Unhistory Channel 152 - パラドゲー記録

Paradox Interactive, Crusaderkings2, AAR

<前回までのあらすじ>
ルーシ大公国の内乱のあおりで、先代ヒシングはあっさり暗殺されてしまった。彼には男児がいなかったので弟マッツがリフランド公位を継承することになったが……。

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兵士1「今日はレミセレの近郊13ヶ村から兵士が到着する日のはずだが……」
兵士2「影も形もないな。日取りを間違えているのでは?」
兵士1「村々が出仕の日取りを一斉に間違える? そんなわけはあるまい。何か事故があったのかもしれない」
兵士2「あるいは単に」
兵士1「ああ、また例のあれか。殿もさぞお困りだろう……」
06
ダグの子マッツは本当に困っていた。
まるで兵士が集まらないのだ。兄ヒシングの葬儀ではあれほどいたノルドの戦士たちが、マッツの召集にはまったく応えようとしない。

手をつくして使者を送ってみても、召集に応えるのはわずかに1280人。ヒシングの時には6000の軍勢を動かしていたことを考えると、これはいかにも情けない。

『臆病者マッツ』。
人々はマッツをそう呼んだ。お人好しなところも、社交を好むところも、軍を率いるのには適していなかった。

兵が集まらないので、こうなると封臣たちのほうが兵数が多い。反乱を起こされてはひとたまりもない。
03
 金貨を下賜し、関係改善
 しばらくのち反乱派閥は自然消滅した

だがそこは持ち前の人当たりのよさと金で乗り切った。
社交好きにもいいところはある。

マッツは汚い手も使った。
異教徒の略奪行があってもこれを撃退することなく、封臣たちの領土を制圧されるがままにしたのだ。
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 マジャル系に育ったがために継承からはじかれたモーリス
 評議会の参加も拒否されている
 
特にトロペッツ伯である兄モーリスの領土は甚大な被害を受け、モーリスは反乱を考えるどころではなかった。このためモーリスはマッツに恨みを持った。
 
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マッツは領国の経営にも心を配った。父親ダグ、兄ヒシングにならってよく領国を巡察し、それで民は彼を愛した。
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女たちもマッツを愛した。
妻クリスティナは彼を信じて疑わなかったし、また兄嫁のエウフラシアも彼の誘いに応え、子を孕んだ。エウフラシアは帝都からこの北辺の地にやってきて初めて心の安寧を得たという。
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主の1166年2月、妻クリスティナが病死すると、マッツは晴れてエウフラシアを娶り、これを公妃とした。二人の間には静かな愛があり、人々はそれを見てうらやんだ。

弔い合戦
さて、マッツは兄ヒシングとは仲がよかったので、ぜひ彼の弔い合戦をしたいと思っていた。
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 臣下には無用のいくさだ

当時、北ルーシではスグロフのカガンがドイツ騎士団の領地を要求して戦争になっていた。しかしマッツはそれには目もくれず、兄を殺した『蜘蛛のヴィアチェスラヴァ』の首を取るために南へ軍を進めた。
00
 リフランド軍の進路
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 1167年2月22日、トルキの合戦

カルパチア山脈のふもとトルキにて、リフランド軍はヴィアチェスラヴァ軍に接触。これを完膚なきまでに打ち破った。この勝利の知らせはマッツの評価を高め、以後『臆病者』というそしりはあまり聞かれなくなった。
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 平民アケ マッツの祐筆
 故ヒシングとはよくチェスをしたという 

「よい機会です。この戦勝の祝いと同時に息子のダグ殿のおひろめをされてはいかがでしょう」
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アケの助言を入れて、マッツは臣下を集めてダグを彼らに紹介した。彼らはみなダグを盛り立てると言ってくれた。特にラドガ伯ラグナルはダグを気に入った様子で、後援を固く約束した。
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一方、兄モーリスの息子カーロイとダグは公の場で大喧嘩をやらかした。このためお互いの敵意は一生残るものとなった。このことがあってからマッツと兄モーリスとの関係はさらに微妙になってしまった。

ダグのこと
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主の1171年、モラヴィアのサウル王がルーシに侵攻をはじめた。しかしリフランドは弱兵ゆえか召集がかからず、領国で後詰めを担当することになった。

マッツはこの時間を利用して後継者問題にめどをつけることにした。
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ライバルの兄モーリスには3人の男児がいるが、マッツにはダグがいるきりだ。しかしモーリスの家系に家督を譲るということは考えられない。

