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1204年から1453年まで、さまざまな家系が覇を競った。ここではオートヴィル家の前に立ちはだかったライバルたち、またオートヴィル家臣や分家のその後を追ってみたい。
 
ライバルたち

ホーエンシュタウフェン家
旧シチリア王国を継承しつつ、オートヴィル王家を完膚なきまでに破壊した因縁の相手。幼王フリードリヒの崩御後、シチリアのホーエンシュタウフェン家はすみやかに衰亡してしまった。残された子女はドイツへ帰り、シュヴァーベン公家などの同族に合流している。
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 最後の領地持ちホーエンシュタウフェン、ブルノのアルベルト

その後も家勢が復活することはなく、1453年時点ではボヘミアのブルノ伯宮廷にホーエンシュタウフェン姓の高齢女性が2名残るのみとなった。つまり十数年のうちにホーエンシュタウフェンは断絶することになる。
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 最後のホーエンシュタウフェン、ヤナ

しかし、フリードリヒ2世ホーエンシュタウフェンの血は別の家系で連綿と続いている。彼の次女であったセルビア王妃イルメレ・フォン=ホーエンシュタウフェン、9代経てセルビアのネマニク王家を経由して、現在ボヘミアに領地を持つバーベンベルク伯家がそれである。 
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 バーベンベルク家当主、ジークフリート

終盤の対ラスカリス諜報戦で活躍した密偵長ルトバート・フォン=バーベンベルクは、遠くホーエンシュタウフェンの血を引いているのだ。

マスーフィ家
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13世紀初のホーエンシュタウフェン朝シチリア王国崩壊に乗じて半島へ侵攻し、チュニジア、リビア、イタリアに至る大版図を築いた。しかし内紛で混乱したところをラスカリス朝ビザンツに狙われ、主にオートヴィル家にイタリアの領地を奪回されることとなった。

その後はリビア太守の反乱に手を焼き、同時にヴェネツィア共和国にリビアを、続いて本土チュジニアを征服され14世紀初頭に消滅した。なお、オートヴィル家は戦況を見て密かにマスーフィ家に軍資金を送っていた。もっと額が大きければまた違った展開になったかもしれない。
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 マスーフィ家の血を引くシェイク・アーリフ

ヴェネツィア共和国
エピロスの要港ドゥラッツォを皮切りにペロポネソス、南イタリアへと進出。14世紀初頭にはチュニジア・リビア沿岸まで所有する大通商帝国を築いた。

その後オートヴィル家の反攻によって旧シチリア王国領域のほとんどを失ったが、ドゥラッツォ、ナポリ、シチリアの2/5、マルタ島を1453年まで保持した。さらにピオンビノ共和国、ジェノヴァ共和国、チュニジア、リビアの再併合に成功している。
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 共和国DLCを入れてないのにこの版図。なかなかやる 
 
オートヴィル家はナポリやシチリアを回収することもできたはずだが、その力は東方の征服へ向けられた。オートヴィル家と共和国のあいだに何らかの了解があったのかもしれない。結果としてヴェネツィアは地中海唯一最大の海洋共和国として繁栄し、ルネサンスの果実を堪能することになる。

ラスカリス家
本編で述べた通り、ラスカリス家は統合帝国の臣下デュラキオン専制侯として1453年を迎えた。結局オートヴィル家が忠義を尽くしたのはテオドロス2世の時だけで、その後ずっとラスカリス家はこの油断ならない隣人に苦しんだ。
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 右ラスカリス家、左下は南方フランドル家
 左上カリポリス・オートヴィル家 

ラスカリス朝ビザンツがもっとも強勢を誇ったのはフレリー・ドートヴィルが臣従していたコンスタンティオス3世期だった。彼がオートヴィル家の使い方を誤っていなければ、西方帝国併合を狙うラスカリス朝ビザンツ、いやローマ帝国の復活さえ見られたかもしれない。しかし歴史にifはない。

南方フランドル家
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 オルソン、有能

南方フランドル家の歴史はラテン帝国の誕生とともに始まった。彼らはラスカリス家とオートヴィル家に挟まれながら必死に生き残りを計った。ギリシアをカトリック化し、エジプトやリビアにさかんに遠征をかけるなど、代々のボードワンはアルプス以南でもっとも模範的な十字軍領主であり続けたと言える。

諸分家がオートヴィル家に帰順した後、フランドル本家がタンクレードに帝位を譲るのはもはや時間の問題だった。しかし統合帝国における南方フランドル家と諸分家は、総合すればオートヴィルにつぐ最大の領地を今なお有している。

北方フランドル家
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故地フランドルの北方フランドル家はカペー朝フランスに長く仕えた。ブルゴーニュ家のポルトガル=フランスの一時的な支配を甘んじて受けたあと、1440年代に叛旗を翻してフランドル公国として独立。公妃が上ロートリンゲン女公(黄枠)なので、次の世代で大きく領土を増やす見込み。

