天秤は傾く
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 テッサロニキ女公アヴェイス
 30,40の坂を越してさすがに老けた

主の1338年、アヴェイス・ドートヴィルは親衛兵を従えてヴェネツィア領の港レッジョへ入った。公軍の兵士たちは彼女を城門で迎え、声を限りにオートヴィルの名を叫んだ。
 
ヴェネツィア共和国を支持していた商人貴族たちはひっそりと町を出て、本国行きの船で逃げてしまっていた。

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 対ヴェネツィア初勝利

共和国軍は異教徒によるイフリーキーヤ聖戦でぼろぼろになっていたので、勝利はたやすかった。テッサロニキ女公アヴェイスは勝者としてレッジョ州を受け取り、カラブリア地方を一円支配する領主となった。

これに危機感を持ったビザンツ帝国は、再びテッサロニキを請求してラテン帝国に宣戦。女帝エウフロシネは辺境諸侯にまで召集をかけ、30000を超える軍団を西へ送ったという。

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 1339年、第二次テッサロニキ戦争
 戦時中、ビザンツ帝国では内乱が発生
 ラテン帝国はブルガリア内戦に介入
 さらにエジプトのケラク朝が遠征してくるなど大混乱

アヴェイスはブルガール風の騎馬衣を着けて自ら出陣し、主君のラテン皇帝フランソワ1世とともにビザンツ軍を迎え討った。そしてテッサロニキ本国を防衛しながら、1344年夏までにビザンツ領イタリアの首府サレルノを陥落させたのだった。

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 ビザンツ帝国に対しても初勝利を勝ち取る

「共和国も帝国も決して無敵ではない。わたしたちは勝てる」
勝利に沸く公軍を前にアヴェイスは言った。 
それぞれの勝利は小さかったが、彼女は自らの強さを証明したのだ。
 
民は強い者を愛する。
公国の人々はいまやアヴェイス・ドートヴィルを愛するようになっていた。

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もちろん、かたくなに彼女を愛さない者もいた。
そういった人々は散歩中何者かに『うっかり』川に突き落とされたという。

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 1344年現在、旧シチリア王国17州中7州を保有
 9州保有で王位を宣言できる

強き者として
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 アカイア女伯アデル・ドートヴィル
 アヴェイスの腹違いの妹

「アヴェイス、いつまでぐずぐずしているの。さっさとドージェにアプリア公位を請求したほうがよくてよ」
アデル・ドートヴィルは姉にヴェネツィア再戦を強く勧めた。

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アデルは手強い家臣だ。
父ギヨームからパトラス宮廷を受け継いだ彼女は、あらゆる機会を利用して自分の国アカイアを強化してきた。あくまでアヴェイスに忠実だったが、自分の損になるようなことも絶対にしなかった。

「アヴェイス。王位はすぐそこに、手の届くところにあるわ。アプリア請求権があればあなたは共和国からアプリア、レッチェの2州を一度に奪える」
「そして王国を打ち立てたあかつきには自分をアプリア女公にしろというんでしょう」
「いけなくて? わたしは正統のオートヴィルでバーリの領主だからその権利があるし、一族の首位はあなたとその息子アレクサンデルに認めると言っている」

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 アデルはフレリー系とフランク系の血筋を継いでいる

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 期待の継承者アレクサンデル・ドートヴィル
 アデルのパトラス宮廷に預けられてノルマン教育を受けた

「アプリアとカラブリアは継承者用にとっておきたいの。アテネ女公はどうかしら、アデル。アテネは豊かな伯領が多いしパトラスにも近いわ」
「大変結構。あなたはイタリアを取り、わたしはギリシアで最強の公国を作る」
「反逆したくなったら早めに言ってね」
「ご冗談を。分裂したら帝国や共和国の餌食になるだけだわ」
 
「でも共和国を攻めるにしても今度は異教徒の助けはない。正味のヴェネツィアと戦うことになる。わたしが恐れているのはそこなの。アデル、あなたにその覚悟はある?」
「テッサロニキ軍の3割と艦隊の半分を供出してきたの、どこの領主だかお忘れかしら。地獄の底までご一緒させていただくわ」

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1347年の暮れ、腹をくくったアヴェイスはヴェネツィア共和国に宣戦を布告した。
そして公国軍25000と傭兵隊をアドリア東岸の諸港に進軍させた。

「すみやかにアドリア海を越えよ。共和国主力が半島に展開する前に、ひとつでも多くの都市を陥すのだ」

アヴェイスはそう諸侯に命じた。
これまでの対ヴェネツィア戦では、常にオートヴィル家は長期戦での資金不足に陥り、敵の豊富な傭兵戦力に競り負けることを繰り返してきた。

今回はそうはさせない。
とにかく短期間で多くの土地を占領し、早期講和に持ち込むのだ。

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 ドゥラッツォ、イグメニツァ前面で強固な抵抗に遭遇
 山越えではなく、イオニア海経由で海上輸送すべきだった

しかし予想以上に山越えは苦しく、今回もヴェネツィア要塞の防備は固かった。
こちらの軍勢が海を渡る前に共和国軍は半島に展開し、現地の公国諸侯は包囲されて敗退を重ねてしまっていた。

