ただ侵攻を待つ日々
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恐ろしい日々でした。
ひとつの夜、ひとつの昼がすぎてゆくたび、あの峰々のむこうにサルマンの軍勢が召集されていくのです。今やわたしたちは恐れをこめて霧ふり山脈を見上げるようになりました。

2年のうちに必ずサルマンは攻めてくる。それが1年後なのか、3月後なのか、それとも明日なのか。知るすべはありませぬ。
名称未設定
わが夫ブラン・アヴァンク=ルスは悩みに悩み、やつれ果てました。
そしてある夜、わたしの閨を訪れてこう告げたのです。

「アウスラ、俺は間違っていた。
中つ国はひとつの国だ。戦乱はいつか必ずこの地にも訪れる」
「存じております」
「サルマンだけの話ではない。白の勢力と冥王のことがある。近いうち、いずれの民も旗幟をあきらかにすることになろう」
「すでに決めておいでなのですね」
「そうだ。臣従を誓おうと思う」
「いずれの国をお考えなのですか」

ブランはしばらく言いよどんでいました。
そして次のように告げたのです。
「ゴンドール」
gondor
わたしは驚き呆れました。
ゴンドール?
イセンガルドのむこうの、カレナルゾン平原のまた向こうの、白の山脈のかなたのヌーメノール人がわたしたちの何の助けになるでしょうか?

3年前ならそれでもよかった。しかし、かの国はすでにいくさの泥沼にはまっておりました。相手は強大なモルドールです。冥王とオークの国です。

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 冥王サウロン
 指輪を失ったせいかその影が薄れている
 にも関わらずこの強大な力

ずいぶん南の事情に明るいとお思いでしょうね?
褐色人を馬鹿にしたものではありません。わたしたちは同じハレスの民であるアンドラストの商船団から情報を得ていました。灰色川河口はゴンドール西部のアンドラスト公領に近く、ペラルギアからの新鮮な情報がしばしば得られるのです。

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褐色人の密使カドワロン
「王都ミナスティリスでは老執政デネソールが倒れました。
その後継者ボロミアもいずこかで討ち死にしたそうです。彼の遺骸と角笛だけが大河を下ってまいりました。オークどもは大河を渡り、旧都オスギリアスの両岸をものにしました。

そして先のネーニエ月、ミナスティリス前面で大きな会戦がありました。ボロミアの弟君ファラミアはペレンノール野に出撃しましたが、オークどもに打ち倒され意識が戻らぬとのことです。今はロスサールナッハ領主フォルロングが王国の政務をとっています」

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 ゴンドール執政ファラミア、重体

わたしはヌーメノール人に勝ち目はないと考えました。
それでブランを必死で説得したのです。

「早晩、かの国はモルドールに飲み込まれます。負け方に賭けるようなことはおよしなさいませ」
「冥王に従えというか。われらは自由の民ぞ」
 
「いいえ。イセンガルド国があります。恥をしのんでサルマンに臣従なさいませ。侵略される前に身中に入り込んでしまうのです。領地さえ安堵されればこっちのもの。白の魔法使いがどれほどの者か存じませんが、やりようはいくらでもあります」
「アウスラ、何をたくらんでおる」
「お忘れですか、わが君。イセンガルドで邪魔なのはサルマンと少数の半オークだけ。あそこは褐色人がほとんどを占める国なのですよ」

サルマン
 永遠の命を持つマイアの恐ろしさをアウスラは知らない

しかしわたしがそう言った瞬間、夫は顔を真っ赤にして叫びました。
「たった1度でもサルマンに臣従しろというのか!
それはない、絶対にない! 冥王よりも100倍悪い!」

わたしは黙りました。夫は心の底から腹を立てていました。
もうこの話は終わりました。わたしは族長の妃にすぎませぬ。決めるのは夫です。

こうして褐色人の部族は独立を捨て、ヌーメノール人に臣従することになりました。
しかしひとつだけ引っかかる事がありました。
ブランが支配するエネドワイス地域の大族長位です。

