Emissary_kneeling_before_throne_byzantine
パトラス宮廷にて、1人の密偵がギヨーム伯に報告をしていた。
伯領の継承について封臣が持つ意見を調べてきたのだった。

「——というわけで、お世継ぎであるアヴェイス様への支持はほとんどありません」

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 ビザンツ帝国アカイア伯ギヨーム・ドートヴィルと妻エリア
 第一称号は一時的にリュキア伯になっている

ギヨームは難しい顔をして報告を聞いていた。
「その理由は?」
「ええ、その……やはりアヴェイス様が国外においでなのが条件として厳しいかと」

報告者は慎重に言葉を選んで話をした。
ギヨームを怒らせたが最後、命はないと知っていたからだ。

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 1315年、アカイア伯領継承順(選挙法)
 アヴェイスをテッサロニキ女公にしたが、依然としてアンドラヴィダ市長メレティオスとオーブレー・ドートヴィルが上位を押さえる
 
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 1323年。オーブレーを排除したが、アヴェイスの継承順は上がらないどころかレースから脱落

どうしてこうも市長たちが大きな顔をするようになったのか?
その答えは都市政策にある。

ロジェの代からオートヴィル家は都市とその収益を重視してきた。いまギヨームの配下には3人の市長がいるが、それぞれが3つから4つの都市を統治している。

市長や司教に複数領地を与えることで家臣数を抑えるというやり方なのだが、これは主従関係がいいときはうまく行く。だがいったん関係が壊れてしまうとこれほど選挙法継承と相性の悪いやり方もなかった。市長たちはこぞって有力な商人仲間に投票し、国外にいる当主の娘などまったく無視されてしまうのである。

「ひとつ聞きたい。アヴェイスを支持している者は何人いる」
「1人です。彼女を推薦しているのはギヨーム様、あなただけです」
「オートヴィル家はそこまで嫌われているのか」

報告者は無言をつらぬいた。
何を言っても命が危ないのなら、黙っているほうがまだましだ。

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一方、ギヨームは爪を噛んで考えにふけった。
このままではアンドロヴィダ市長メレティオスがアカイア伯領を継承し、ビザンツ皇帝直属の都市共和国となってしまう。父フレリーが血を流して切り取った伯領がまるごと失われるのだ。

メレティオスたちを殺すか?
しかし相手は都市や聖堂の参事会で選ばれたれっきとした市長・司教だ。彼らを殺しても後任者が継承リストに居座るだけだろう。それでは意味がない。

オートヴィル家にはアヴェイスのラテン帝国テッサロニキ公領が残るから、別に無一物になるというわけではない。しかしどうにかできないものか。

執念のカラブリア
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 ヴェネツィア商人からカラブリア公位を奪還!

主の1323年3月。
ギヨームはレッジョ共和国のドージェが僭称していたカラブリア公位を我がものとして宣言した。

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 オートヴィル家がこの称号を帯びるのは実に43年ぶり

レッジョは1318年にヴェネツィア共和国から独立している。5年の年季があけて、この称号を簒奪できるようになるのをギヨームは待っていた。

ギヨームが持っているのはカラブリア地方のうちコセンツァ領だけだ。1/2しか領有していないので簒奪合戦になる恐れがある。そんな不安定な公位を今なぜ取ったのか?

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答えはこうだ。
伯から公に昇格することで、継承法がリセットされて親族内での分割継承(gavelkind)になる。この時点で市長や司教は継承レースから排除される。すばらしい。

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カラブリア公位は長女アヴェイスに与えられる。ラテン帝国テッサロニキ女公としての彼女の地位に変化はない。

アカイア伯領、つまりギヨームが現在保有する全領地は後妻エリアとの間にできた次女アデル・ドートヴィルにいく。アデルはアカイア女伯として姉アヴェイスの臣下となる。

オートヴィル家にとって特別な称号であるカラブリア公を宣言することで、市長・司教の介入を防ぎつつ、オートヴィル家の領土を保ち、しかも公領としての統一を保持できるというわけだ。

