Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

Paradox Interactive, Crusaderkings3, AAR

アルヴィトのことを聞きたいのだね?
あれは正直な男だった。心が広く、信仰に篤かった。異教徒にしてはな。おっと、口が滑った。

彼はあまり治世が長くなかったので、この話も短い。
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 メリダ伯ユスフ・アル・クンキ
 強力な民衆反乱指導者だった

わしはそれほど名のある家のものではない。
わしの家はバダホスで代々農園主をやっていた。フェルナン・マヌエレスがコルドバの都を占領し、キリスト教徒どもの支配が始まってから、わしらは互いに通じ合い反乱を計画した。反乱は大規模で、およそ7州のムスリムが同時に蜂起した。わしは指導者として戦い、そして負けた。

牢にはしばらくいたかな。
フェルナンが死に、代替わりしてアルヴィトがポルトゥカーレ公になったことは牢の中で聞いたよ。心の中で快哉を叫んだものだ。
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 アルヴィト・フェルナネス・ヴィマラネス
 1253年、47歳で公領を継承

ある日、アルヴィトがわしの牢を訪れて言った。
「わが騎士として仕える気はないか?」
囚われの生活に倦んでいたので、牢から出してもらえるなら騎士でもなんでもやると言った。だが条件があった。キリスト教への改宗だ。知っての通り、アッラーに対する信仰を棄てた者は死をもって償うとされている。

わしは悩んだが、改宗しなければ牢を出ることはなく、ここで腐り果てるさだめと知ったのでこれに同意した。こうしてわしは棄教者となった。だがわしの心はつねにクルアーンとともにあったし、今でもそうだ。
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 Popular Opinion+50という強力なパーク

アルヴィトは魔法を持っていた。
「魔法?」と思うだろう。だがあれは魔法だった。とにかく民に人気があったのだ。土地をよく見回り、工事を監督し、人々の声をよく聞いた。それで民は彼を愛した。ムスリムもキリスト教徒もだ。わしもその例外ではない。彼には不思議な力があった。
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 即位後、突然反乱がおさまった
 コルドバでは-50くらいあったPopular Opinionが+3に
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 反乱を計画しているのはたった2州だけとなった

フェルナンに対してあれほど反乱を繰り返したアルアンダルスのムスリムたちは、アルヴィトに対してはしぶしぶ従った。これを魔法と言わずしてなんというのか。
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 1256年、セビーリャ進軍
 ムハンマド朝に追い討ちをかける

しばらくしてアルヴィトから召集がかかり、わしは軍勢を率いてセビーリャへ向かった。
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敵方の王ムヤヒド・イブン・ガルシヤは合戦で負けるとトレドへ逃げ出し、現地のムスリムを落胆させた。あの強大なムハンマド朝の裔がこのざまか……。一方わしらは堂々とセビーリャに入城し、勝利の宴をひらいた。

あれは最良のときだったな。
わしは褒賞としてメリダ伯領をもらい、伯になった。だがメリダはムスリムが多く、棄教者に治められることをよしとしなかった。それでわしは一言ではいえない苦労をしたのだが、これはまた別の話だ。
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 1257年、ポルトゥカーレ公領はセビーリャを併合
 主君アルフォンス6世が第一称号の名乗りを変えたのでレオン王国からカスティーリャ王国となっている
 レオン公セバスティアン・ムニェス・ベニゴメスはカスティーリャ王に忠誠を誓い、カスティーリャは見かけ上統合された
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だがアルヴィトはセビーリャ併合と同時にさらなる異教州を抱えこむことになった。アルヴィトの治世のうちは彼の人気があるからいいが、次の代にむけて方策を考えねばならない。
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そこでアルヴィトはまた牢を訪れることになった。
彼は2人のムスリムを選び、これを伯に任じた。ただ、わしがメリダで苦労しているのを見てか、棄教はさせなかった。むしろ、信仰を保証さえした。
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マン・アル・イシビーリーは学問にすぐれた男だ。うわさではセビーリャで書記をやっていたらしい。彼はニエブラ伯領を与えられ、さらに家令となった。
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 ムスリムかつ現地文化
 くわえて信仰保証によるPopular Opinion+5が効いている
 Popular Opinionは伯領の支配者に対して算出されるらしいので、異教州にムスリム伯をあてるという方策をとった
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もう1人のガーズィ・イブン・サウドはかつてアルジャザーイル王だった男の孫だ。彼はモウラ伯領を与えられ、尚書長となった。アルヴィトと特に仲がよく、友人となったようだ。
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 評議会で活躍するムスリム伯
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 新征服地を中心にムスリム伯を配置