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いまゴンドールに臣従してしまえば、ゴンドールがエネドワイス王位を宣言してしまうでしょう。褐色人が懸命に開拓してきた土地の王位が、労せずしてヌーメノール人のものとなるのです。

「だが大族長を号するだけの蓄えがない」
ブランは苦々しい顔で言いました。
大族長につくとなれば諸侯や近隣の部族に贈り物をせねばなりません。しかしガルトレヴ館はまだそこまでの富を貯め込んでいないのです。

「金を貯め、大族長を宣言したのちゴンドールに臣従する。これでいくしかあるまい」
サルマンが攻めてくるのと、創設金がたまるのとどちらが早いか。
博打です。薄氷を踏むような選択肢です。

毛皮を積んだ隊商が四方八方に旅立ちました。
霧ふり山脈のドワーフの領主に頼み込んで金貨を借り受けました。
ガルトレヴ館の倉には厳重に錠がおろされ、日々の食卓はひどく慎ましいものとなりました。
こうまでして、サルマンが攻めてくるほうが早ければすべておしまいなのです。

「えらいところに嫁にきてしまった……」
わたしは心底そう思いました。

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11371年(西方歴)、ナルクウェリエ月。
ついにわが夫ブラン・アヴァンク=ルスは大族長 High Warlordを名乗り、ハレスの民を統べる者として『緑地に白鹿』の紋章を帯びました。
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 11371、エネドワイス王位創設
 エリアドール地域の多彩なプロヴィンスは主のない荒れ地
 ゴンドールはオスギリアスを失った
 谷間の国はリューンに征服されたが闇の森エルフと結んで反攻中 

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 イセン谷の族長トレフ
 ハレス系の5族長が王国に加入 

「偉大なる族長ブランよ。ハレスの名において、わがイセン谷の民は汝のもとへ馳せ参じる。共にサルマンの野望を打ち砕き、強きエダインの国を作り上げよう!」

ハレス系の独立族長たちが続々とガルトレヴを訪れ、ブランに忠誠を誓います。サルマンの脅迫のことはすでにエリアドールの全地に知れ渡っていたのでした。

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野伏たちもガルトレヴ館を訪れました。
なんとイセンガルドに対抗して助力してくれるとのこと。

「アウスラどの、これまで野伏と褐色人はあまり仲がよくはありませんでしたね。でも、ルダウアの山の民やブリー郷をカルン=ドゥムのオークから本当に守っているのはわれら野伏たちだったのです。

さてエネドワイスの勢威、ハレスの民を統べるブラン王よ。このたびの助力の申し出、受けてくださるか」
野伏の副首領ハルバラドは礼儀正しくそう言いました。

それでわたしは得心がいきました。野伏の馳夫がよくルダウアを訪れていたのはそのためだったのか、と。

けれど夫は野伏たちに型通りの挨拶しかせず、ハルバラドの話にも顔をそむけていました。夫は若き日のルダウアの戦いを思い出していたのでしょう。誰だって自分の初陣が誰か別の人たちのおかげで勝てていたなんてこと、聞いて嬉しくはありませんもの。

運命のとき
11372年、ヒーシメ月。侵攻期限まで4ヶ月を切りました。
しかしサルマンは続々と応援にかけつける諸族の軍勢を見ておじけづいたのでしょうか。まるで行動に移す気配がありませぬ。
カドワロン
密使カドワロン 
「白の側近殿、約束の品です。どうぞ」
「やや、長窪印のパイプ草ではないか。これは……なんと香り高い……。おたくと疎遠になってからホビット庄産は品薄でな。いやありがたい」
「さすが白の側近殿はお目が高い。いや『お鼻が』と申すべきかな。このカドワロン、ご入用ならいくらでも運んでまいりますぞ」
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 決死の外交改善効果あり? サルマン脅威度は80%を切った

サルマンはなぜ動かないのでしょう。
わたしたちはイセンガルドに密使を派遣し、サルマン側近の褐色人たちに贈り物をして懐柔工作をしていたのです。効果のほどはわかりませぬが、とにかく侵攻されなければよし。

