分配
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王国を手に入れたアヴェイスはさっそく親族に領地を分配した。

ロードスとアプリアはアレクサンデルの忘れ形見ブーヴに。(空色)
サレルノ公領は三男アンテミオス(赤)と四男ユリアヌス(青)に。
妹のアデルには約束通りアテネ公位とギリシアの2伯領を与えた。(白)
 
アデルの協力なしには王国再建は不可能だった。アヴェイスは心から妹に感謝し、二人は死ぬまでお互いのよき相談相手になったという。

国外にいた長男マルコスには何も与えられず、オートヴィル家にとって特別な意味を持つアプリア公位はブーヴのものとなった。アレクサンデルの遺言にもかかわらず、アヴェイスは孫ブーヴを継承者に考えていたようだ。

その他、都市共和国やノルマンディ以来の家臣ド=リューカなどにも公位が与えられた。

女王と女帝
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 女帝エウフロシネ・ラスカリナ
 生涯アヴェイスのライバルであり続けた

ところでビザンツが新王国の創設を黙って見ているはずがない。
彼らにしてみればオートヴィル家は帝国の裏切り者だし、テッサロニキは第四次十字軍で奪われた帝国固有の領土なのだ。

「アヴェイス、おまえはなかなか運のいい女のようだ。
だがおまえとおまえの王国は帝国にとって目障りすぎる。
今度こそ全力で叩き潰させてもらうよ」

1352年春、女帝エウフロシネは三たびテッサロニキ請求権を主張し、アヴェイスとその主君であるラテン皇帝に対して宣戦してきた。

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 1352年3月4日 ラオディケイアの戦い

シチリア王軍とラテン皇帝軍は歩調を合わせ、小アジアのラオディケイアに進出した。そしてビザンツ皇帝軍との決戦に臨んだが、これに敗北し全滅してしまう。

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ビザンツの総兵力は当時60000を超えていた。続々と現れる異民族の強力な軍団に抵抗するのは不可能だった。包囲された都市はすぐにビザンツ軍に城門をひらいた。

敵の戦勝率1割、2割、3割……。
ラテン帝国側の敗色はいよいよ濃くなっていく。

そんな折、皇帝モーリスがテッサロニキ引き渡しを条件にビザンツとの交渉に入ったという知らせがあった。そこですぐにアヴェイスはラテン皇帝がいるコリントへ向かった。

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 第9代フランドル朝ラテン皇帝 モーリス1世
 7代アリエノール帝と帝位を争ったが、
 アヴェイスはフランドル家の内紛については静観した

「シチリアは帝国を離脱する」
アヴェイスの言葉にモーリスは引きつった顔になった。
「それでは帝国は滅んでしまう!」
「だからわたしに相談もなくエウフロシネに早々と降伏し、わがテッサロニキ領を引き渡そうというのか」

モーリスは苦渋の表情で言葉を絞り出した。
「……わかってくれ、アヴェイス。どうしても勝ち目がない。9代続いたラテン人の東方帝国を潰すわけにはいかないのだ」

アヴェイスはゆっくり首をふった。
「そうはならない。わが王国が離脱し、請求すべきテッサロニキ領がなくなったラテン帝国に、ビザンツは何も求めることはできない。
心配するな、エウフロシネは早晩白紙和平の使者を送ってくるだろう。
そして帝国に対するわたしの奉仕も終わりを告げる。これまで世話になった」

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6月、エウフロシネの夫君ルトガー・フォン・ウラッハが戦場で捕縛されたことも終戦への追い風になり、両帝国は翌1353年に和平を結んだ。アヴェイスの読みが当たったことになる。

だが、これですべてがうまく行くわけではない。
ビザンツ皇帝が例の請求権を持っているかぎり、オートヴィル家は常に宣戦され得る状態にあるのだ。
アヴェイスは事態の根本的な解決を計ることにした。

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 エウフロシネ暗殺実行率、驚異の228%
 女帝は偉大だったが、恨みもたくさん買っていた

請求権には『強い請求権』と『弱い請求権』がある。
『強い請求権』は次の代には『弱い請求権』になり、さらに次の代には消滅してしまう。
女帝エウフロシネを暗殺することで、ビザンツが持つ請求権を無力化してしまおうとアヴェイスは考えたのだ。

