夕暮れ、アルハフェリーア宮殿の窓辺にたたずんでいる。
乾いた風が吹き込むムデハル様式の馬蹄形アーチの下で、ジュリアンはハルチャ詩をいくつか暗唱した。
いま取り組んでいるアブルカシスの著作『解剖の書』第1巻はなかなかの難物で、アラビア語に堪能なジュリアンも手こずっている。だが、あそこの訳をこうしてみたらどうだろう。すっきり訳せるんじゃないか。これでいこう。
ジュリアンはあらたな着想を得ると、写字台に戻った。あたりが暗くなってきているのに気づいて、蜜蝋の蝋燭をつける。脇目もふらずに羽ペンを走らせる。アラビア語からラテン語へと、流れるように言葉が移し変えられてゆく。
ジュリアン・デ・ニーサ
サラゴサ王
学者traitを取得し、Learn on the Jobパークで重臣の能力の20%をサポートとして得ている
ジュリアンは父親に期待されない長子だった。
だが司教クラメンスの指導のもと、サラゴサの司教座聖堂付属学校で学び直した結果、豊かな学識を身につけた。彼はベルベル語とアラビア語を話すことができ、アラビア語書籍翻訳者として名を挙げつつあった。
ジュリアンが人を遠ざけ、隠遁生活を好む傾向にあったのは確かだ。だが幸いなことに彼は重臣たちの適切な助けを得て王国を統治することができた。
やさしの君、ヨランデ・ブラモン=ボルドー
サラゴサ王妃
「どんどん処理していくよ」
ジュリアンの2人目の妃ヨランデもよく夫を支えた。彼女は得意とする領地の管理を担当し、あまたの尚書部の文書にサインした。ある研究によれば、この時期の王妃のサインは王であるジュリアンのそれよりも効力があったという。
ヤアファル・デ・ニーサ
アルマニャック伯
「いくさのことは俺に任せてくれ!」
弟のヤアファルは軍事面で兄を支えた。彼はサラゴサの騎士たちの長であり、その勇敢さで知られた。
外交面では、妹たちが嫁いだトゥライトゥラーやクルトゥバの太守と盟を結ぶ一方で、アル=アンダルスのアミール、ヤアファル・イブン・ザカリイヤとの強固な同盟を構築した。
同盟は二重に構成されていた。末の妹フランセサをアル=アンダルスの第1王子サニョに嫁がせ、長男サヴァリクスの嫁にヤアファルの娘ギニマ・ビント・アイルーを迎えたのである。数代にわたるングン家とデ・ニーサ家の婚姻によって、両家の間にはなかば血族のような親密さが芽生えつつあった。
1221年のヒスパニア
ほぼ三国鼎立状態となり安定している
ジュリアンはさまざまな書籍を収集した。そのなかでも白眉の品は宝石飾りつきのクルアーンだった。これは子なくして死んだバルセロナ家のジェオフロイから相続したもので、プルツェリナという写本師の手になるものだ。
そのほか、特に力を入れていたのはアラビア語技術書の収集だった。ジュリアンは技術書の一冊から改良水車についての記述を見つけ、これを試作させた。うまくいくことがわかると、これを領国の水路に導入した。水車は製粉だけでなく、製材や鍛治にも使えた。ジュリアンのアラビア式水車はサラゴサからオクシタニア、フランスへと広まっていった。
「オトギリソウは聖ヨハネの日に収穫するの。
気分がふさいだ日に煎じて飲むのがいい」
気分がふさいだ日に煎じて飲むのがいい」
妃ヨランデは本草学に造詣が深く、アルハフェリーア宮殿の中庭でさまざまな薬草を育てていた。ジュリアンは何事においても詳しく知りたいという気持ちが強い人だったので、そのひとつひとつについて妃に質問を投げかけた。ヨランデは辛抱強く答え、そうするうちにジュリアンは本草学の魅力に取りつかれた。そうしてまた書庫に本が増えたのだった。
「水は通すが、あなたは阻まれる。
よくないことが起きる。よくないことが起きますぞ!」
よくないことが起きる。よくないことが起きますぞ!」
偏執的ゆえに232ストレス
ストレスレベルを0にしていなければ死んでいた
こんなこともあった。
旅行中、隠者から不吉な予言を受けたジュリアンは、そのことで頭がいっぱいになり、何も手をつけることができなくなってしまった。サラゴサに帰って妃ヨランダに相談した結果、宴をひらいて心を安らげることにした。
だが生来の臆病さが邪魔をして、宴で楽しむことがまったくできない。水か……。余に水を持ってきたあの男はたくらみごとをしているのではないか。あの女の目つきが気に入らない。毒見役が余を裏切っているのではないか。などなど。つくづく損な性格をしたものだ。
結局、塔に引きこもって本を読むことでしかジュリアンの恐怖を鎮めることはできなかった。そう、本は裏切らない。
このように塔にこもっているジュリアンの決断は遅く、さまざまな好機を逃してしまうことがあった。
主の1224年、聖地サンティアゴ・デ・コンポステラを擁するガリシアを攻めたときもそうだった。緒戦でガリシア軍を破ったものの、同盟国であるはずのアル=アンダルス軍にモンテレイの戦いで蹂躙され、サンティアゴを取られてしまったのだ。
実はすでにアル=アンダルスのアミール、ヤアファル・イブン・ザカリーヤがガリシア攻めを命じていたことをジュリアンは知らなかった。あと3ヶ月早く宣戦していれば先んじることができたのに……。
こうしてジュリアンのせいでキリスト教世界はサンティアゴ・デ・コンポステラを失った。以後、同地はアラビア語でヤント・ヤクーブと呼ばれることになる。ジュリアンは人々の嘲りを受け、『臆病王』という不名誉な二つ名を帯びることになってしまった。
この敗戦のあと、叔父でマレシャルのレオン公ベレンゲルがサラゴサ王位を公然と請求し始めた。ジュリアンのがっかりしたのは、弟のヤアファルがその一味に加わっていたことだ。あんなに信頼していたのに……。ジュリアンはヤアファルを牢獄にぶちこむと、少し泣いた。
主の1228年、シェンシルのアミールがガリシアを攻め、ガリシア王国は地図から消滅した。
ヒスパニアはサラゴサ、アル=アンダルス、シェンシルの三国鼎立の状態となった。アルアンダルスは兵力6万、シェンシルは3万。いずれもサラゴサの2万より上だ。サラゴサが南へこれ以上拡大することは難しく、手詰まりとなってしまった。
健康に黄信号
ジュリアンは50を過ぎてから身体の不調に悩まされるようになった。薬草を煎じたり、医学書を読んだりしても体調はよくならない。
「残された時間は少ない」
そう思ったジュリアンは、かねてから構想していた翻訳を開始することにした。書物の名は『知恵の角灯』。クルトゥバの図書館から譲ってもらったこのすばらしい医学書をラテン語に翻訳しようというのだ。
ただ、この事業には金がかかり、それ以上に心労がひどかった。ジュリアンは翻訳事業に没頭し、そのせいで何人もの友人を失った。だが果実は実り、3年後に翻訳は完成した。
「これでもう、いつ死んでもいい」
そう思ったジュリアンだが、この医学書を訳したことで体系的な医学の知識が身につき、食事、睡眠、適切な運動などによって四体液のバランスを取る方法を学ぶことができた。彼は以前より健康になりさえしたのだ!