わしも彼らと同じように信仰を保ったまま伯にしてくれていたら……とは思った。いまさらどうしようもないことだが。
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 1261年、ヴィゼウ攻略
 ガリシアはたった2伯領の小王国と化している

アルヴィトは失敗も犯した。
軍をポルトに召集してガリシア王が持つヴィゼウを攻めたのだが、これがなかなか落ちないのだ。

わしも従軍したのでよく覚えている。
峻険な山岳地帯にきわめて強固な石造りの城塞があり、何度攻め寄せても石を落とされたり燃える油を注がれたりして退かざるを得なかった。
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なぜこんな山中にこれほどまでの立派な城塞があるのか腑に落ちなかったが、イングランド王がここを保有していた時期にありあまる金で整備したのではという者もいた。だが真相は不明だ。
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城塞には豊富な食料があり、見積もりでは包囲開始から陥落まで6年かかるというのだ! さらに包囲するうちに9000人の軍隊があっというまに損耗し、3000くらいになり包囲を続けられなくなった。
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問題は装備にもあった。
アルヴィトのポルトゥカーレ公軍は時代遅れのマンゴネルしか装備しておらず、とうていヴィゼウを落とすことはかなわなかったのだ。わしはすぐに攻城兵器をトレビュシェットに更新するようアルヴィトに言ったが、すぐにそれどころではなくなってしまった。
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二つの大きな反乱が同時に起きた。
ひとつはベニゴメス家のカスティーリャ・レオン公セバスティアン・ムニェスの王に対する反乱だ。
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セバスティアンは10000の兵を有し、実質的なカスティーリャの支配者だった。そしてついに主君アルフォンソ6世に反旗を翻し、評議会により大きな権力を与えるよう要求したのだ。
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アルフォンソ6世は1伯領しか持たず、臣下の要求に対しきわめて弱い立場にあった。
これでは勝てると思うほうがおかしいだろう。
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 1264年、アルアンダルス大反乱
 5700(カスティーリャ王軍)vs34000(反乱軍)
 ムスリム伯を任じた州も反乱に参加した理由は不明

もうひとつはムスリムの民衆反乱で、主にポルトゥカーレ公領とベニゴメス家のカスティーリャ公領におけるものだ。メリダ伯領でも反乱が起きたことにはがっくりきた。わしらのいろいろな方策も無駄に終わり、アルヴィトの魔法もここまでだったか……と思った。

だがアルヴィトの反応は素早かった。
ガリシア王と白紙和平し、ヴィゼウ攻めの軍をそのまま南に向けると知らせを送ってきた。その間わしはずっとメリダで持ちこたえていた。

しかしアルヴィトがメリダに到着することはなかった。
彼はグアディアナ河を渡ったあとで熱を出し、そのまま陣中で亡くなってしまったのだ。
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 1266年アルヴィト死亡
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唯一の男子アンスールがポルトゥカーレ公領を継承することになったが、いろいろなことは後回しだった。まずはこの反乱を終わらせなくてはいけなかった。だがもう夜ふけだ。その話は別の者にしてもらうとしよう。


次回、アンスール・アルヴィテス・ヴィマラネス 

うち続くいくさに国は荒れ果てた。
オリーブや葡萄の木はことごとく切られ、井戸には死体が投げ込まれ、避難民の長い列が北へと向かった。秋になっても麦畑を刈る者はおらず、わずかに徴収できた税金も常備軍の給金に消えた。そのうえ病まで流行りはじめた。