そしてさすがは『毒蛇の巣』と呼ばれるビザンツ宮廷だ。
計画協力者を山ほど見つけることができた。女帝は国内では相当恨みを買っているらしい。

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途中、協力者のペルコテ領主マルコスが皇帝官房の罠にかかり、計画が露見してしまうという事件が起きたものの……。

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ついに2年後の春、女帝は毒蛇の牙にかかって絶命した。
さらばエウフロシネ・ラスカリナ。
縁の深かったライバルの死にアヴェイスは一日無言だったという。

しかし蛇を売った商人は捕らえられ、皇帝官房の尋問にかけられた。そして女帝の死がシチリア女王による暗殺だったことが白日のもとに晒されてしまった。この醜聞は国際的な悪評を呼び、のちのちまで尾を引いた。だがそれだけの価値はあったのだ。

アヴェイスはまだまだ容赦しなかった。
彼女は女性君主なので、新皇帝が持つ『弱い請求権』でも戦争を仕掛けられる危険がある。そこですぐにエウフロシネの息子オレステス・ラスカリスを次の標的に定めた。

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 正教最高位の全地総主教アンドロニコスが皇帝暗殺に協力
 ビザンツ宮廷内の得体の知れない派閥争いが想像される

06 のコピー
1356年10月、オレステス帝の暗殺にも成功。これでビザンツ皇帝が持つテッサロニキ関係の請求権は完全に消滅した。

一戦も交えることなくビザンツの脅威を取り除いたアヴェイスは、ここでようやく一息つくことができた。 

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 ラテン皇太子にしてブルガリア王、ダナイル・アールパード
 「義母上、ブルガリア統一のためにぜひ援軍を送ってください」

中止されていた建築事業を再開したり、娘婿であるブルガリア王ダナイル・アールパードのために援軍を送ってやったのもこの頃である。
 
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 フランドル家のラテン皇帝たち

ダナイルはアヴェイスの次女エピファニアを后としている。その縁もあってアヴェイスは彼の母アリエノールがラテン皇帝に復位するのを支援したが、成功しなかった。

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 青地、紅白の市松帯
 (D'azur, à la bande échiquetée de gueules et d'argent)

またこの時期、アヴェイスは王の紋章から『皇帝の鷲』を取り除いた。そうして本来のシチリア王旗である『オートヴィル紅白帯旗』がテッサロニキやサレルノの城壁に翻ることになった。

破門
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 共和国の執拗な嫌がらせ

1359年2月、アヴェイスは新教皇ヨハネ19世から破門宣告を受けた。オートヴィルの当主が破門されるのはこれでいったい何度目になるだろうか?
 
誰が破門を要請したのか、目をつぶっていても解る。
ヴェネツィアのドージェ・アラリコだ。

当時オートヴィル家の継承法は、王家への昇格にともない分割継承に戻ってしまっていた。一族の領地を安定的に継承したければこれを選挙法継承に戻す必要がある。
法改正すべく諸侯との関係改善につとめていた矢先、この破門が言い渡されたのだ。

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破門の影響で家臣の評価はがた落ち。
とても法改正など無理な話になってしまった。

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さらに1360年6月、大規模な反乱が新生シチリア王国を襲った。
ジルジェンティ、オトラント、ブリンディシ、ペスカーラなど、ヴェネツィア支配下で優遇されていた都市が連合して独立を宣言したのだ。

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 都市連合は33000という極端な大傭兵戦力を動員
 ヴェネツィアの資金援助があったに違いない

首謀者であるジルジェンティ市長ニケフォロスの『急死』によって反乱は1年半で終息したが、連合が動員した傭兵軍の規模はテッサロニキ宮廷を震撼させるのに十分だった。

反乱を鎮圧したわけではなく、都市連合の領土はそのまま残ってしまっている。平時から都市の市長たちと対立しがちだったアヴェイスは「これではいけない」と思ったのか、この時から積極的に名誉職や金品を与えて市長の懐柔をはかるようになった。

1365年、ローマ駐箚の枢機卿イルドベールの努力によって破門は解かれた。
家臣の評判を取り戻したアヴェイスは継承法を変更し、正式にアレクサンデルの子ブーヴを後継者と定めた。

