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 1254年7月7日、アヴェルサの戦い

昇る朝日とともにシチリア王軍は突撃を開始した。
「アレルーヤ! アレルーヤ!」
騎士たちは長剣をふりかぶり、敵の奴隷兵をなぎ倒していく。
国土の半分を占領されてもまだ王軍は士気軒昂だった。

だが異教徒の戦列は厚い。
無数の槍が突き出され、隊列が崩れる。
「ひるむな! 貴様らの忠誠を見せろ!」
先陣をつとめるフレリー・ドートヴィルは面頬を跳ねあげ、
自分よりずっと年上の騎士たちを叱咤した。
 
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稜線の向こう側には新たな敵の援軍が姿を見せている。
この朝日が西の空へ沈むまでに、あまたのキリスト教戦士たちが血の海に横たわるだろう。フレリーは敵兵の頭蓋めがけて剣を撃ち下ろしながら、暗い予感に震えた。

6年前
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 神聖ローマ皇帝ジモン・フォン=ヴィッテルスバハ

6年前のこと。
フィリップ・フォン・ホーエンシュタウフェンはすでに亡く、神聖ローマ皇帝位はヴィッテルスバハ家のものとなっていた。フィリップ大帝には男子の孫がいたが、幼年のために継承されなかったのだ。そして皇帝選挙により、バイエルンに陣取るヴィッテルスバハ家が表舞台に躍り出たというわけだ。

そんなこんなで結局、ホーエンシュタウフェン同盟はシチリア王の代替わりを待たずにドイツから解体してしまった。

さて1248年、皇帝ジモンは軍を率いてアルプスを越えた。
目標はカラブリア公領の海港アンコナだった。

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 巨大な神聖ローマ帝国がカラブリアに襲いかかる

カラブリアの摂政アンナは女王に援軍を頼むことにした。
「まるで象とアリの戦争ね。皇帝が請求権を持つアンコナの取得は、正直悪手だったとしか思えない。夫もまったく余計なことをしてくれたものだわ!」

どんどん南へ押し込んでくる皇帝軍。
それに対し、女王に動員されたシチリア王軍は全力で戦った。

しかし血族同盟なき今、ホーエンシュタウフェン家のシチリア王国は弱体だ。激しい戦闘の続くなか、体の変調をきたしていたクリームヒルト女王が崩御。王軍の士気は低下し、これをついて皇帝軍は一気にアンコナ市中へなだれこんだ。
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圧倒的な戦力差。アンコナ港は完膚なきまでに破壊され、領地を奪われて戦争は終わった。同時に、アンコナを拠点に地中海へ雄飛しようという故ロジェ・ドートヴィルの夢も終わった。短い夢だった。

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新しいシチリア王は女王の長子、フランドル家のジェルジュアンと定められていた。 だがまだ彼は10歳だ。しかも相続について議論があり、弟2人に王領地を分けたため、彼の支配する王領はたった4州でしかなかった。

皇帝との戦いで疲弊し、継承で弱ったシチリア王国。
禿鷲たちがこれを見逃すはずはなかった。

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1251年5月。ナポリ宮廷は絶望的な報告を受け取った。
地中海の対岸、マスーフィー朝のスルタン・ヤフヤーがシチリア王国全土に対するジハードを宣言し、イフリーキーヤから大艦隊を発進させたという。

ナポリはまだ知らなかったが、この時すでにキレナイカのスレイミー朝、モロッコのムワッヒド朝が遠征に加わり、計59000の異教徒軍が南イタリアめざして動き始めていた。
 
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全イタリアの傭兵が招集された。
王国の隅々に使者が飛び、戦える者はみな王軍に加えられた。
摂政アンナは配下の諸侯をコセンツァに集め、こう言った。

「もはやドイツ人もイタリア人もノルマン人もない。
いま私たちの国そのものが崩れようとしているのだ。
力を合わせて異教徒を撃退しよう。主はそれを望まれる!」

「主はそれを望まれる!」

そしてオートヴィル家の3人の男子、フレリー、オスウィン、フランクは人々の前で団結を誓ったのだった。

滅亡

戦いは4年続いた。
ヴェネツィアとセルビアだけがシチリア王国のために援軍を送った。
キリスト教軍は終始押され気味で、イフリーキーヤの半月旗のはためく土地が月ごとに増えていった。

そして最後の大反攻を試みたアヴェルサ会戦でキリスト教軍は負けた。壊滅した王軍は二度と立ち直ることはなかった。
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 ただ眺めていることしかできない

1255年2月、シチリア王国は滅んだ。
ロベール・ギスカール、鉄腕ギヨーム、それから名もなきノルマンディーの男たち。彼らが築き上げた地中海の王国は、200年の歴史を経てここに消滅した。

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 1255年、イフリーキーヤのマスーフィー朝は南イタリアを征服
 三つのオートヴィル家(黄文字)はそれぞれ異教徒の支配下に入った

