕祭の2日前だった。

「成功しました」

その一言だけを言って使者はかき消えた。

conspiracy
 ゴーフリドの妃アンナを仲間に引き入れてからは
 アルメニアコン公暗殺の陰謀は速やかに進行した

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陰謀の達成になんと7年もかかったが、すべては計画通りになった。
 
白痴のゴーフリドはこの世から静かに消えた。そして妹のエモニーはロードス領主、アルメニアコン女公となった。近いうちに息子のギヨームがエモニーを娶り、自分の後を継ぐだろう。

この知らせを聞いてすぐ、フレリーは熱を出して寝込んだ。長年の緊張の糸がほどけたのかもしれない。しかしこの病いはいっこうに治る気配を見せなかった。

翌年の初夏、フレリーはもう寝床から起き上がることができないようになっていた。老いた体の節々を激痛がさいなんだ。彼は手をふって司祭を呼ぶよう命じた。告解が済むと、老いた顔に微笑を浮かべ、そして死んだ。

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