田舎者
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1406年、ギリシア人の帝国は復活した。
悲願を達成した皇帝ロマノス5世ラスカリスは、生まれ故郷であるエピロスのイグメニツァに宮廷を置いた。

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イグメニツァはヴェネツィア共和国が育てた町だ。守るに易く、攻めるに固い。そしてイタリアとギリシアを両睨みできる。海に開かれた新都イグメニツァには人が集まり、急速に発展しつつあった。

しかしまもなくイグメニツァは間諜の跋扈するところとなった。権力基盤が脆弱なロマノス5世の治世を最大限に利用すべく、大侯たちが息のかかった商人、宦官、美姫を帝都に送り込みはじめたのである。

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 シチリア王国密偵長イルドベール・ド=サントメール
 フランスから招聘された腕利きのスパイマスター

中でも猛威をふるったのがオートヴィル家の密偵網だ。シチリア王タンクレード・ドートヴィルはその地で複数の陰謀を同時進行させていた。

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まずは、影響力のある宦官集団を通じて『帝国からの独立』派閥を打ち立て、皇帝に圧力をかける。そうして次期皇帝を諸侯の合議で決めるようロマノス5世に『進言』する。

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皇帝はこれを受け入れるしかない。驚くほどあっさりと、ビザンツ皇帝位は選挙法継承となった。

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タンクレードはすぐさま『シチリア専制侯タンクレード2世』を次期皇帝として推戴するよう諸侯に働きかけた。

東方皇帝。ドイツの紛い物などとは比べ物にならない、本物のローマ皇帝。ノルマンの野心とギリシアの巧緻を合わせ持つオートヴィル家にふさわしい望みではないか?

1417年、あの全キリスト教世界を騒がせたオートヴィル家の帝国加入は、つまりこれが目的だったのだ。

タンクレード・ドートヴィルは帝国第二の大侯。
バルセロナ家に先を越されはしたが、今度こそノルマン人が何度も挑戦してきた『ビザンツ帝国の簒奪』を無血で成し遂げるチャンスである。

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だが事態はタンクレードの思うようには進まなかった。
宮廷の誰一人、彼を皇帝に推戴しようという者はなかった。3000枚超のドゥカート金貨を受け取った帝国高官たちも微動だにしなかった。

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 クレタ公ユリアノス・ラスカリス
 「はて、オートヴィル家?
  ああ、例の成り上がりの田舎貴族のことですかな」

彼らはタンクレードを個人的に知っているという素振りすら見せなかった。高慢で不実なギリシア人め!

こうしてタンクレード・ドートヴィルの帝位簒奪計画は完全な失敗に終わった。こんな単純なプロットでビザンツを丸呑みしようというのが浅はかだった。千年帝国の格式を舐めていたようだ……。

誰も望まない世界
年が明けて2月になり、荒れる地中海を抜けてきた一番船がバルセロナからの便りをもたらした。アラゴン王アルフォンスからの書簡だ。

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 アルフォンス7世 デ=バルセロナ、姉の子

「親愛なる叔父タンクレードよ。
次期皇帝の指名には賛成しないが、独立派閥なら加わってもいい。父のかたきに仕える日々がこれほど耐えがたいものとは思っていなかったのだ」

先のタンクレード皇帝推戴計画を黙殺したアルフォンス、まさか独立派閥のほうへ来るとは思わなかった。いや、それでは誰も得をしないのだ。

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独立戦争をやってシチリアとアラゴンが抜けたらどうなるか?
確実に帝国は潰れる。後に残るのは滓のようなラスカリス家領と小領主だけだ。10年ともたないだろう。
 
そして誰も単独でロマニアを押さえていないので、帝国が再建されることはない。全キリスト教徒の心の支えとなってきた正統ローマ帝国という存在はここに消滅する。

「だが、」とタンクレードはつぶやいた。
自分の寿命はあと20年かそこらだろう。このままギリシア人の家来として一生を終わるつもりか? オートヴィルの男子と生まれたからには、ぎりぎりまで足掻いてみるべきでは?

