騎士になるためには厳しい訓練が必要だ
エマヌエル・デ・ニーサ
まだ若いサラゴサ王
サラゴサのアルハフェリーア宮殿の中庭で二人の人間が剣の練習をしている。片方はまだ少年で、もう片方は大人だ。後者は練習にもかかわらず鉄の兜をかぶっている。
「エマヌエル、攻撃を受けたらすぐにリポストしろ。防御からリポストへの時間がかかりすぎている」
「これ以上速くは無理だよ」
「時間は基礎練習で短縮できる。おまえは単純に基礎練習が足りないんだ」
鉄仮面のジュリアン
護衛役、従兄弟でエマヌエルの姉ギゴーネの夫
理由はわからないが人前で兜を脱ぐことはなかった
ジュリアンの指導は厳しかった。
エマヌエルはへとへとになって、しゃがみこんで言った。
「ジュリアン、僕は王であって騎士じゃない。いい武具も持ってる。そこまでして剣技を身につけなくても——」
「甘ったれるな。王たるもの、騎士の第一人者として敵陣へ切り込むこともあろう。そのとき血を流すより、いま汗を流せ!」
「……それもそうだね。ジュリアン、いつか僕が勝ちいくさを収めたら、誰よりも先に君に領地をあげるよ」
「それは嬉しいな。だがまだおまえはいくさに出られる強さではない。もう一度、はじめから」
二人は立ち上がり、また剣先を合わせた。
主の1261年、ヒスパニアの3国はクルトゥバ協約のもとで長い平和を謳歌していた。男たちは戦場へおもむかず、女たちは夫の死を嘆かず、子供たちはすくすくと育った。婚姻のつながりが蜘蛛の巣のごとくヒスパニアを覆い、平和のいしずえとなっていた。
エマヌエルの母グニマはアル=アンダルスのアミール、アジーズ・イブン・サニョの妹だったし、姉エリサベタはアジーズの妃となった。そのエリサベタがお産で死亡すると、妹マッキヤがアジーズのもとへ輿入れした。さらに弟サヴァリクスが、アジーズの妹、バハク・ビント・サニョをめとることになっている。
だが数代にわたる結婚でデ・ニーサ家とングン家の血が濃くなりすぎたのも事実。そこでエマヌエル自身の妃はヒスパニアの外から招くことになった。ブルゴーニュ公アントワーヌ3世の娘、ジュリアンヌである。
この婚約はカロリング家の諸王を警戒させた。
というのも、サラゴサがフランスに手をつっこもうとする前兆とみなされたからである。彼らの危惧には理由があった。ヒスパニアが協約によって平和になったということは、今後サラゴサの進出する方面がフランスしか残されていないということになる。
オンフロワの個人戦闘力は50
戦えば負ける
エマヌエルはオンフロワに侮辱詩を送り、彼との対立の火を煽った。二人は生涯を通じての敵となった。その後オンフロワはエマヌエルに決闘を申し込むが、エマヌエルは断った。オンフロワの剣技はきわめて強く、戦えばかならず負けることを知っていたからである。
サラゴサ王妃
親が分家を作ったので家名がピエモンに変わっている
ジュリアンヌとの結婚式はサラゴサで盛大に祝われた。
エマヌエルは人付き合いを苦にしない性格だったので、新婦とも新婦の父とも会話が弾んだ。うまくやってゆくことができそうだ。
アラルコスからやってきたアル=アンダルスのアミール、アジーズ・イブン・サニョとは宴を通じてよき友人になった。友情は同盟の基礎となる要素だ。一朝ことあらば互いを助けると二人は誓い合った。
主の1270年、尚書長のヤアファルがエマヌエルにある提案をした。
「バルセロナを攻めませんか」
「バルセロナはアキテーヌ王のものだが」
「いま、バルセロナ公ラドミルは不品行を犯し、教皇の不興を買っています。この機会ならバルセロナ公領を攻める名分が得られます」
「どう思う、ジュリアン」
王国のマレシャルとなっていたジュリアンはしばらく沈黙していたが、鉄兜の中からこう答えた。
「歴史をひもとけば、バルセロナはバルセロナ家のものだった。かのカール大帝が彼らのヒスパニア辺境における地位を認めていた。しかし200年前にアキテーヌ王家がバルセロナ家を追い出し、東欧からきた騎士に当地を与えた」
「気の遠くなるような昔の話だ」
「そしてバルセロナ家は衰亡した。だがバルセロナ家の血はわれらデ・ニーサ家にも色濃く流れている。したがって——」
「デ・ニーサ家がバルセロナ公領を要求するのになんの不都合もない」
「その通り」
教皇ヴィクトル2世はエマヌエルの要求を認めた。
『しかしそれには条件がある』と書状に書いてあった。
『私はガリシアに対する十字軍を考えている。バルセロナ公領の代償として、十字軍へのサラゴサの参加を求めたい』
ともあれ、これで条件はそろった。
クルトゥバ協約を発動させ、アル=アンダルスとシェンシルの援軍を要請する。敵はアキテーヌ王エイレナイオス!
