Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

Paradox Interactive, Crusaderkings2, AAR

<前回までのあらすじ>
リトアニアやスラブの土侯と戦って少しずつ領土を増やしていくビャルトラ家。しかしルーシの地は、東方よりきたる大いなる影に覆われつつあった……。

ジールのこと
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ジールは先代ダグの妹セシリアの息子だ。
父親はラドガ系ビャルトラ家のアルフゲイル。
領国の管理能力を買われて公位についたのだが、その治世は暗く短かった。
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 リフランド公、短命のジール
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というのも、東方では馬の民の勢力がきわめて大きくなり、時代は暗さを増してきていたからだ。
大平原にあるビャルトラ家の飛び地サルパ領では独自に情報を収集し、これをバルト海岸のレミセレ城に送った。
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「キタイからやってきたタタールの兵は総計90000にのぼり、サーマーン朝の地からセルクランドへ攻めのぼらんとしています。その宗旨にかかわらず多数の王侯が立ち上がり、これを撃退する構えです」

ルーシ大公国とサーマーン朝とは交易上のつきあいがあったので、ジールの主君である大公ベーラも兵を出した。
そこでジールも戦線に加わらんと兵を集めたのだが……。
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ラドガの近くまで進軍したところで蛮族の襲撃があり、これを撃退するときにジールは重い矢傷を負ってしまった!
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そうしてそのままジールは亡くなった。39歳という若さだった。
公位は弟のヒシングが継いだ。

ヒシングのこと
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ヒシングは魅力的で、かつ勇敢な戦士だった。たくらみごとをよしとせず、常に公明正大な解決をはかった。

ヒシングが兄ジールの亡くなったのを聞いたとき、彼ははるかカスピ海のかなたにいた。大公ベーラにしたがってタタール人と戦い、敗走している最中のことだったという。

「タタール人は野火のごとく強い。彼らの通ったあとには何ひとつ残らない。彼らを押しとどめることはできない。我々にできることは主を信じ、領国の守りを固めることだけだ」
ヒシングは戦場からこう書き送らせている。
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タタールのカガンはボルジギン家のテムジンという男で、イスラームに帰依しその教えを広めるために戦っていた。きわめて有能な指揮官であり、キリスト教世界に太刀打ちできる者はいないと言われていた。

しかしそれでも祖国と信仰を守るため、キリスト教徒たちはテムジンを迎え撃たなければならない。東方辺境を守るキリスト教君主は二人。ルーシ大公ベーラと、女帝アサである。
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 ルーシ大公ベーラ
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女帝アサ(彼女はノルドの血を引いていた)はタタール人のセルクランド侵攻では動かなかったが、彼らがヴォルガを越えて帝国辺境へ浸透してくるようになると、聖戦を宣言し、諸国から兵を募った。
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 1233年のルーシ
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 1238年のルーシおよび大平原

だがキリスト教軍の奮戦もむなしく、1238年にはタタールの将スブタイの軍勢60000がついに黒海にまで到達。東方帝国のアラニア領はまるごと奪われ、リフランドのサルパ領はタタールの大海に浮かぶ小島のようになってしまった。
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ことここに至って大公ベーラは第2回遠征を諸侯に命じた。リフランド公ヒシングも新しくしつらえた全能者ハリストスのイコンを掲げて遠征に参加する。
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 スブタイ軍60000に対して大公軍9000では勝ち目がない
 リフランド軍を集めに集めてもせいぜい7000だ

タタール人に正面から当たっても負けが見えている。そこでヒシングは軍勢をたくみに動かし、敵主力が通過したあとの占領地を襲うことにした。神出鬼没の跳梁で背後をおびやかすのだ。
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 「主よ、ノルドの斧がタンタルキャにふたたび帰ってきた」 
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 名だたる騎士団もこの聖戦には参加していた
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主の1241年、ヒシングの活躍もあってタタール人の進撃の速度はゆるみはじめ、セルクランドへの侵攻は止まった。我々の勝利だ!

だがこの勝利の裏にはテムジンの死があった。タタール人たちはそのカガンが死ぬと故国へ帰り、戦士たちを弔う。決してその刃がなまったというわけではなかったのだ。
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カガン位を継承したのは息子のトルイという噂だ。
トルイが軍勢を再編成すればまた戦役が再開されるだろう……。

重圧のもとで
キリスト教徒たちの悪い予感は的中した。
主の1246年、トルイは再び軍を率いて西にとって返してきた。そしてコーカサス山脈を突破してアナトリアを横断し、電撃的に帝都を陥落させたのだ。
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 唖然

女帝アサはカガンに帝国を譲り渡し、トラキアの君候におさまった。このことはキリスト教世界を震撼させた。

女帝は最後の最後まで戦うと信じていたのに。
世界最強の帝国がこうまで脆いとは誰も思っていなかったのだ。
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 帝都に君臨するトルイ・カガン