統合帝国内の諸家

オートヴィル本家
12世紀末ホーエンシュタウフェン家に王国を奪われ2伯領に。そこから復活してシチリア王を目指すも、13世紀半ばにはマスーフィ家にまたもや2伯領まで追いつめられる。しかし様々な策を弄して復活。

14世紀半ばのシチリア王国再興後、ヴェネツィア共和国、ラスカリス朝ビザンツと本気の殴り合いをして一躍地中海の列強に躍り出た。終盤フランドル家、ラスカリス家を下し、2皇帝位を得てゴールとなる。

チャナード朝ハンガリー、バルセロナ朝アラゴンと正面衝突するのは誰の目にも明らかだったが、1453年までかろうじて冷戦状態を保った。(実はちょっとハンガリー内戦に介入してボコられた)

なお1204年から1453年までの間、十字軍領主として得た領地はアンティオキアだけである。イェルサレム王国を打ち立て、アラビア半島の心臓部にまで到達した同郷のプランタジネット家に比べると少々情けない。

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 かなり頑張っているプランタジネット家(文化マップ)

サレルノ・オートヴィル家
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 イサイアスさんとは性格も似ていて気が合った

シチリア王国復興後、アヴェイス3男アンテミオスから始まった公家。ここの家は伝統的に本家に忠実でイタリア半島の抑えとして重宝した。意図せず入り組んだ領地を形成してしまったため、次項のカラブリア家とはde jureをめぐって摩擦が絶えなかった。

カラブリア・オートヴィル家
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 お察しください

アンテミオス次男コミタスから始まった公家。ノルマン英才教育を施したはずが、なぜかギリシア教育で継承されてしまう。飽きもせずサレルノ家に私戦をしかけ、代々のオートヴィル家長を呆れさせた。ここも有能な人材が多い。

アテネ・オートヴィル家
アヴェイスの妹にして盟友、アテネのアデル・ドートヴィルが開いた公家。アデルの子フェランの代になって本家と激烈な内戦を戦った。戦後しだいに衰亡して、アカイア・フランドル家に吸収され消滅した。

ド=リューカ家
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 キャンペーン通してめちゃくちゃ仲が良かった家
 タンクレード君はたぶん主君から名前をもらったに違いない

ノルマンディーからオートヴィルと一緒に渡ってきた(ということになっている)ノルマン騎士の旧家。初期状態から長らくレッチェの男爵領を預かっていたが、アヴェイスのシチリア王国復興時にアブルッツォ領を預かる。以後スポレト公位、ベネヴェント公位を賜り、王国の重臣として代々のオートヴィル当主を支え続けた。

お気に入りの家系。宰相・家令向きの高能力者をよく出してくれた。

国外の分家

カリポリス・オートヴィル家
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 一度も臣下になったことがないが、なんとなくお気に入りの家

初代アルビニアの姉メダニアとエピロス専制侯ミカエル1世コムネノス=ドゥーカスから始まった分家。13世紀初期にエピロスを失い、当時の伯妃の領地カリポリスに移った。以後長く帝都前面の伯としてラスカリス家に仕え続けた。

14世紀末の皇帝選挙ではアラゴン王バルセロナ家についた。15世紀半ばの内乱終結後、他のアラゴン派帝臣とともに自立している。ハンガリーにつくか統合帝国につくかを早晩迫られることになろう。

アキテーヌ・オートヴィル家
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 左:アキテーヌ家、右:シャロレー家
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ブーヴ・ドートヴィルと後妻の間にできた長男アレクサンデルがアキテーヌ女公へ婿入り(厄介払い)してできた分家。イングランド王臣だったが最近になって自立。しかし公妃がイングランド王臣ヨーク女公なので、夫妻の寿命と継承次第で王国に復帰するかもしれない。

シャロレー・オートヴィル家
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アヴェイス・ドートヴィルの長男『のろまのマルコス』がフランスへ婿入り(厄介払い)してできた分家。まったく期待していなかったが、シャロレー伯領を中心に領地を広げ、最終的には3領を有する領主となった。個人的には国外同族のMVPとしたい。

長くカペー朝フランスに仕えたが、ブルゴーニュ家のポルトガル=フランス王国とカペー朝の争いがあった後、自立したシュヴァーベン公国(ブルゴーニュ家)に仕えている。

その他いろいろ
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まずは宗教概況をごらんください。
右の方はキプチャクハン国のせいでシーア派とモンゴル文化一色。アラブやトルコ文化のところはヤズィード派やジクリー派、イバード派が結構頑張っている。スンニーは壊滅。

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 ティムール朝カガン 酷薄なるボドンチャル
 
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 キプチャクハン国カガン claim皇帝アラセン

一方、世界の片隅では……
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セネガル河奥地らへんでスンニー信仰を守る世界最後の州。頑張れ。
 
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世界最後の異教酋長、カナリア諸島のズベイル・ティカナリイェンさん。狭い島で親族殺しはよくないですね? 地味に安定能力。
 
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正教ガーナ公、バルセロナ家のアルタウさん。
ビザンツ皇帝位とかマリ王位とか、バルセロナ家は突飛な称号を集める趣味がある。