「黙示録の騎士たちだ」
お祖父様はそう言っていた。
 
「彼らには、地の4分の1を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた……」
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 1207年、5回目の防衛戦
 10000vs10000
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 敗戦、アルガルヴェを失う

正直、わたしたちは負け始めていた。
少しでもモーロ人の勢いを削がなくてはいけない。
モーロ人の強さは3つある。

一つ、アルアンダルスおよびアルマグレブにおけるまとまった勢力。
二つ、その同盟国の多さ。
三つ、その常備軍(特に重歩兵とラクダ騎兵)の強さ。
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君主の暗殺を行うことによって、上2つを解決できる可能性があった。お祖父様はタシュフィン朝のベディス・イブン・アッバスを標的と定め、密使をアルマグレブへと派遣した。
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 Compassionateなので暗殺にはかなりのストレスがかかる
 成功確率は悪くないので期待
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国内でも心配事があった。
引き続くいくさで騎士たちが討死したので、ポルトゥカーレ公領には騎士の成り手がいなくなっていた。なかでもヴィマラネス家の成人男子は戦場で先頭に立っていたので、ほとんどが戦死してしまっていた。
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そこで牢獄に幽閉されていた農民反乱指導者をカトリックに改宗させた上で解放し、騎士に任じることになった。彼らはアンダルシア人なので、地元のことがよくわかる。そこで新騎士のなかから優れたものを選抜し、民心の安定しない新征服地バダホスの諸伯領を任せた。
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今に名前が残っているのはアブドゥルアジズ・ワジーリー伯とヤフヤー・ルシュド伯ね。彼らはお祖父様の評議会でも活躍したと聞いてるけど、やはり戦場の塵と消えてしまった。今ではその子孫もどこへ行ったかわからない。
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 フェルナン36歳
 バダホス領を確保したので兵力が7000台に跳ね上がっている

このころお祖父様は36歳。
長男アルヴィト(わたしのお父様だ)、次男ゲラルドも生まれていたので継承の不安はなく、戦場に入り浸りになっていた。お祖母様のクニグンデと家臣団に国のことを任せきりだったみたい。
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 アッバス・イブン・イクシ・イブン・タシュフィン
 タシュフィン朝の新王、内乱で兵力を相当減らしている

ところでタシュフィン朝の王に対する暗殺は成功し、2度ほど王が替わったタシュフィン朝はかなり弱体化した。これを好機と見て、お祖父様はアルガルヴェ奪還の兵を挙げた!
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 タシュフィン朝に宣戦

戦いはうまく行ってた。
なのにある日レオン王アルフォンソ10世からの使者が来て、バダホスをモーロ人に引き渡すよう命じられたの。バダホスだけではない、ベジャもリスボンもエヴォラも。
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 ???
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 1218年、痛恨の一撃
 リスボン〜バダホスを全喪失
 アルガルヴェは1221年別途回収した

どうやら、同時並行でタシュフィン朝の太守のひとりがレオン王に聖戦をしかけていたみたい。そして開戦早々にアルフォンソ10世は捕縛されてしまい、解放と引き換えに太守の要求が通ったというわけ。お祖父様は何もしないうちに多くの領土を失ってしまった。
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 犯人はおまえか
 
これまでのレコンキスタはなんだったのか?
先祖たちが血を吐くような思いをして切り取ってきた領地がすべて水の泡だ。温厚なお祖父様もこれには怒った。
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レオン王アルフォンソ10世の軍勢が弱いのがすべての原因だったのよね……。これまで何回も戦争をしかけられてきたのもそれが原因。
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 友人相手なので独立派閥を作れない