タタールの進撃速度はあまりにも速く、この知らせがルーシに伝わったとき、人々はまだ戦役が再開されたことすら知らなかった。

人々はさまざまな反応を見せた。
「われらの帝都が奪われてしまった!」
「すぐにルーシも襲われるぞ!」
「いや、こんどこそセルクランドを陥すために南進するだろう」
「やつらは地中海沿いに進撃しローマが狙われるかもしれない」

だがサルパ領からはタタール人の軍勢について詳細な報告が届いていた。ヒシングは報告を吟味し、こう結論した。
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「タタール軍の現兵力は40000。うち増援も26000としだいに痩せてきている。あと1回の大戦役を行えば、おそらく総兵力20000にまで落ち込むだろう。広大な占領地を維持することはできず、遠くない将来この帝国は瓦解する」
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 ルーシ大公ルスラン
 この危急時に外交のセンスがまったくない大公が選ばれてしまった
 諸侯は進んで彼を補佐した

そこでヒシングはトルイ・カガンに使者を送るようルスラン大公に勧め、ルーシがタタールに敵対する意思がないことを示させた。次の大戦役を避けることさえできれば、生き残るチャンスが出てくるのだ。

この目論見はうまくあたり、ヒシングの存命中にタタールが西進してくることはなかった。ひと安心である。 
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さて、ヒシングも遠征と外交ばかりしていたわけではない。
主の1249年、ルーシの中に飛び地状に存在するペシュト領のひとつヴィテフスクを回収し、その領地数を14に増やした。(うち直轄地5)
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またヒシングは長男のアルフゲイルに継承させることと定め、生前贈与としてヴィテフスク領を彼に任せた。
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 ラドガ・ビャルトラ家とは微妙な関係が続いている
 
もともとはジールの息子アルングリムに継承予定だったのだが、彼が早逝してしまったのだ。アルングリムの子バリドはスラブの風習に染まっており、ヒシングとの関係もよくなかった。
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主の1254年冬、ヒシングは思い残すことなく帰天した。人々は彼とともに大平原で戦った日々を思い出し、剣で盾を打ち鳴らす古習をもって彼を送った。

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 参考)1249年のキリスト教圏


<前回までのあらすじ>
細心の注意を払って領土を保持し、また後継者を育ててきたマッツ。しかし暗殺者の毒牙に倒れてしまう。まだ幼いダグを残して……。


ダグの前半生は謎に包まれている。
ビャルトラ家伝に記録がないのだ。
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 macでF11スクリーンショットを撮ってはいけない

だが教会の記録からいくらかを追うことができる。彼の前半生を再構成してみよう……。

ダグはマッツの子としてリフランド公位を相続した。
そして伯父ヒシングの娘インギビョルグを娶った。だが彼にはすでに愛人(名前は伝わっていない)と愛人の子がいた。そのため新婚のインギビョルグはひどく気分を害したのである。
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ダグの漁色は1度にとどまらなかった。
伯父の妃であり、また父親の妃でもあった皇女エウフラシアの閨に入り、彼女との間に子を成した。

そのためインギビョルグとの関係は決裂し、毒を盛られたこともあったという。あまりに不名誉な事件のために、この部分のビャルトラ家伝記が廃棄されたのではないか?という見方もあるほどだ。
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 投獄された妃インギビョルグ 
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しかし何にでも理屈はつくもので、ダグは肉欲に溺れたわけではないとする説もある。彼には兄弟がなく、一方で敵対するトロペッツ伯モーリスの家系には男児が複数いた。公位をモーリス系に渡さないようにするため、ダグは少しでも多くの男児を必要としていたというのだ。

この説には傍証があって、ダグの妹のセシリアとゲルズは女系結婚をして婿を取っている。ビャルトラ家で女系結婚は珍しい。マッツ系の男児を増やすための方法と考えればつじつまが合う。
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最終的にダグはフォルキとトリグヴという2人の男児を得た。母親が誰なのかは伝わっていない。しかしこの時期、妃のインギビョルグが塔に軟禁されていたという事実から、真相を推し量ることができるかもしれない。
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 サーレランドのフォルキ
 かつては良き戦士だった……

しかし世の中はままならぬもの。
長子であるフォルキはリトアニア人との戦いで戦死してしまった。
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 テメシュのトリグヴ
 兄をしのぐ武勇を誇った

そうすると後を継ぐのは次男のトリグヴということになるが、彼はすでにキエフの大公からテメシュ領を賜って独立している。つまりトリグヴはリフランド公領の域外にあって、公選挙では圧倒的に不利な立場なのだ。
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 老年のダグ
 主君と同じ正教に改宗し、よく学んだので賢公と呼ばれた

このままでは公位を他家に渡すか、モーリス系ビャルトラ家に渡すかということになる。そのどちらも絶対に嫌だったダグは、第3の手段を考えついた。
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 ラドガのジール
 人付き合いは苦手だが、領地経営の才がある

先だって女系結婚をしていた妹セシリアの子ジールに白羽の矢を立てたのである。女系ということで立場の弱さはあるが、諸侯の評判は悪くない。それでこの線でいくことに決まった。

