代用品
フランドル分家のジャン3世
1430年11月、ラテン帝国のアカイア公領で代替わりがあった。
公領を継いだのはアルカ伯のジャン3世・ファン=フラーンデレン。1395年のアンティオキア遠征で、先のシチリア王ブーヴから征服地を賜った武官長アンドレの息子である。
フランドル家中の出来事だったが、この継承が近隣に与えた影響は大きかった。
ジャン3世はシチリア王臣。その彼がアカイアを継いだことにより、ラテン帝国領の半分がシチリア王国へ移動した。
かつて小アジアへ反攻する以前のラテン帝国は、エーゲ海に点在する島と砦のつらなりにすぎなかった。そのなかでもまとまった領地を保有していたのがアカイア・フランドル家だったのだ。ラテン帝国は今回の継承によってこれらをすべて失った。
同月、シチリア王タンクレード2世は少年皇帝オルソンに対してラテン皇帝位を請求した。
予想する者は多かった。シチリア王タンクレードが躊躇しない男であることも知られていた。しかし、それでも人々は信じていた。オートヴィル家は(ほぼ)つねにラテン皇帝を補弼してきたではないか? 先帝レーモン2世は彼の叔父であり、義父であり、親友だったではないか? タンクレードがレーモンの死後1年を待たずして本性を剥き出しにしたことは人々にある種の衝撃を与えた。
オートヴィルはしょせん盗賊騎士の血筋だ。人々はそのことを思い出さないわけにいかなかった。彼らはこうやって400年という歳月を生き永らえてきたのだ。
タンクレードの帝位請求権はフランドル家皇女である母オードから受け継いだものだ。
これは『弱い請求権』なので、相手が女帝・幼帝でなければ使えないはずだった。だからみな油断していた。しかし幼帝オルソンが即位したことで、オートヴィル家にとって有利な状況が現れた。
あるいはこの条件を満たすため、フランドル家の男子が1人ならず退場を迫られたということがあったかもしれない。だがそれを証明する史料は残っていない。
内気なギヨームは父に怒った
「オルソンと戦うのはよしてよ! ぼくら友達なんだよ!
父上、フランドル家の面倒みるって言ったよね。どうして父上はキリスト教徒なのに約束破るの」
タンクレードの第1王子ギヨームは父に詰め寄った。彼は即位式でオルソンに会って、この年上の少年を崇拝するようになっていたからである。
「ときには兄弟も敵となるのだよ」
タンクレードはそう教えた。この時代に君主として生きるなら、他の答えはなかった。
1433年12月、タンクレードの軍勢は帝都ドリュライオンを制圧した。
わずか6領のラテン帝国はよく戦ったが、シチリア王軍の敵ではなかった。フランドル家の少年皇帝は自分を裏切った後見人の前に頭を垂れた。
フランドル家との血縁。
対立教皇セヴェリヌス2世(テッサロニキ在座)による承認。
イタリア、ギリシア、小アジアを堅実に統治してきたオートヴィル家の実績。
十字軍士としての名誉。
これらをもって、タンクレード2世ドートヴィルは『ロマニア皇帝 Imperator Romaniae』を名乗った。1204年の創設以来つねに脆弱の代名詞だった十字軍国家は、ここに強力な実体を帯びる事となった。
ラテン帝国の栗色に染まる旧シチリア王国領
次はアラゴンから自立した諸伯領を狙っていく
旧都ドリュライオンからは聖遺物や財宝が持ち出され、騎士や司教たちは転居の準備を急いだ。一方、いまや『帝都』となったテッサロニキではかつてない規模の荘厳ミサが準備された。槍試合があり、見世物があり、7日7晩の祝宴があり、人々は口ではタンクレードを誉めたたえた。
しかし枢機卿から乞食に至るまで、帝国のすべての者が心の中ではこう思っていた。
「あの男は結局本物の皇帝にはなれなかった。だから代用品で満足したのだ」と。
怒りと響き
ラテン皇帝タンクレードの初年は血塗られたものとなった。
ビザンツ皇帝の牽制? アラゴン王との領地争い? いや、災いは一族のうちからやってきた。
1433年の待降節、タンクレードが即位したその月のうちに、皇太子ギヨーム・ドートヴィルが無惨な死をとげた。塔の上から何者かに突き落とされたのだ。
タンクレードは髪をかきむしって叫んだ。下手人を暴きだせと。即座に死を与えよと。
人々に拷問を繰り返した結果、疑わしき者の素性がしだいに浮かび上がってきた。その名はイサキオス・ドートヴィル。宰相にして同族のカラブリア公。
たしかに過去に不穏な動きはあった。それでもそのたびに許してきたのだ。イサキオスの才能を評価し、信用して宰相職にまでつけてやったのだ。それがこんな非道を、罪なき子供に、可愛いギヨームに……!