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しかしアデルのアカイア伯領に大きな力を持たれても困る。そのためジェルジェンティ、ベネヴェント、フォッジアなどの都市に特権を与えて都市共和国化しておいた。アデルの直轄領を前もって9領から4領に減らしておいたことになる。

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アヴェイスはすでにテッサロニキ公臣の一人と母系結婚している。一方、アデルはブルガリアのアセン家次男ディオニシイと母系結婚させた。これでどちらもオートヴィル家として継承されるはずだ。

「カラブリア公位だけじゃなく、教皇が持っているスポレト公位も取ってやりなさいよ」
けしかけてくる妻エリアにギヨームはこう答えた。
「さしあたって教皇と事を構えたくないのでな。5年の年季があけてカラブリア公位を再簒奪されそうになったら、そのときスポレトを取ればよい」

継承問題をうまく処理したのでギヨームはきわめて満足していた。 

第3次ルム戦役
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 ノルマン重騎兵の突撃を受けるセルジュク騎兵

帝国は1319年からトルコ人との戦役を戦っていた。
1323年にはギヨームの領地リュキアが占領され、ルム朝は戦略目標の4割弱を達成している。

ルム朝が仕掛けてきたのは全ギリシア地域に対する聖戦だ。ギリシア地域は帝国の中核であり、ここを失うとあとにはクリミアやエデッサ、南イタリアしか残らない。

敗北は帝国の実質的消滅を意味する。それでは困る。ギヨームは女帝エウフロシネには何の恩義もなかったが、帝国軍としてカラブリア十字旗のもと出兵した。

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ギヨームはほとんど戦場に出たことがなかった。
宮廷で陰謀をめぐらす陰険な老人と思われていたギヨームだが、率先して前線に進撃したことで彼の評判はすこしだけ良くなった。以後ギヨームのことを「臆病」呼ばわりする者はいなくなったという。

1327年、カラブリア公軍はキュビライオトン地方を掌握した。敵軍の戦果を2割程度まで押し戻し、勢いづいた帝国軍は反撃を開始した。

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 1327年1月の戦線 ルム朝主力12000(オレンジ)を追跡し、
 皇帝軍主力(黄色)とともに挟撃を試みるも失敗

戦線は一進一退で推移していた。
ルム軍12000がギヨームの目の前でボスフォラスを渡り、コンスタンティノープルを包囲したとき、ギヨームはあえて主力同士の決戦を避けた。

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そのかわりニコメデイアで街道を封鎖し、小アジアからの補給を断って小さな戦勝を重ねる作戦に出た。この作戦は当たり、1328年1月にはルム朝はそれまでの戦果をほとんどすべて喪失した。

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だが老体をおしての戦役参加はギヨームの身体に大きな負担を強いたようだ。同じ頃ギヨームは熱病に倒れてニコメデイアの施療院に運び込まれている。

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2月17日、ギヨーム・ドートヴィルは施療院で息を引き取った。
55歳だった。
最後の言葉は「主に会うのがおそろしい」だったという。

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 テッサロニキ女公アヴェイス・ドートヴィル
 晴れてカラブリア公領を継承

この継承によって次のようなことが起きた。
まず、帝国外からの継承のためカラブリア公領は自動的にビザンツ帝国を離脱。ルム朝との戦争は終結した。

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そしてテッサロニキ公国は1325年からラテン帝国に対する独立戦争を戦っていたので、自動的にラテン皇帝との戦争に突入。すでに1割近く負けこんだ状態からのスタートである。

テッサロニキ公国として独立したままやっていくか。
それとも他国の傘下に入り、保護を受けるか。
道はいくつも用意されている。

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 1328年、3つの帝国
 エウフロシネ・ラスカリナのビザンツ帝国
 ジル・ファン=フランデレンのラテン帝国
 ジモン2世ヴィッテルスバハの神聖ローマ帝国
 
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 1328年、宗教概況。カトリックが依然強い
 しかし正教もルーシやイタリアで巻き返している

小さな間違い、わずかな油断が破滅を招く。
3つの帝国、2つの宗教、正解は1つ。
テッサロニキのアヴェイスはこの乱世をどう泳ぎきるのか。