健康パークツリーを完了
デニア伯ベレンゲル
ジュリアンの家令
数少ないカロリング家直系で、バレンシア土着のノルド語を話した
主の1237年の聖霊降臨日も近づくころ、ジュリアンはアルハフェリーア宮殿にてデニア伯ベレンゲルの訪問を受けた。ベレンゲルはなにか言いたいことがあるようだった。
「陛下、地中海沿いの海港がさわがしくなっています。いくつもの商会が食糧を買い占めています。近々大きないくさがあるようです」
「震源はどこだ?」
「教皇庁です。ローマからヨーロッパ中に使節が飛んでいます」
「いくさはイェルサレムか」
「いえ。アル=アンダルスです」
十字軍が宣言される
「アル=アンダルスは同盟国だ。なんとか助けられないか」
「サラゴサがキリスト教国である以上は無理でしょう。陛下も信仰を疑われぬよう資金を供出したほうがよいと思います」
ジュリアンは妃のヨランデにも意見を聞いた。
「もし十字軍が成功したら、あなたは国境の南に巨大な敵国を抱えることになります。すぐに隣国トゥライトゥラーにいるあなたの妹エルメンガルダを通じてアミール・ヤアファルに情報を伝えるべきです。そしてアミールに対して継続的な資金援助をしましょう」
トゥライトゥラー太守ワハブ
アミールの家令
ジュリアンの甥
「母から事情は聞きました。すぐにアミールに伝えます」
そうするうちにもキリスト教軍への参加者は膨れ上がり、29万にも達した。ほぼヨーロッパ全域からの参加者ということになる。
主の1238年の待降節、キリスト教軍はサラゴサ王国の港カステリョンに上陸した。それをアル=ブントで待ち受けるサラセン軍。一触即発の危機に、ジュリアンはサラゴサ軍を動員して注視した。
同じころ、アルハフェリーア宮殿の厨房女が惨殺されるという事件が起きた。ジュリアンは小事にかまけていられないので調査を命じて終わりにした。しかし宮廷での殺人は続いた。犯人はわからないままだった。
そして別の事件が起きた。
ジュリアンの尚書長ドゥラーフがサラセン人と間違われ、十字軍に捕まって火炙りにされたのだ。なんということを……。
さらにトゥライトゥラーにいる妹のエルメンガルダが病死した。
迫りくるいくさ、尚書長と親友の死。ジュリアンの心労は極限に達しようとしていた。
いつものように書を持って塔にこもるか?
それが許される状況ではないことをジュリアンは知っていた。彼は歯を食いしばり、宮廷にとどまった。
1239年8月2日
アティエンサの戦い
サラゴサのすぐ近くを十字軍が行軍し、南へ向かってゆく。
南からはアル=アンダルスの軍勢が北上してくる。
両軍はアティエンサで激突した。
そして戦いの帰趨は——サラセン軍が勝利をおさめた。
翌年5月、教皇ステファヌスはヒスパニアからの撤退を命じ、キリスト教軍はちりぢりばらばらになって故国へと帰っていった。ここに十字軍は敗れたのである。
ヤアファル・イブン・ザカリーヤ
アル=アンダルスのアミール
「わが従兄弟よ、おまえが情報をくれなければ我が国は負けていた。感謝している」
「同盟国を失うわけにはいかないからな」
「これからも共に手を取り合ってゆこう」
「ああ……だが」
「どうした?」
「ヤアファル、私はもう永くはない。医学をかじっているからわかるんだ。私のプネウマはもう尽きて、体液は乾きつつある。さらばを言っておこう」
だが、ジュリアンが死ぬより先に妃ヨランデが死んだ。
宮廷での連続殺人犯がまだ暗躍していたのだ。ヨランデはベッドの上で血に濡れて発見された。
殺人犯の捜査は行き詰まっていた。
そしてジュリアンの寿命も尽きた。妃を殺した者の名を彼が知ることはなかった。彼は悲嘆のうちに死んだ。
ジュリアン・デ・ニーサ(1177-1240)
サラゴサ王
期待されぬ王だったが、学ぶことで身を立てた
次回、調停者サヴァリクス