他人に向けた刃が自分にも向かってきたとき、怒り狂わずにいられる者は少ない。だからタンクレードも激怒した。しかしその一方でタンクレードは陰謀の緻密な縫い目を解きほぐすことを忘れなかった。
どうやらシチリア王位を選挙制にしたのがまずかったようだ。
選挙制では成人のみが候補となる。イサキオスはギヨーム1人を排除するだけで第一王位継承者になれた。脅威を予想してしかるべきだった。
イタリア、小アジアをすべて失う恐れ
三男ブーヴがテッサロニキ近郊を確保するものの
次男ロジェにはからっぽのラテン帝座しか残されない
ラテン皇帝位は分割継承により次男ロジェが継ぐものの、このままでは帝国の9割を占めるシチリア王領が下手人イサキオス・ドートヴィルのものになってしまう。もっとも、イサキオスは王国を打ち立てた女傑『無慈悲のアヴェイス』の孫だ。王を号する正統性は十分にあると言っていい。
タンクレードは即座に動いた。
問題のシチリア王位を廃し、諸侯をラテン皇帝の直轄下に置いたのだ。母オードやド=リューカ卿が危ぶんだように、幼少よりタンクレードはビザンツ流の謀略を不適切なまでにうまく操ってきた。それをイサキオスはすぐに思い知ることになる。
これでイサキオスは何も手に入れることができなくなった。復興オートヴィル家の悲願だったシチリア王位をこうまで迅速に廃したことに、タンクレードの怒りのほどが読み取れる。
そして帝室密偵長イルドベール・ド=サントメールは今回も丁寧に仕事をした。
オートヴィル家の密偵網は決して獲物を逃さない
密偵長イルドベール
「陛下、イサキオスをヴェネツィア領ナポリにて捕らえました。共和国当局は型通りの遺憾の意を表していますが、それだけですな。奴はどうやら教皇領に逃げようとしていたようです」
対立教皇セヴェリヌス2世
「キリスト教皇帝に対する叛逆、とうてい赦されるものではない。ここに余はイサキオス・ドートヴィルを教会の保護下より放逐する」
新カラブリア公 カリストス2世ドートヴィル
父親とは険悪な関係だった
「公位を安堵してくださったこと、感謝に堪えませぬ。父の不忠をお詫びするとともに、誠心誠意、皇帝に尽くす所存でございます」
イサキオスは両手両足を縛られ、ギヨーム少年が殺された塔の土台石の下に埋められた。しばらくして悪霊の噂が立つようになり、その塔には誰も近づかなくなって荒れ果てた。のちにタンクレードが死を迎えた時には塔が鳴動して歓喜の声をあげたという。
シチリア王位を再創設できたのは9年後
しかもイサキオスとの一件でkinslayerがきっちりついてしまう
娘と息子たち
1434年2月、フランス王ジル・カペーが喜ばしい便りを送ってきた。王子ピエールとタンクレード次女アヴェイスとの婚約を履行するというのだ。
おのが手でフランスを勝ち取ったジル王
フランスはこの30年、ブルゴーニュ家によるポルトガル=フランス王国の支配下にあった。これに反旗を翻したのが名家の末裔、ジル・カペーだ。彼はフランス諸侯に号令をかけ、このフランス系とはいえ外来の王家を下し、これをノルマンディーとブルターニュに押し込めた。
いまだフランスではノルマンディー出身の田舎者扱いされていたオートヴィル家にとって、かような勇名を馳せたカペー家との婚姻は実に名誉と言えた。
また、タンクレードの三女モードはイングランド王モーリス・プランタジネットと婚約した。アルフレッド王に嫁いだ妹アリソンに続き、オートヴィルの娘が2代続けてイングランド王妃となるわけだ。このとき王の妹イザベラを三男ブーヴの嫁にもらう約束をしている。
先のラテン皇帝
オルソン・ファン=フラーンデレン
一方、長女エリザンドはフランドル家のオルソンの元に嫁がせた。オルソンにはトラケシア公位を安堵し、帝室慈善官にも任命した。彼は生まれついて英明だったので、その領国の政治はきわめて良かった。
タンクレードが『自分のために宰相として働いてほしい』と便りをよこしたとき、オルソンはすぐに返事をよこさなかった。しかしその次の週、テッサロニキへ妻と廷臣を連れてやってきて、帝国宰相としてタンクレードに忠誠を誓った。
民は公正と慈愛の人オルソンを愛した。彼は生涯タンクレードを裏切らなかったが、また親しむこともなかった。フランドル家の存続のため、静かに簒奪者の治世を支え続けたオルソンのことを忘れない人は多い。
さて、タンクレードの息子たちはどう育ったか。
長男ギヨーム亡き今、次男ロジェが帝国を継ぐことになる。だがロジェは嘘つきに育った。昨日も嘘、今日も嘘、こんな皇帝は誰だって願い下げだろう。
きつく叱り続けたのがよかったのか、ロジェは嘘をつくのはやめた。しかし言われてやめるようでは先々不安だ……。
そして三男ブーヴもまた嘘つきなのだ!