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 アプリア公ブーヴ(孫)2票
 尚書長、ベネヴェント共和国ドージェ ヨセフ 1票
 密偵長、タラント伯ユリアノス(四男)1票
 /
 反乱を起こした不満市長たちが法改正の最後の障害になっていた
 彼らを継承者ブーヴに譲渡(transfer)することで不満家臣をゼロにした


地中海の新強国
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「大ハーンの血を引くタメルランという男がいる。
彼はまだペルシア辺境の1アミールにすぎないが、すでに自分の帝国を築き始めている——」

1363年、レヴァントのギリシア人商館がそのような報告を送ってきてまもなく、100年続いたモンゴル人の帝国は崩壊した。

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 1363年2月 東方
 モンゴル人の帝国は崩壊し、大守たちが群雄割拠した
 
同じ頃、エジプトではケラク朝が滅んでアイユーブ朝が再興された。
アナトリアでは内乱に苦しむビザンツ帝国にルム・セルジュクが侵攻するなど、東方は混乱の巷にあった。

一方、ヴェネツィアのドージェ・アラリコは異教徒の帝国崩壊を好機と見て十字軍を結成した。先の聖戦で共和国が失ったイフリーキーヤ中央部を奪還しようというのである。

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 王国執政アンテミオス・ドートヴィル
 アヴェイス三男、サレルノ公

「母上、予想通り共和国が動きました」
「では一泡吹かせておやりなさい」

十字軍の船団がアフリカに向けて出航したのを確認したのち、王国執政アンテミオスは『旧王都パレルモの奪還』を挙げてヴェネツィア共和国に宣戦を布告した。

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 1365年、シチリア戦役

ヴェネツィアは敏速に反応した。
十字軍20000は急遽アフリカからシチリア島にとって返し、親共和国派のジルジェンティ市に上陸。これに対抗するためアンテミオスは追加の傭兵をかき集めてシチリアに渡ろうとした。

しかし傭兵はあらかたヴェネツィアに雇われてしまっていた!
それでもアンテミオスは焦らなかった。イタリア中の港に代理人を派遣し、任期の切れた傭兵隊を見つけたらすぐに雇うよう命じた。オートヴィルには今やそれを可能にするだけの財力があるのだ。

これまで傭兵の雇用合戦に資金難で競り負けてきたオートヴィル家にとって、この戦役は新しい体験となった。

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 1365年12月、ジルジェンティの共和国軍を包囲しつつある王軍

1366年1月、最終的にアンテミオス率いる王軍はヴェネツィア軍を3方面から挟撃し、これを完膚なきまでに打ち破った。

「オートヴィル家は他国の十字軍への攻撃を繰り返している!」

ドージェ・アラリコはそう言って聖庁に訴え出たが、教皇ヨハネ19世は動かなかった。もはや南イタリアの主の座は共和国からオートヴィル家に移ってしまっていたのだ。
教皇の後ろ盾を失ったドージェは講和に応じるほかなかった。

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 「ヴェネツィア共和国は降伏する。
  パレルモはあなたがたのものだ」

こうして旧王都パレルモはオートヴィルの手に戻った。
アンテミオスは市長レオを王国代官に任じ、町をこれまでと同じように統治させた。

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南イタリア最大の都市パレルモを奪還し、地中海の新強国として浮上したシチリア王国。ヴェネツィア共和国の時代は明らかに終わりを告げようとしていた。

また、オートヴィル家に離脱されたラテン帝国はわずか6州の小国となってしまっている。永くはないかもしれない。

静かに人生を終える

シチリア戦役後、アヴェイスは諸侯や息子たちに政務をまかせて静かな日々を送った。もう宮殿には住まず、テッサロニキ市中の館で静かに書き物をして暮らした。

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 書き物の中には、若き日の彼女が研究に打ち込んでいた
 『空飛ぶ機械』についての覚え書きもあった

アヴェイスは「生まれ故郷のロードスに帰りたい」といつも言っていたが、テッサロニキから出ることはなかった。
人々はこの老女王を愛していた。それで彼女は幸せだった。

09
主の1371年秋、アヴェイス・ドートヴィルは帰天した。
72歳だった。

「血塗られた少女期を過ごし、長じては『無慈悲』の二つ名を欲しいままにした。そしてついにイタリアを奪い返し、女王となった」

オートヴィル家の年代記は彼女の章をそのように締めくくっている。