こうなるともう主力同士の決戦でかたをつけるしかない。
ヴェネツィア相手に正面衝突は避けたかったが、どうしようもなかった。

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 1348年6月25日、コセンツァの会戦

翌年の初夏、両軍主力はコセンツァ近郊で激突。
共和国17000、公国20000の兵がカラブリアの野を血で染めた。双方ともにギャンベスン程度しか着けていない軽装兵の割合が高く、無数の矢が飛び交う戦場は地獄絵図の有様だったという。
 
戦闘は1週間続いたが、タラント湾から上陸したセルビア人傭兵隊が最後の一押しとなって敵戦線を崩壊させた。
 
以後、ヴェネツィア軍は戦闘力をほぼ喪失した。少数の部隊がナポリに再集結するが、もはや戦役の流れを変えるには至らなかった。

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共和国側についた都市は守る者もなく放置されていた。
公国諸侯は競うようにこれらを略奪し、いくつかの町では凄惨な虐殺がおこなわれた。それにはアヴェイスの許可が出ていた。

かつてオートヴィル家を見捨て、ヴェネツィア共和国のドージェを主君に選んだ南イタリアの諸都市。
商人としての判断は正しかったかもしれない。だがアヴェイス・ドートヴィルは彼女なりのやり方で彼らに損得を教えたのだ。

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一方、このコセンツァの会戦で公位継承者アレクサンデルが傷を負った。
 「自分は大丈夫です。すぐに回復してパレルモへ進撃します」

勇ましい便りの言葉と裏腹に傷は深かったらしい。「命は助かっても不具になるだろう」と侍医は書き添えていた。

アヴェイスは激しく動揺したが、ただ祈ることしかできなかった。

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1349年春、ついにヴェネツィア共和国は降伏した。
 
アドリア両岸とイタリアの半分を制し、アフリカにまで進出した海洋覇権国の面影はもはやなかった。執拗に繰り返されたイスラーム諸国とオートヴィル家による攻撃はそれほどヴェネツィアを弱らせていたのだ。

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 1349年、テッサロニキ公国
 テッサロニキからレッチェへ宮廷を戻そうと試みたが、
 すでに1度ロードスから宮廷を移しているためか成功しなかった

先祖ゆかりの地アプリアを回収したことで、旧王国17州のうち過半数を確保したことになる。あとは戴冠式に必要な資金を集めるだけだ。それには1年もかからないだろう。
オートヴィルの一族が150年ものあいだ夢見てきた王国復興が目の前に迫っていた。

だが、アヴェイスの心は晴れなかった。

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同年6月、アレクサンデル・ドートヴィルは26歳の若さで死んだ。
コセンツァで受けた傷が膿んで全身に毒が回ったのだ。

アレクサンデルはこう言い残していた。

「妻と息子をよろしく頼みます。息子ブーヴはまだ小さい。できれば継承の重荷を負わせないでやってください。
そのかわり、兄マルコスを継承者にしてやってほしいのです。兄はずっと苦労してきました。そろそろ報われてもいいでしょう。

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 新継承者となった長男「のろまのマルコス」
 継承レースから外され、フランスはクルトネー家の
 女伯の婿に出されていた
 
俺は精一杯生きました。悔いはありません。
あるとすればただひとつ——母上、あなたが王冠を戴くところを見られないのが残念です」

アレクサンデル・ドートヴィルの葬儀はしめやかに行われ、人々は「彼は良き王になっただろうに」と言ってその死を悼んだ。

戴冠
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アヴェイスの戴冠式は聖母被昇天の祝日に行われた。
公国の主立った人々はみなフォッジアのモンテガルガノへ来て、丘の上の聖ミカエル教会に参列した。

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 ロジェのマント

聖俗諸侯が見守る中、アヴェイスは母語であるギリシア語で祈りを捧げた。
そしてアラビア語の聖句が刺繍された王朝初代ロジェ2世のマントをまとった。
最後に教皇レオ10世の手によって、シチリア王冠をその白くなった頭に受けた。

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 復興オートヴィル朝シチリア、アヴェイス1世女王

「わたしこそ、ノルマン王である。
はるかな北国からこの地に安寧をもたらすためにやってきた騎士たちの長であり、ギリシア人とアラビア人、ランゴバルド人とラテン人の調停者である。
 
耳を持つ者は聞け。目を持つ者はとくと見よ。
長き不在のあとで、オートヴィルの名を持つまことの王が帰ってきたのだ」

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 雌伏の時代をようやく終わらせた

こうしてアヴェイスはオートヴィル家が王位を取り戻したことを全キリスト教世界に宣言。
1世紀半におよぶ大事業はここに終わりを告げた。

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 1351年、キリスト教世界
 存在感を増すフランドル家のラテン帝国
 アヴェイスはビザンツから独立したタラントを領土に加えた
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 ドイツ大乱。3代続いたヴィッテルスバハ家は凋落し
 帝位はツールーズのフランドル家へ
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 プランタジネット朝イングランドは第六回聖地十字軍を成功させた