バルセロナは連日の砲撃にさらされた。
砲撃? そう、エマヌエルはここに西欧で初の火砲隊を投入したのだ。このサラセンの技術を導入した新兵器は恐るべき轟音を立てて火を吹いた。それは城壁を揺るがし、塔の基部を粉砕した。
主の1272年秋、こうしてバルセロナは陥落した。
同年中にクルトゥバ協約軍はアキテーヌ王軍主力を撃滅し、エマヌエルは初陣を勝利で飾った。
サラゴサ王がサラセン人と組んで、カール大帝が設置して以来一度も侵されたことのないヒスパニア辺境を攻め滅ぼしたという知らせが各国の宮廷を駆け巡った。
「サラゴサ王はサラセン人と通婚を繰り返している。もはや彼ら自身、サラセン人のようなものだ。信用に値しない」
知らせを聞いた中にはそう言う者もいたという。
「約束のガリシア十字軍のことだが……」
教皇ヴィクトル2世の催促にエマヌエルは言葉を濁しているようだ。もちろんエマヌエルに十字軍に参加する気はさらさらなかった。クルトゥバ協約を根本から崩すことになるからだ。どうやって断るか、そればかりを考えているうちに、十字軍は始まり、知らぬ間に終わっていた。
1272-1273、失敗に終わったガリシア十字軍
当然参加はしないが、仕組み上ムスリム側に立って参戦することもできず
ノルウェー出身の大司教ラグナル
「アキテーヌを続けて攻めようと思う。大司教はどう思われるか」
「名分がありません」
「デ・ニーサ家は何人ものアキテーヌ王女を妃として迎えてきたのだが」
「その言い分なら全世界を征服できますな。だがよろしい、その線で古文書を『調査』してみましょう」
エマヌエル率いるクルトゥバ協約軍35000はボルドー近郊のフロンサックでアキテーヌ軍30000と衝突。これを撃破したが、直後にアキテーヌ王エイレナイオスはドイツ王マルティン2世を同盟に引きいれた。まもなくドイツ王軍90000が南下してくるという。
アキテーヌとドイツの同盟!
エマヌエルは鉄仮面のジュリアンを呼び、意見を聞いた。
「白紙和平すべきだ」
「やはりそう思うか」
「ドイツ王相手はさすがに分が悪い」
「だが占領地の地積はこちらが圧倒的に稼いでいる。決戦で勝って時間を稼げないか」
「せいぜい決戦1回だな。それくらいは暴れてみせるが、時間とともにこちらの主力がすり潰され不利になるだろう」
「わかった。ではやってくれ」
ドイツ王軍は3隊に分かれてラングドックへと南下してきている。最初の部隊を叩きのめすことができれば、後続の部隊が加わっても個別に撃破できるだろう。速度が武器だ。
1279年6月2日、アルビの決戦
両軍はアルビで激突した。
サラセンの偃月刀が太陽にきらめき、ドイツの騎士たちの鎖帷子は血に濡れた。90000のクルトゥバ協約軍のうち20000が倒れ、一方ドイツ軍は6700人の死者を出すにとどまった。しかしいくさは協約軍の勝利に終わった。ドイツ軍は再編成のため北へと撤退していった。
主の1280年、エイレナイオスは降伏し、エマヌエルは勝利した。いまやラングドックはわがものだ。
このいくさで大きくアキテーヌの領地を削ることができた。
しかしアキテーヌ王エイレナイオスとドイツ王マルティンの同盟があるので、今後はそうはいかない。この同盟をなんとかして無効化できないだろうか?
ウエスカ伯タリャ
古いモサラベの家系
都市育ちで家令向きだが、尚書長をやっている
「可能です」と尚書長タリャは言った。
「陛下の長男ヴェジアンの妃として、ドイツ王の娘か孫娘を迎えればよい。いくさになってドイツ王がどちらに援軍を出すかは賭けですが……」
タリャの進言にしたがい、代替わりなったドイツ王イェンジェイの娘ズヴィニスラヴァを息子の嫁に迎えることになった。
「これからはお互いを友人と呼ぼう」
息子の結婚式でエマヌエルはイェンジェイと同じ卓で食事をし、友人となった。同盟の基礎は友情にある。
結婚式が終わると、エマヌエルはすぐにアキテーヌ王国に宣戦した。ドイツ王イェンジェイがどう出るか? その結果によってはいくさをあきらめなくてはいけないだろう。
そしてイェンジェイはこちらについた!
