お祖父様は長生きだった。
76歳まで生きたの。信じられる? とにかく元気な人で、まさか死ぬとは思わなかった。まあそれは冗談だけど。
フェルナン・マヌエレス・ヴィマラネス。
彼のような人にも赤子の頃があったというのは想像しづらい。でも彼もやはり人の子で、アルパイスというオック人の踊り子の腹から生まれた。
ひいお祖父様のマヌエルの遺言によってアルパイスは後見人に指名されていたんだけど、彼女に公領の実権はなかった。2人目の男子を産んだあと塔のひとつに押し込められて、そのあとの記録はない。
アルパイスを押し込めたのは4人の家臣たち。
尚書長グテーレ・デ・ブラガンサ、家令のマヌエル・ダヴィデス、マレシャルのベレンゲル・ヴィマラネス、密偵長のポンセ・アンドレス。彼らはポルトゥカーレ4人衆と呼ばれた。
4人衆は協議をしたり、ときに争ったりしながらポルトゥカーレ公領を支配した。とにかく国を割らないように、家を割らないようにするのが彼らの務めだった。そして暗殺されないように慎重にフェルナンを育てていく務めもあった。
もし暗殺されてもまだ矢弾はあった。
アルパイスが生んだ弟のギリェルメがいたし、次にアドシンダ、さらにアドシンダの新しく生まれた息子ディエゴがいた。
4人衆のひとり、ベレンゲル・ベレンゲレス・ヴィマラネス
忠勤に応えてアヴェイロ伯領を与えたので関係は良好
実はベレンゲルは妻アドシンダが公領を継承できなかったのに思うところあったようで、なにかしでかすのではないかとみんな思っていた。
ベレンゲルがなにかたくらんでいると思ったが……
疑ったことを謝罪し、税を軽くすることになった
結論からいえば、ベレンゲルはおとなしくしていた。伯領をもらって満足していたのかもしれない。
仮に恨みがあったとしても、動くべき時ではなかった。
記録によれば、その当時のレオン王アルフォンソ9世の兵力はたったの4300しかなかった。
それに対してセビーリャのモーロ人の王ムハンマド・イブン・ムハンマドは5400の軍勢を持っていた。さらにモロッコのタシュフィン朝のアッバス・イブン・アッバスは4400の兵力に加えて5つもの同盟国があった。キリスト教徒同士で争っていられる状況ではなかったの。
お祖父様が7歳になったころ、密偵長のポンセ・アンドレスが指導役となった。ポンセは学識豊かな人で、文字も書けたし本も読めた。なんとアラビア語まで話すことができた! お祖父様は彼のもとで勉学に励むことになった。
公領をとりまく情勢は暗かったけど、お祖父様はのびのびと育ったみたい。宮廷には子供が多く、遊び相手には事欠かなかったようで、弟ギリェルメや親戚のディエゴと親友になったり、猫や犬を何匹も飼ったりしていた。そのころの楽しい話はわたしもお祖父様から何度も聞いたな。
Compassionateを獲得
こんな話がある。
お祖父様はポンセ・アンドレスと歩いていて、城門の近くで晒されている罪人を見つけた。お祖父様は彼に近寄り、話しかけた。罪人が水を欲しがっていることを知ると、お祖父様は近くの井戸から水を汲んできて罪人に与えた。
ポンセはそのことでお祖父様を叱った。罪人は罪をつぐなわなければならないこと、支配者として法を厳格に執行しなくてはならないことについて。
きっと優しい子だったのね。
そう、未来の公としては優しすぎた。そのせいでお祖父様は残酷なことができない人になってしまった。
平和な時代ならよかったかもしれない。
でもお祖父様の生きた時代は戦争につぐ戦争があった。国境がめまぐるしく動き、多くの騎士が死んだ。ヒスパニアの情勢はどんどん暗くなり、より悪い時代が近づいてきていた。
1185年、1回目の防衛戦
5300vs2100
まずアルガルヴェのガルシヤ・イブン・アブダが国境を越えて攻めてきた。セビーリャのムハンマド・イブン・ムハンマドもこれに加わった。
ポルトゥカーレ公領は合議の上、レオン王の召集に応えて参戦。
ベレンゲル率いるポルトゥカーレ公軍はセビーリャの戦いに勝利し、王の勝利に貢献した。
フェルナン12歳となる
成人に備えてザクセンのノルトハイム家クニグンデ姫と婚約
1187年、2回目の防衛戦
9500vs13000
そして今度はタシュフィン朝のアッバス・イブン・アッバスが攻めてきた。砂漠の向こうからも援軍がきた。
このいくさでは多くの騎士たちが散ったと聞いてる。
特にマレシャルのベレンゲル・ヴィマラネスが戦死したという知らせは宮廷の人々を恐怖に落とし入れた。モーロ人たちが明日にもポルトの城を包囲してくるのではないかとみな思っていたそう。
フェルナン成人
「明敏な知性」traitを得る
学問ライフスタイルを進めていく
いくさが激しくなる中、お祖父様は成人した。
レオン王から騎士に任じられ、ポルトゥカーレ公位につくことを宣言した。結婚式をあわただしく済ませ、軍を率いていくさの庭に出た。