タンクレードはしばらく考えたのち、バルセロナへ返事をしたためた。

「手に入らなければ壊してしまえ……まるでたちの悪い恋人だな」
封をしたあと、タンクレード・ドートヴィルはそう言って力なく笑ったという。


晩祷
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1423年の5月15日は大アタナシウスの聖日にあたっていた。
その日の夕刻、パレルモで大規模な民衆暴動が起こった。発端は皇帝の兵士の乱暴だそうだが、今となっては真相はわからない。

晩課を告げる鐘とともに皇帝派のギリシア系住民は手当たりしだいに虐殺され、帝国官吏たちはガレーで本国へ逃げ帰った。暴徒の中でも目立つ者はオートヴィル家の旗を振り回していたという。
世にいう『パレルモの晩祷』である。

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 帝国離脱を宣言するシチリア王とアラゴン王

そして暴動の発生と同時に、すべての準備を整えたアラゴン=シチリア同盟軍は皇帝に対して叛旗を翻した。大乱ふたたびである。

この乱での戦場は大きく二つに分かれた。
シチリア王軍・帝国中央軍が衝突するトラキア戦線と、アラゴン王軍によるヒスパニア戦線だ。

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 1423年7月10日〜8月8日 カリポリスの戦い
 帝国軍48000 vs シチリア王軍49000

多くの戦がそうであるように、トラキアでの決戦もまた要衝カリポリスで戦われた。
 
4週間に及ぶ長い戦闘を制したのはシチリア王軍だった。しかし『戦場の華』と歌われたノルマン重騎兵はもはや活躍せず、金にあかせてドイツやイタリアから招集された傭兵たちがタンクレードに勝利をもたらした。

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 迅速に海上を機動するアラゴン軍

ヒスパニア戦線でもアラゴン王軍は帝国軍に対して勝利を収めた。さらにタンクレードはいくつかの都市共和国の商船を徴発し、テッサロニキからバルセロナへ援軍を送った。

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 1424年、ピレネーの秋 すでに気候は厳しく冬同然

これらの部隊はピレネーの南麓に展開し、帝国軍の残党狩りにあたった。寒さや飢え、在地のバスク土豪の抵抗によって兵士たちの半分が帰らなかったという。

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しかし、ついに皇帝は膝を屈した。

主の1425年6月17日、ビザンツ皇帝ロマノス5世ラスカリスは、シチリア王タンクレードとアラゴン王アルフォンスの前に頭を垂れ、皇帝の権威がもはや両王国に及ばぬことを認めた。

こうして900年続いた東方帝国は崩壊し、ひとつの時代が終わった。
だれも望まなかった世界がそこに広がっている。

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 1425年、帝国崩壊 
 すでに実態としては弱体だったラスカリス朝ビザンツ帝国を
 『パレルモの晩祷』は徹底的に破壊した


嬉しくないあだ名
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 勇将の誉れ高いレーモン2世帝
 激戦で片足を失ったが兵士からの信頼は篤い

その年の9月、戦が終わったばかりだというのにタンクレードは小アジアに軍を送った。義父のラテン皇帝レーモン2世がルム朝と戦っており、漁夫の利を狙うロマノス5世がルム朝に宣戦していたからである。
 
せっかくここまでビザンツを叩きのめしたのに、ルム領を横取りされ領土を回復されてはたまらない!

しかしタンクレードの願いもむなしく、彼もレーモン2世も領地を得ることはなく、ロマノス5世があっさりルム領を併合してしまった。
さすがはビザンツ、粘りを見せてくる。 

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 1425年末、ラスカリス家(黄)はさっそく旧領を回復
 白:オートヴィル家、シチリア王
 橙:フランドル家、ラテン皇帝
 黒:バルセロナ家、アラゴン王 反乱でロマニア領縮小

「どこの王家がロマニアを統一するのか?」
 
誰にも予測がつかない。取り返しもつかない。
もはやロマニアは泥沼だった。

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翌年1426年の夏。
タンクレードは義弟であるイングランド王アルフレッド2世の求めに応じて、イェルサレム王国で起きた反乱鎮圧に兵を出した。

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 アルフレッド2世プランタジネット
 タンクレード妹アリソンの夫君

戦はさっさと済ませて初めてのイェルサレム巡礼をするなど、難しいことを考えなくていい遠征をタンクレードは満喫したようだ。
勇敢なアルフレッドとは気が合ったらしく、二人の交友は死ぬまで続いた。

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一方、既知世界の反対側では新しい王国が打ち立てられていた。
 
以前よりバルセロナ家は本家とフェズ家に別れていたが、フェズ公ベルナー=アマーはサハラを越えてティンブクトゥの都を制圧。ここにバルセロナ朝マリ王国を創設した。

「……まこと、世界は広いな」

知らせを聞いてタンクレードは呆れると同時に、これから沢山の冒険が待ち構えているであろう新王をうらやましく思ったという。

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 カラブリア公、謎の王位僭称反乱
 即時の条件不成立停戦(バグ?)