同盟軍の到着を待たずに仕掛けた緒戦で敗退するも、エマヌエルは最終的に主の1291年にガスコーニュを併合した。
同年、アキテーヌ王エイレナイオスがトーナメントで事故死すると、すぐにその5歳の子ブラシに宣戦。鉄仮面のジュリアンが宮廷のあるビゴーレ領を攻めてブラシの身柄を確保した。こうしてガスコーニュに続けてトゥールーズ公領を併合することができた。
ギゴーネ・デ・ニーサ
エマヌエルの姉で友人
鉄仮面のジュリアンの妻
鉄仮面のジュリアンの妻
「エマヌエル! まだ小さな子供に領地を与えておいて、うちのひとにはなんの恩賞もないというのはどういうわけ。あなたはジュリアンには幼いときから世話になっているでしょう?」
「たしかに……」
「次のいくさでは絶対にうちの人に領地をあげてちょうだい。わかったわね」
領地をもらえなかったのは長男のヴェジアンも同じだった。ヴェジアンはすでに騎士となっていたが、その臆病さから戦果をまだ上げていない。
そのころエマヌエルは大金を投じてアル=アンダルスのアミール、アジーズ・イブン・サニョの息子ステンバノスをサラゴサに招いた。親同士が友人であるように、息子同士も友人になってくれればとの思いだった。
ヴェジアンと卓を囲んだステンバノスは彼に良い影響を与え、二人は友人となった。ヴェジアンは臆病さを克服したし、ステンバノスはサラゴサに花開く南ガスコンの文化に魅了された。
主の1295年、エマヌエルはアキテーヌ王を追い詰めにかかった。アキテーヌ公領、ポワトゥー公領、ビゴーレ伯領を一気に請求したのだ。そして今回も緒戦でブラシ王を確保し、講和に持ち込んだ。
1295年、ほぼアキテーヌの旧領を併合
王位を簒奪されたブラシはヴレー伯となった
機が熟したと見たエマヌエルは、ボルドーにてアキテーヌ王位を宣言した。長らくカロリング家の分家が治めてきたアキテーヌはここにデ・ニーサ家のものとなった。
半分サラセン人の王家がアキテーヌを征服したことに人々は眉をひそめ、トゥール=ポアティエの戦い以来のことだとささやきあった。
「長く待たせたが、アキテーヌ公領を任せたい。受けてくれるか」
鉄仮面のジュリアンにそう言うと、彼はうなずき、無言で兜を脱いだ。エマヌエルは彼の顔を初めて見た。鉄仮面の下の顔はすでに老いていた。その目には涙が浮かんでいた。二人は笑い、抱擁し、お互いの背中を叩き合った。
アキテーヌ王家が持っていた東方の聖槍アラムを手にいれた
充実する書庫
翌年、エマヌエルは旧アキテーヌ王臣と旧王ブラシをそれぞれ臣従させ、アキテーヌ王国を完全に併合した。彼は諸侯にはかって法律を変更し、長子相続制にしてサラゴサ王位とアキテーヌ王位が分裂しないようにした。
その頃サラゴサの宮廷では天然痘が流行り、妃ジュリアンヌ、息子ジョルジェ、鉄仮面のジュリアンを含む多くの人々が病に倒れた。
エマヌエル自身は天然痘にはかからなかったが、老いによる衰弱を感じていた。しとはいっても、彼はまだ50歳だったのだが。
友人のアティッシ・イブン・ズラール、アジーズ・イブン・サニョも次々と亡くなった。そして甥のステンバノスがアル=アンダルスのアミールとなった。
同盟国同士のいくさはやめてほしい
ステンバノスはアミールに即位すると、イシビリヤー領を巡ってシェンシルといくさを始めた。彼の軽率な行動によっていまやクルトゥバ協約は危機に瀕している。
だが、しだいにエマヌエルは込み入ったことを考えることができなくなっていった。判断力が落ちてきたのを感じる。
「そして鉄仮面のジュリアンはこう言ったんだ。おまえには基礎練習が足りていないとね」
「お父様、若き日の訓練のお話でしょ? そのお話はもう何度も聞きました。ぼけがひどくなってきたんじゃないの?」
娘のジュリアナにそう言われて、エマヌエルは困惑した。
「そうだったかな?」
いや、かすかに覚えている。前に何度もこの話をしている。だがそれを認めたくはなかったのでエマヌエルはこう言った。
「では別の話をしよう。俺の若いころ、鉄仮面のジュリアンという男がいて——」
エマヌエル・デ・ニーサ(1246-1313)
サラゴサおよびアキテーヌ王
勇敢に戦い、王国をひとつ勝ち取った
次回、罪ぶかきヴェジアン