しかも大変ロジェと仲が悪い。帝国と二つの王冠を継ぐ兄に対するねたみが強く、もう手がつけられない。どうやらタンクレードは息子たちの教育に失敗したらしい。
アビュドス、スミルナなどエーゲ海沿岸5領を制圧
1442年までにタンクレードはバルセロナ朝アラゴンから離反したエーゲ沿岸領を帝国に組み入れた。タンクレードに帰順したフランドル家には当地への請求権を持っている者が多く、彼らは新しい領地を得た。
「俺はこのまま治世を終えるのだろうか」
塔の上から帝都テッサロニキを見下ろしながら、タンクレードはひとりつぶやいた。
「オートヴィルを再興し、ホーエンシュタウフェン家と対峙した女傑アルビニア。異教徒のくびきの下で必死に戦ったフレリー。血塗れの手でシチリア王国を取り戻したアヴェイス。ビザンツと全力でぶつかった祖父と父。彼らに比べると俺は何もしていない。
血を流し、人を騙し、そして手に入れたのがこれだ。ヴェネツィア人の偽物の帝国! 決して俺は満足して死なないだろう」
血を流し、人を騙し、そして手に入れたのがこれだ。ヴェネツィア人の偽物の帝国! 決して俺は満足して死なないだろう」
最後の挑戦
しかし彼の運命は最後の挑戦をタンクレードに与えた。ラスカリス朝10代皇帝カイサリオス
1442年当時、ビザンツ帝国では波乱の生涯を送ったロマノス5世に代わり、皇子カイサリオスが10代皇帝として即位していた。カイサリオスはオートヴィル朝ラテン帝国に包囲されたイグメニツァを捨て、東部アナトリアの新領地ガラティヤに東遷していた。
何気なくビザンツ情勢についての報告を読んでいたタンクレードはある項目にふと目をとめた。
1. 皇太子グレゴリオス
2. クロアチア王国のハンガリー人女公エリカ
3. タンクレード2世ドートヴィル
なんだこれは? 自分がビザンツ皇帝の第3継承者とされている!
かつてロマノス5世帝に強要した皇帝選挙制。あれから20年が経ったが、まだ継承法が修正されていないようなのだ。
タンクレードはさっそくビザンツ帝臣のカリポリス・オートヴィル分家に使節を派遣した。彼らはギリシア化して久しいが、宮廷が近いので連絡は密にとっている。
カリポリス家の当主ラザロス・ドートヴィル
アルビニアの代からの古い分家なので本家と同格扱い
「タンクレード、我々は強力な皇帝を望んでいる。我々というのはオートヴィル、ガヴァラス、バタツェス、つまり旧バルセロナ・ビザンツ朝の臣下だった帝都近辺の非ラスカリス諸侯のことだ。
いまビザンツの第一の敵は貴公のラテン帝国。そして第二が南下してくる大ハンガリー王国だ。貴公がビザンツ皇帝になればラテンとビザンツは統合される。第一の敵を取り込むことで千年帝国の延命を計り、そして統合された帝国は大ハンガリーを打ち倒すことができるだろう!」
「なるほど……ビザンツ宮廷は依然として複雑怪奇だ」
「なるほど……ビザンツ宮廷は依然として複雑怪奇だ」
ラザロスの話によれば、このほかにも皇弟クレタ公ユリアノス・ラスカリスを推す勢力、第2皇子ミカイルを推す勢力などがあるということだった。継承3位となってはいるが実際には片手ほどの候補者を排除する必要がある。
凄腕のスパイマスター ルトバート
引退するイルドベール・ド=サントメールの勧めに従い、タンクレードはバーベンベルク家のルトバートをボヘミアから招聘した。音に聞こえた計略の編み手であり、オートヴィル家の総決算となる挑戦にふさわしい密偵長である。
1442年6月、さっそくルトバートはガラティヤに潜入し密偵網を構築。まったく自らの手を汚すことなく、有力なライバルであるビザンツ第2皇子ミカイル・ラスカリスを亡き者とした。
第1皇子派の重鎮、ゴリのアルセニオスがミカイル暗殺に協力
しかし問題がすぐに現れた。工作資金が足りない。いまだ強力なフランドル諸家の反乱を恐れるあまり、ラテン帝国皇帝就任祝いで金をばらまきすぎたのだ。
継承2位の女公エリカはなんとか貯めた金で通常暗殺に持ち込んだが、もう帝室国庫はすっからかんだ。
それなりの密偵長がついている皇太子グレゴリオスを暗殺するのは簡単なことではない。およそ1回の試みで450ドゥカートが消えるとして、成功の見込みは10回に1回。4500ドゥカートもの蓄えがどこにあるというのか。
タンクレードが2位、妃エテルが3位に浮上
あと一息に見えるがターゲットは相当固い
「国庫に金が溜まるまで待つか」
そう考えたタンクレードはすぐに首をふった。時すでに1442年。自分があと10年以上生きている保証はない。内乱かなにかが起きないという保証もない。今、この場で決着をつけたい。でも一体どうすれば?
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