そこでダグに後を継がせることになるが、彼にはヒシングの娘インギビョルグを娶らせる。ビャルトラ家家長としての正当性を確保しつつ、帝国皇女エウフラシアの血(インギビョルグはエウフラシアの娘だ)を入れるという案である。

この案はモーリスを除く臣下のおおむねの賛同を得られたので、この線でいくことに決まった。
08
ダグの育て方も悩みどころだった。マッツは人々の心を掌握することは上手だ。しかしこればかりは教えてものになるというものではない。

無理に教えて反発されるのもこわい。マッツは父ダグが兄ヒシングを厳しく育てたために、二人の関係に修復不能な亀裂が入ったのを見ている。
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妃のエウフラシアに相談したところ、彼女はこう言った。
「聞かれたことだけ教えなさい。わたくしは帝室であれもこれもと教えられて育ったけれど、何一つものにならずに大人になってしまいました。ダグはわたくしと違って賢い子です。自分で自分の将来を決めるでしょう」

そこでマッツはそのようにした。また良き助言を与えてくれる妻に感謝し、彼女をさらに愛した。
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主の1174年3月、ダグは晴れて成人した。
先の妃クリスティナの血が濃いのか、少し南国人めいた風貌である。そして父親に似たのか軍事の才がまるでなかった。くわえて、もの狂いの気配があった。

しかし頭は悪くないようで、習い覚えたことはすぐ身につくたちなのであまり心配はしていない。まあ5年もすればものになるだろう。マッツはそう思って自らを安心させた。しかしーー。
 
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 突然の死

主の1175年9月、兄ヒシングに続いてマッツもまた暗殺された。今回の下手人はわかっていない。
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「トロペッツ伯の兄モーリスではないか?」といううわさはあった。彼はダグが成人するまではリフランドの第1継承者であったし、またマッツと険悪な関係にあったからだ。

されど真相は闇の中。
人々は不安にかられつつ、新しいリフランド公ダグの登位を見守るしかなかった。


次回、賢きダグ

<前回までのあらすじ>
ひさびさの名君ダグの登場によってリフランドは富み栄え、その領国の数も増した。皇女を嫁に迎えるなどして、次代ヒシングの治世は万全の態勢でスタートした。

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紺碧の海、砂また砂の海岸線。
モーロ人の投げ槍と、彼らの雄叫び。

ノルドの戦士たちは浜辺での戦闘に勝利し、多数の捕虜を奴隷として持ち帰った。金貨も宝飾品もなかった。この海岸で産するものは奴隷だけなのだ。

奴隷はセビリアのムスリムに叩き売られた。そうしてヒシングはこの遠征の対価がディーナール貨60枚にしかならないことを知り、悪態をついた。
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 おそらくビャルトラ家最後の略奪行

先代のダグが死んだとき、ヒシングは遠い遠いモロッコの沿岸にいた。異教徒に対する略奪行の最中だったのだ。

ほかの兄弟と違い彼には領地が与えられなかったので、みずからの威信を示すため略奪遠征をする必要があった。それにしてもモロッコまで行くとは……。
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 ダグの子ヒシング、リフランド公
 正教への改宗を拒んだ

ヒシングは己に厳しい武人だった。その武勇は名高く、特に防衛戦に強かった。彼のもとには多くの戦士たちが集ったのでその軍勢は5700を数えた。

しかし初陣でひどい傷を負い、その醜い傷は一生残った。妃エウフラシアはこの傷のためヒシングを避けたので、ヒシングはひどく気分を害した。
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 帝国皇女エウフラシア

「このような北辺の地まで嫁に来て、楽しみとて何もなく、夫は野蛮な武人でしかない。わたしの青春は、わたしの人生は、灰のように辛く苦くなってしまった」

育ちの違い、宗旨の違い、また男児がなかったこともあって、この二人の仲はあまり円満ではなかったという。
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ヒシングは内政でも問題を抱えていた。
先代をよく支えたイングリア伯グズムンドを家令(steward)から降ろし、祐筆(chancellor)に任じようとしたところ、この人事に不満であったグズムンドは領国に引きこもってしまった。
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 怒れる忠臣グズムンド

グズムンドはあきらかに祐筆向きの人材だ。だが彼には家令として勤めあげた年月への誇りがあった。ヒシングはそんなグズムンドの心情に考えが及ばなかったので、ただ怒りに怒りをもって答えるのみだった。