リトアニアとの戦い
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 1217年のリフランド公領

ダグは長子フォルキを失った戦争でゼムガレ領をも失っていた。リトアニア王に奪われたのだ。リトアニア王はさらにクルゼメ半島をも狙っていた。
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リトアニア王マントヴィダスは兵数4000を有するにすぎない。しかし彼はドイツ王と縁戚関係にあり、かの大国の12000の兵をあてにすることができた。
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 1217年、中東欧
 リトアニア王とドイツ王の同盟は強力だった
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 東方ではスラブとウラルの蛮族が統合され東ルーシを名乗る
 13世紀初頭、ルーシ大公は主君の代替わりのときスグロフ・カガン国から独立
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これに対し、ルーシ大公モーゼスが動かせるのは兵10000。リフランドの4000を加えても14000。どうしても競り負ける。

事実、ルーシはこれまでのリトアニア・ドイツとの2回の戦争では常にぎりぎりの戦いを強いられてきた。リフランド軍の奮闘による白紙和平がなければどうなっていたことか……。

「何か策はないか」
大公の質問に、ダグは少し考えて言った。
「殺しましょう。それが一番てっとりばやい」
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王が死ねば同盟は解消される。ドイツ王軍はもう来ない。リトアニアとだけなら戦うことができるのだ。

ダグの密偵長はリトアニアへ向かい、王の宮廷に潜伏させておいた間諜を使って陰謀の網を編んだ。しかしそれには時間がかかる。
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主の1222年。ルーシ大公モーゼスはリトアニアに宣戦を布告した。目的はリフランド領であったゼムガレの奪還だ。

ダグが特に働きかけたものではない。なにしろまだマントヴィダス王の暗殺が成功していないのだ! おそらく大公はダグの忠誠に応えようとしてくれたのだろうが、ありがた迷惑な話だった。
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数で優勢なルーシ軍は東からリトアニア軍を圧迫する。そのあいだにリフランド軍が南下しゼムガレとサモギティアを包囲、これを占領した。それはいいのだが、いつドイツ王がのりだしてくるか、ダグは気が気でない。

しかしルーシは戦争に勝ち、ゼムガレ領はダグの手に戻った。ドイツ王は結局動かなかったのである。
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 リトアニアに対する初戦勝

東からの知らせ
主の1224年の春、雪解け水でぬかるむ街道を通って、ある隊商がレミセレ城を訪れた。隊商は東から来た。ウラル地方で冬に獲れた毛皮を荷馬車に満載してやってきたのだ。

「息災かね」
守備隊長は隊商の長に声をかけた。
「おかげさまでな。東ルーシに王が立ったおかげで、街道から野盗が消えて商売がやりやすくなったよ」
「こっちはリトアニア人との戦い続きだよ。いつになったら戦役が終わるのやら……ほかに知らせはないか」
「うむ、大平原の東に新しいカガンが出た」
「キルギスか? カラ=ホジャか? それともあのポロヴェッツの傭兵隊か?」
「ちがう。聞いたこともない連中だ。キタイのほうから来た。いまどき天空神を奉じている。とにかく強いということだ」
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「カガンの名は?」
「テムジン。ただ彼をその名で呼ぶ者はない。みなチンギス・ハンと呼んでいる」
「奇妙な名だな。強いのか」
「身の丈10尺の大男だそうだ。片手で羊を殺す。10日寝ずに馬で駆けることができる。それからーー」
「ははは! そんな与太話を信じると思ったか。せいぜい小さな馬の民が勢いづいて、いくつかの都市を略奪でもしたのだろう。面白い話だが大げさにいうのはよくない」
「俺も本当に見たわけではないんだ。だが数々の都市が降伏し、降伏しなかった都市は虐殺の憂き目にあったというぞ。連中はカスピの海辺まできた。俺の国も危ないかもしれん」
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「そのときはこのルーシまで逃げてくればいい。ルーシの守りは堅いぞ」
「キリスト教徒どもと一緒になんか住めるかよ。改宗を迫られて妻3人を離縁するはめになるのはごめんだぜ」
「はははは、そいつはまずいな!」

隊商を通したあとで、守備隊長は城の祐筆に聞いたことを話した。祐筆はリフランドの老公ダグに聞いたことを話し、ダグはそれを黙って聞いた。だが彼の想像力はヴォルガの東より先には及ばなかったので、「馬の民は次から次へと出てくる」とだけ言って、早めに寝床についた。

その夜、ダグは夢を見た。100万の騎兵を率いて大平原を駆ける自分を夢見たのだ。夢の中の自分は若く美しかった。

100万の槍がきらめき、あまたの塔がこぼたれ、諸都市が門をひらいた。王侯たちが彼の前にひざまずき、彼らの剣がダグに差し出された。ダグは微笑み、剣のひとつを手にとると「余は世界を征服するぞ」と言った。
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朝がきて、小姓がダグを起こしにいくと、ダグは寝床のなかでこときれていた。幸せそうな表情をしていたという。彼は70まで生きた。平静を失わず、常によき判断をした。


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