事ここに至って、お祖父様はレオン王国から離脱することも考えたんだけど、それはできなかった。というのも、アルフォンソ10世はお祖父様の親友だったから。親友を裏切ることはできない。気持ちはわかる。でもお祖父様は友人の多い人だったけど、友人が多すぎるのも考えものだなあとわたしは思った。
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 収入12.1に対して軍をunraisedの状態で9.7の出費
 raisedの状態ではさらに多大な出費で収支マイナスとなる
 さらに戦時中の負債があるため新たな宣戦ができない

領地の半分を失ったことで、困ったことが起きた。
これまでリスボンやベジャの税収をあてにして拡張してきた常備軍の給金を払えなくなってしまったの。おかげで反攻のためにあらたな戦争をしかけることができない。

この苦境を救ってくれたのが教皇様だった。
これまでも何回も金貨を融通してくれた歴代の教皇様だったけれど、今回の援助は本当に助かった。これまでヒスパニアに十字軍が発令されたことはなく、お祖父様いわくなかば見捨てられたように思っていたらしいんだけど、やっぱり教皇様はちゃんと見ていてくださったのね。
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このころわたしのお父様であるアルヴィトが成人した。
フィンランドに領地を持つ神聖ローマ帝国女伯ベレトゥルーデと結婚したんだけど、手違いがあってアルヴィトに領地を与えていなかったため、彼は僻遠の地フィンランドへ旅立ってしまった。これはお祖父様の失敗だ。わたしがフィンランドで育ったのはそのため。

さて、教皇様からの援助金で負債を返したお祖父様は、タシュフィン朝のアッバス・イブン・イクシに対して反攻をしかけた。停戦条約期間中だったんだけど、お祖父様は気にしなかった。

ポルトゥカーレ公としての威信はありあまるほどあったので、少々の傷は気にならなかったというべきかもしれない。それよりもアッバス・イブン・イクシに誰かほかの領主がいくさをしかけるのではないかと恐れていた。それで宣戦を急いだわけ。
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 軽騎兵(カバリェロス)を中核とするポルトゥカーレ公軍
 丘陵地での戦闘に強い 

アルマグレブでほかの戦争を戦っていたタシュフィン朝の抵抗はほとんどなく、お祖父様の軍勢は雷のごとくリスボンを落とし、エヴォラを落とし、バダホスへと迫った。そしてバダホスを落としたことでお祖父様は勝利した!
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 ひさびさの勝利
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 1228年、リスボン、ベジャ、バダホスを一気に回復
 タシュフィン朝は荒れに荒れている

でもバダホスのモーロ人たちはあきらめなかった。
大反乱が起きてバダホス領とアルガルヴェは一瞬で失われ、アルガルヴェはまたもタシュフィン朝に奪われた。お祖父様は言っていた。「なにが起きているのかわからなかった」と。
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 バダホスの民衆反乱指導者ファドル
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 ムワッラーディ(アルアンダルスのムスリム)による民衆反乱
 レオン王に対するものなのでポルトゥカーレ公としては何もできない

実際にはたくさんの異教州を抱え込みすぎたため、いくさの帰趨にかかわらず、弱体なレオン王が戦わずして反乱軍の最後通牒を受け入れてしまっていたのね。お祖父様はそれを知らなかった。だから何も有効な手立てを打てず、何度も反乱が続いた。
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 1238年、目まぐるしく変わる国境
 ガリシア王を攻めてカステロブランコとエルヴァスを奪取
 バダホスは再占領したが、アルガルヴェとヴィゼウを失った
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このころゲラルド叔父さんが肺炎にかかった。
ゲラルド叔父さんはなぜかユーフラテス河のあたりまで放浪に出かけていたので、たぶんそこで病気にかかったんだと思う。

長男のアルヴィトは妻についてフィンランドへ行ってしまったし、次男のゲラルドは異郷で肺炎にかかるしで、お祖父様は気が気でなかったに違いない。
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 アルヴィトとゲラルドに継承は別れる
 どちらかを廃嫡する予定だが、両人とも宮廷内にいないので不可能
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それからクニグンデお祖母様が亡くなった。
わたしはずっとフィンランドで暮らしてたのでどんな人だったのかはあまり知らないけど、槍術を修めるくらいの勇ましいお妃様だったみたい。