この件は結局、弟のマッツを祐筆とすることで落着した。この一件でわかるように、ヒシングには人の心を理解しないところがあった。
37
 万人の友バルド

そんなヒシングにも親友はいて、ナルヴァ家のバルドとは特に親しく交わっていた。バルドには友人が多く、ヒシングはバルドの多彩な交遊にかなり助けられていたといえるかもしれない。
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ヒシングはバルドとよくチェスを指し、達人といえるまでになった。もともと軍を率いることは得意だったヒシングだが、この技能によってさらに磨きがかかった。
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さてヒシングは自分だけでなく他人にも厳しかった。主君であるルーシ大公ティヴァダルのもとを訪れたとき、あまりにその軍勢がぶざまであるのを見て、思わず大公を叱責した。

「このように野蛮な烏合の衆を率いておられるとは、まったくの恥ではありませんか。わたしに軍勢をお預けください。半年で叩き直してみせましょう」
02
大公ティヴァダルはよくできた君主であったので、この叱責をいれてヒシングに軍を預けた。ヒシングの言葉にいつわりはなく、その仕上がりを見て大公はむしろ恩に着たという。
03
 さらにロストフ戦役のさなかで重歩兵運用を学ぶ

エウフラシア
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ある日、母后イングフリドがヒシングを訪ねてきた。

「おまえ、ちゃんとエウフラシアを見ているのかい。あの嫁を誘惑しようという男はたくさんいるんだよ。このあいだもわたしを買収してエウフラシアと会わせてもらおうという馬鹿者があらわれた」

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 誘惑者ポルフィリオス
 帝国の優雅と退廃を一身に兼ねそなえた遊び人だ

「それだけじゃない、あの嫁についてよくない噂を聞いた。おまえ、悪くするとあの女に殺されるよ」
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 弟マッツの嫁クリスティナによるヒシング暗殺計画
 共犯者になんと妃エウフラシアの名前が挙がっている

ヒシングは驚きあきれたが、冷静に対処を行った。
エウフラシアにはまるで他人事のようにクリスティナの陰謀の話をし、加担している身内のものがいるらしいと匂わせた。それでエウフラシアもすべてを察し、計画から手を引いた。
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また誘惑者ポルフィリオスに対しては決闘を挑んだ。しかし帝国からの返答はなく、面目を果たす機会は失われた。

この事件があってから夫婦の仲は決定的に悪くなり、もはや同衾も望めなかった。二人の間には女児1人があるばかりで、継承者には弟のマッツが不本意ながら指名された。
 
27
主の1163年、大公ティヴァダルはヒシングをキエフの宮廷に呼び、彼を宮宰に任じた。ヒシングとしては従士長の位を望んでいたのだが、それはかなわなかった。

大公ティヴァダルは言った。
「ロストフ戦役で国は弱り、いまや余の兵も3000を数えるばかりだ。リフランド公におかれては、ぜひ余を盛り立て、ふたたび強盛のルーシ大公国を実現してほしい」

そうまで言われてはヒシングも悪い気はしない。そこで彼はキエフへ移り、宮宰の任についた。やるべきことは山積していた。キエフのポジール地区をかけまわり、商人団や農民の陳情を毎日受けた。宿に帰ることもできない日々が続いた。

ある晩、宿としている北国商人の商館に帰ったヒシングは奇妙な感覚を覚えた。誰かがこの部屋に立ち入ったように思われたのだ。
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空き巣が入ったかと思い、身を固くしたヒシングの喉に腕がかけられ、ついでなにか布のようなものが巻きつけられた。布はすべるように首を締め上げてゆき……。
 
明朝、東方産の絹のショールを首に巻いて死んでいるヒシングが発見された。犯人はあとから明らかになった。ルーシ大公に対する反乱を計画していた『蜘蛛のヴィアチェスラヴァ』の手の者による犯行だった。
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 蜘蛛のヴィアチェスラヴァ
 ボリソフ家の女当主


ヒシングがルーシ大公の誘いを受けて宮宰になっていなければ、こうして死ぬこともなかったかもしれない。しかし歴史に『もしも』はない。ビャルトラ家はこの当主の若すぎる死を受け止めるしかなかった。
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主の1164年5月、知らせがリフランドに届くとともに、ヒシングの弟であるラドガ伯マッツがリフランド公に昇格した。マッツは兄をあつく葬るよう命じた。



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