お祖父様がわたしに話してくれたのは、若い公があまたの長旗をなびかせてモーロ人との戦いにおもむくところ。男たちは銀色にきらめく鎖帷子を身につけ、明るい声で進軍の歌が歌われ、村娘たちは彼らにむかって花を投げる……。
もちろん現実はもっと地味だったに違いない。
いくさの趨勢もぱっとしなかった。ポルトゥカーレ公軍はバダホス周辺を占領して対抗したけど、とんでもない大軍勢を繰り出してくるモーロ人相手のいくさは勝ち目がない。
それから戦いは5年続き、ようやく白紙和平が結ばれた。死に物狂いで戦って今回もなんとかモーロ人を撃退したというわけ。誰もかれもいくさに疲れていた。
1192年、3回目の防衛戦
3800vs3300
和平を待っていたかのように、またもアルガルヴェのガルシヤ・イブン・アブダが攻めてきた。戦いには勝ったんだけど、お祖父様は闇を内に抱え込むことになった。
というのも、レオン王の命令で捕虜を殺すよう言ってきたの。
お祖父様は残酷なことができない人って言ったの覚えてる? でも命令には従わなくてはいけない。みずからの性質に反して何人もの捕虜を殺してしまった。お祖父様は死ぬまでこのことを悔いていたわ。
Compassionateなのに捕虜をたくさん殺してしまい、ストレスレベル1に
暗殺もできないので、先見の明のないtrait獲得だったといえる
いくさのあいだ、お祖父様は妃クニグンデとのあいだにエヴァとマイオールの2人の女子を作っている。いくさ続きで閨に入る暇はなかったように思うんだけど、まあどうにかしたんでしょう。
このころ弟のギリェルメも成人した。
お祖父様とギリェルメはそれはそれは仲がよかったそうよ。
1193年、陰に陽にレコンキスタを支えてきたフランス王国が分裂
フランス(ロラード派)とバレンシア(カトリック)に
お祖父様が最初の反攻に出たのは主の1194年。
アルガルヴェのガルシヤ・イブン・アブダに宣戦したの。ガルシヤ・イブン・アブダはさきの戦いで兵力をすり減らしていたので、好機とみたのね。
戦いはすぐ終わり、翌年アルガルヴェはポルトゥカーレ公のものとなった。こうしてお祖父様はヒスパニアの南岸まで打通した最初のキリスト教領主となった。
1201年、4回目の防衛戦
9500vs22300
それからまたまた、またモーロ人が攻めてきた!
今度はタシュフィン朝のアッバス・イブン・アッバス。こうも頻繁に攻められるのは、君主であるレオン王アルフォンソ9世の兵力が少なく、要は舐められていたからだと思う。
しかもいくさが始まってすぐ、次女のマイオールが殺されるという事件が起きた。犯人はわからなかった。ただ噂があった。弟のギリェルメが下手人だという……。
なんということを
この噂が正しかったとしても、必死の防戦中ゆえ、お祖父様はなにもできなかったと思う。ただお祖父様はこのことを深く心に刻みつけ、忘れなかった。
1205年、敗戦
レオンは王国中心部を強制独立させられ弱体化
またムハンマド朝はカスティーリャを中央山塊の北へ追いやった
タシュフィン朝臣下だったバダホスが独立している
そして結局いくさには負けてしまった。
お祖父様はサモラ領とベネヴェンテ領を失い、タシュフィン朝の要求によりレオン王国からレオン公国が分立した。
ベルナルド・アルフォンセス、つまりレオン王アルフォンソ9世の弟が新しくレオン公となった。タシュフィン朝は彼の請求権を使って戦争していたのだろうか? 今となってはくわしいことはわからないけど、おかげでただでさえ足元の危ういレオン王国はめちゃくちゃになってしまった。
だがお祖父様は転んでもただでは起きない人だった。
タシュフィン朝に臣従していたバダホス(かつてのアフタス朝のことだ)が自立していたので、これをすぐに攻めた。そして弟ギリェルメに先陣を切らせた。
メデジンの戦いでギリェルメ負傷
しばらくしてギリェルメは戦いの傷がもとで死んだ。弟であり親友だったギリェルメ死亡の知らせを、お祖父様はどんな顔をして聞いたのだろう。
1207年、どさくさにまぎれてバダホス奪取
いくさに勝ったのでバダホスはポルトゥカーレ公のものとなり、お祖父様はかつてのアフタス朝の都をついに手に入れた。
お祖父様がバダホスに入城して初めてやったことは図書館の略奪だったと聞いてる。たくさんのアラビア語の書籍をロバに積んでポルトへ運ばせ、書字生を集めてこれを翻訳させた。
特に関心があったのは本草学と医学で、自分でも何冊か訳したらしい。長生きできたのはそういった勉学のおかげだったのかもね。
そのころレオン王アルフォンソ9世が亡くなり、息子のアルフォンソが10世王となった。お祖父様は先王と友人だったので大きな衝撃を受けた。
友人が死ねば誰でも悲しいものだけど、お祖父様の悲嘆は人並みではなかった。しかも友人が死ぬごとにこれが繰り返された。思うに、領主としてはあまりに優しすぎたんだろうね、お祖父様は……。