お祖母様が亡くなったあと、お祖父様は新しい妃を娶ることはしなかった。もう歳だったしね。というわけで、お祖母様に内政を頼りきりだったお祖父様に、その仕事が全部ふりかかってきた。自分が妃にどれだけ大変な仕事を任せていたか思い知ったのではないかしら。

このころお祖父様は長男のアルヴィトに家督を継がせることを決め、わたしたち家族はフィンランドからポルトへと移ってきた。あまりの気候の違いにみんな最初は風邪をひいてしまったくらい。でもすぐに慣れて、オリーブ油やイワシなんかが出てくる食事もおいしく思うようになった。
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わたしはお祖父様に初めて会って、噂には聞いていた自分の祖父がわりあい立派な人だったんだなあと思った。それからお祖父様にいろんな話を聞くようになった。今しているのはそのときに聞いた話。
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 1243年、コルドバへ進軍

さて、すでに老齢にさしかかっていたお祖父様はおそらく最後の遠征を行うことにした。アルアンダルスのモーロ人王朝では最大のムハンマド朝が標的だ。それまで兵10000を動員できたムハンマド朝だけど、少年王ムハンマド・イブン・ガルシヤになって兵7000くらいに落ちたのを狙ったのね。
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 ムハンマド朝の王ムハンマド・イブン・ガルシヤ

セビーリャとコルドバのどちらを狙うか迷ったそうだけど、敵領を分断する意図もあってコルドバを攻めることになった。それにコルドバはかのサラセン帝国のヒスパニアにおける都でもあり、モーロ人の心のよりどころだった!

いくさは順調に進み、お祖父様はコルドバに入城した。
慣習に従い、モーロ人はその財産の半分を持って退去することが許され、それが終わると略奪が行われた。お祖父様は大モスクでミサを行い、そのオレンジの木の庭を逍遥した。
 
「かつてモーロ人の皇帝がそこに座り、聖都メッカに向けて祈ったのだ」
お祖父様はそう言ってどこか遠くの方を指し示した。ヴィマラネス家は教皇様の主導する十字軍に一度も従軍することがない家だったけど、わたしたちはわたしたちの戦いを戦っていたのだ。
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 1246年、バダホスで2度目の民衆反乱

こうしてコルドバを手に入れたと思った矢先、またしてもバダホスで反乱が起きた。なんとか鎮圧できたけれど、モーロ人は決してキリスト教徒の支配を受け入れることはなく、反乱には終わりがないと思われた。
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 1247年、3度目の民衆反乱
 バダホスとコルドバを一度に失う
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 1251年、コルドバを再占領
 バダホスはレオン公国(レオン王国とは別)に横取りされてしまった
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でももう、お祖父様は戦場に出るのはかなりつらかったみたい。
お祖父様は医術に通じていたし、体によく気をつけていたので、死期が迫っているのを自分で知ることができた。
「もうお別れだ、ホアナ」
としきりに口にしていたっけ。
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 フェルナン76歳で大往生
 次男を廃嫡し、長男アルヴィトに継承

彼は本当は学者になりたいと思っていて、何冊か医術書も訳したくらいだけど、結局はその長い一生のほとんどをいくさの庭で暮らすことになった。それはお祖父様の意思というより、常にモーロ人と一触即発のヒスパニアの情勢が彼にそうさせたのだと思う。
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 名声を消費し、栄光の『遺産』を進める(結婚承諾up)
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 ホアナ・ヴィマラネス
 この章の語り手

レコンキスタの最前線で戦うヴィマラネス家の名は高まっていた。結婚もいい話がたくさんくるようになった。かくいうわたしも、伯ではあるけど大変古い家柄のモンフォール家の婿を取ることができた。わたしはよい夫と公領密偵長としての仕事に恵まれて幸せで、これはお祖父様からの贈り物だと思っている。


次回、アルヴィト・フェルナネス・ヴィマラネス 

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