そして運命のスーリメ月がきました。

サルマンはドゥンランドに侵攻することなく、軍勢を解散しました。
わたしたちは助かったのです!
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 その頃サルマンは「木の羊飼い」エントたちの攻撃を受けていた

ともかくわたしたちは生き残り、ハレスの民の同士討ちは未然に避けられました。
ブランはゴンドールへの臣従を正式に取り下げました。サルマンが攻めてこないとなれば、ヌーメノール人に用はありませぬ。

ブランは勢いづいて触れを出しました。
「今後は全力で灰色川対岸(旧アルノールのカルドラン王領)の開拓をする。そして野伏の所有するサルバドの渡しを奪取する。そもそも灰色川流域は元から住んでいたハレスの族のものなのだ!」

危機にあって助けてくれた野伏を恩知らずにも攻めると知って、わたしは暗い気持ちになるのを抑えきれませんでした。

馳夫のこと
その半年後、ヤヴァンニエ月。
夫ブランが血の気を失うような知らせが南から舞い込んできました。
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ゴンドール軍がペレノール野の決戦でモルドール軍を打ち破ったと聞き、わたしたちは喜びました。しかしそれを指揮していたのがあの野伏の馳夫で、彼がゴンドールの王になったという話を聞いてみな目を白黒させてしまいました。
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聞けば聞くほどとんでもない話です。
野伏は古い王国のヌーメノールの家系だったこと、身分を隠してずっとアルノールとゴンドールを防衛していたということが中つ国の全地に明かされました。道理で彼らは長命だし、強かったわけです。
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そしてアルノールとゴンドールは統一され、王国はついに王を得ることになりました。今後は馳夫をエレスサール王と呼ぶことになるでしょう。
 
そして北辺の小領だと思っていた野伏が、今では超大国ゴンドールの王直轄領なのです。サルバドを奪取するという夫ブランの望みはほぼ失われました。
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しかしどうも話がうますぎる気もしました。
前執政ファラミアは重傷をおい、意識不明の重体だというのに都ミナスティリスを追われて迅速にヘネスアンヌーンに身柄を移されました。
そこは山中の小さな砦で、領土ともいえない領土だといいます。
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 ガンダルフ退場

そして馳夫と同盟していた魔法使いサルクンはもはやこの世にいないのではないかという噂がしきりに交わされていました。彼はどこへ行ってしまったのか?

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ナルヴィンニエ月、少数の手勢を連れて急ぎ北上するエレサール王の姿が南街道で見られました。夫ブランは「裂け谷にエルフの姫を娶りに戻ったのだろう」と言い、王の一行に手出しをせぬよう領内に触れを出しました。

しかし王はすぐに北の野伏を連れて都へ戻り、その防備を固めるよう命じました。いったい王は何を考えているのか? 幸せな王妃と見事な婚礼が見られると期待していた人々は眉をひそめました。

一方、モルドールの暗雲は急速に色濃くなりつつありました。

暗雲きたる
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 指輪の旅の失敗
 
その日、東方の暗雲が霧ふり山脈を越え、昼日中のガルトレヴ館を闇に包みました。
犬は騒ぎ、蜂蜜酒は苦くなりました。
「何かとても悪いことが起きた」
わたしたちにわかるのはそれだけでした。
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 指輪保持者、ホビット庄のフロドは滅びの山で自ら命を絶った
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 サウロンは指輪をその指にはめた

北のルダウアの山々では人々が恐ろしげに空を見上げました。
ロスロリエンの森では魔法の奥方が森の奥にこもりました。
霧ふり山脈のドワーフたちは需要を見込んで武器を作り始めました。
 
中つ国の全地がおびえ、不安に震えていました。
 
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しかしわたしは、このアウスラ・ブトヴィダセンは決しておびえることはありませんでした。
 
なぜならわたしは新たな命をこの体に宿し、二人の幼な子に恵まれていたからです。中つ国がどのような世界に変じようとも、この子たちだけは守る。山々の峰を越えて重く垂れ込める雲を眺めながら、わたしはそう決意していました。