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 マスーフィー朝スルタン、ヤフヤー3世
 優れた君主であり、その宮廷は退廃とは無縁だった

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 フレリー・ドートヴィルはカラブリア公位を剥がされ、
 たった2領を支配するだけのカタンツァロ伯となった

フレリードートヴィルとスルタンの間に交わされた会話は記録に残っていない。ただオートヴィル家が持つカラブリア公位の権利は認められたらしく、この会談のあとフレリーは改めて「カラブリア大守 Emir」を名乗っている。しかし公位剥奪にともない独立した2人の弟は彼の支配を離れたままとなってしまった。

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 マスーフィー朝のカラブリア大守、フレリー

選択の時

コセンツァ郊外の猟場。
涼やかに流れる小川のほとりで、オートヴィル家の三兄弟が低い声で話をしている。異教徒に悟られないために猟という名目で集まったのだ。

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 シチリア王国旧領、1255年
 白枠は旧王家フランドル家領土、緑はスルタン直轄領
 シチリア島東北部メッシナは十字軍期間中に当地を占領したセルビア王国が引き続き管理している

 
話題はオートヴィル家の行く末だった。
マスーフィー朝は王権が強く、異教徒に対する称号剥奪をたやすく行うことができる。すでに旧王フランドル家のベネヴェント領がスルタンに召し上げられている。オートヴィル家の領地も同じ道をたどることは目に見えていた。

「こんな話を聞いた。キリスト教徒領主であっても最後の1伯領だけは安堵される。だが戦争や継承で新しい領地を得たなら、すぐにスルタンに召し上げられてしまうだろう」
「つまり異教徒の支配下にある限り、我らの領地は永遠に1伯領のままということか」
「……改宗という選択肢もある」
「僕もそれについて考えていた。改宗すれば王国内で勢力を蓄え、再起を図れる」

弟たちの話を聞いて、フレリーは我慢できずに叫んだ。

「オスウィン、フランク、おまえたちは信仰を捨てようというのか?」
「選択肢があると言っただけだ」
「兄さん、僕らが必死で異教徒と戦っていたとき教皇は何をしてくれた? キリスト教諸国は何をしてくれた? ただ見ていただけじゃないか。スルタンは僕の気に入ったよ。彼のような君主なら仕える価値がある」

フレリーは何も言い返せなかった。
彼も内心そのように感じていたからだ。

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1255年4月、選択の時がやってきた。
「スルタンにカタンツァロ領を召し上げる意向あり」との知らせが伝わってきたのだ。了承すれば大守フレリーの領地はシチリアのジェルジェンティだけとなってしまう。そして先の会話にあったように、1伯領からの復活はほぼ絶望的。

もしこのときフレリーの妻プルケリアが口を挟まなければ、オートヴィル家の歴史は一変していたかもしれない。

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 大守の妃プルケリア・ガヴァライナ
 ビザンツの軍事貴族ガヴァラス家の娘、ロードス島の女領主

「ねえフレリー、コンスタンティノープルの皇帝陛下に臣従願いを出してみてはいかが?」

盲点だった。
もはや誰も覚えてはいなかったが、南イタリアは確かにビザンツの歴史的領土だったのだ。そういえば、ことあるごとにコンスタンティノープルから形式上の『帝国国法変更通知』が届いていたことをフレリーは今更ながら思い出した。

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 ジョスラン・ドートヴィル 元エピロス専制侯
 ヴェネツィアにエピロスを追われ、妻の領地に亡命した

ビザンツには同族のジョスランがいる。
帝都近郊カリポリスに居住し、宮廷事情にも明るい人物だ。
プルケリアはジョスランを仲介役としてビザンツ皇帝に保護を申請した。
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認められるのか? 却下されるのか?
スルタンへの回答を保留したまま、皇帝の返事をひたすら待ち続ける。煉獄で焼かれる時はこのような気分に違いない。

そして返事は来た。

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「オートヴィルの臣従を認める。
以後、カラブリア公領は帝国の保護下に置かれる。
署名:皇帝テオドロス2世ラスカリス

落日の帝国とはいえ、依然ビザンツは強大だ。
さすがにマスーフィー朝も帝国臣下とあっては手を出せない。
「このときの安堵を一生忘れることはない」
後にフレリーはそう語っている。

こうしてフレリー・ドートヴィルはビザンツ皇帝に臣従し、オートヴィル家はイスラーム圏と正教圏に別れて生き延びることになった。


次回、続けてフレリー・ドートヴィル 2

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 1255年、地中海世界 黄枠はビザンツ領
 ヴェネツィア共和国がアドリア海の出口を制覇しつつある
 モンゴル人がカザフ、ペルシア、アラビア半島を支配している
 パレスティナの十字軍諸領は1240年代に消滅、ヨーロッパ人諸侯はイスラームへ改宗した