1427年の年明け、カラブリア・オートヴィル家のイサキオスが王位を僭称してタンクレードに戦いを挑んできた。しかしどうやら陣営内で対立があったようで反乱は沙汰やみになり、この小事件はすぐに忘れられた。

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 『賢王』タンクレード2世ドートヴィル

請求権を使って着実に領土を広げ、陰謀によって最大のライバルビザンツを叩き潰したタンクレード。このころ、彼は人々から『賢王』と呼ばれるようになった。

どちらかといえば平和な善政に捧げられるこの称号。ロマニアの混乱を招いた自覚のあるタンクレードはこの呼び名を好まなかったが、民衆も皮肉で言っていたのかもしれない。

家中のこと
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タンクレードは母オードと妻サラジーネを相次いでなくした。それで深い悲しみに包まれた。
ことにサラジーネはまだ26歳という若さだった。オートヴィル・フランドル両家の深い関係もあって、彼女と兄妹のようにして育った王の喪失感は深かった。

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しかし残された者は生きてゆかねばならない。
タンクレードは母オードからラテン皇帝請求権を引き継いだ。
そして王妃サラジーネは娘エリザンド、娘アヴェイス(フランス王太子と婚約)、息子ギヨームを夫に残した。

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 ギヨーム王子は気弱な本の虫になってしまった

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 王国宰相にして盟友、フレリー2世ド=リューカ
 ベネヴェントおよびスポレト公

「タンクレード、『王妃は国の要石』と言うぞ。悲しむ気持ちもわからんでもないが、宰相としては早めの再婚を勧める。
ここに候補者のリストを用意しておいた。ルーシからヒスパニアまでよりどりみどりだ」

タンクレード自身は再婚すべきか悩んでいたが、宰相の勧めもあり、喪が明けるとクロアチアの女王エテル・アールパードをテッサロニキへ迎えることにした。

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アールパード家は旧ハンガリー王家である。
 
アドリア海からステップにかけて強大な勢力を誇っていたが、カーン家と王位を争って負け、国を割ってクロアチア王家として独立した。そのせいでエテル女王はクロアチア本土、ステップ、黒海に分散した領土をまとめるのに苦心していた。
タンクレードとの婚姻、すなわちシチリア王国との同盟はこれを解決するものだ。

オートヴィル側の事情もあった。
現在チャナード家の支配するハンガリーはじわじわとバルカンとカフカーズから南下してきている。彼らが旧トレビゾンド帝国領とマルマラ南岸キジコス領を王国に編入したことで、その脅威は確定的になった。
 
誰がロマニアを統一するにせよ、チャナード家とは必ず対決することになる。その際、背後に控える旧王家アールパードとの同盟が役立つはずだった。

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 やさしの君、新王妃エテル

二人はそこそこ良い夫婦になった。1429年、エテルは男子ロジェを産んだ。
 
ところでシチリア王国の相続法は分割継承のままだ。したがってサラジーネの遺児ギヨームはシチリアを、エテルの子ロジェはクロアチアを継ぐことになる。

続いて三男ブーヴ、三女マチルドも産まれ、テッサロニキ宮廷には往時のにぎやかさが戻ってきた。

フランドル家の新皇帝
1429年の暮れ、ドリュライオンのラテン帝国宮廷から知らせがあった。レーモン2世帝がついにその長い治世を終え、孫のオルソン・ファン=フラーンデレンが皇帝に即位したという。
 
オートヴィル家はフランドル皇帝家の縁戚中の縁戚だ。タンクレードみずから弔問に赴くのは当然だった。

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タンクレードがドリュライオンで出会ったのは蒼白い顔をした美少年だった。彼は11歳にして公正さを示し、慈愛にあふれ、俊敏だった。将来かならず良い君主になると思われた。しかし彼は嫌な咳をした。胸の病をわずらっていたのである。

「フランドル家を代表して挨拶します。タンクレード、よく来てくれました」

オルソンの父、皇太子ラウルは4年前に暗殺されていた。誰が刺客を差し向けたのか、いまだに解らない。それでオルソンは脅えていた。アカイア公、キレナイカ公、エーゲ諸島公などの同族はみな帝座を請求する権利があった。

「陛下、お聞きください」

タンクレードは少年に優しく語りかけた。
国内事情から加入こそしていないが、オートヴィル家は全力で帝国のために働くと。フランドル家のことはずっと面倒を見るとも言った。
 オルソン・ファン=フラーンデレンはこのタンクレードの言葉を生涯胸に刻むことになる。

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降りしきる雪のなか、レーモン2世の葬儀はおごそかに行われた。
 
老皇帝は民衆にたいそう慕われていた。消滅寸前までいったラテン帝国を立て直し、小アジアへの反攻を実現させたというだけでなく、その人柄が魅力的だったのだ。葬儀への参列者はドリュライオンの大聖堂を外まで埋め尽くしたという。

そうして年が明けた。すでに15世紀に入って30年が過ぎていた。
ロマニアの混乱は永遠に終わらないように思われた……。