怒りの帰港
しかしわたしはベンガジに常設の商館を開く事については躊躇していた。ヴェネツィア勢力圏のどまんなかに商館を置いて、はたして維持できるものだろうか?
考えた末、この件については見送ることにした。

「テディチェ、まずいことになったぞ」
船がピオンビノの埠頭に接岸したとたん、相談役のアリオットが慌ててタラップに駆けつけてくるのが見えた。
 
「ヘンリー2世が裏切った。禁輸だ。アンダルシアはすべて失われた」
わたしは彼が何を言っているのかわからなかった。
「ヘンリー2世との関係は良好だ。孫娘をウェストミンスターに預けてもいる。ありえないぞ、アリオット」
「ではこの目で見るがいい。イングランド王国尚書長とアンコナ共和国ポデスタの連名による宣戦布告状だ」
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やられた。
どんな手を使ったか知らないが、ヘンリー2世王は本気だ。
アンダルシアはすべて失われた。
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 左方ゲラルデスカのウグッチョネッロ
 アンコナ密偵長から始めて、パトリキ、そしてポデスタに成り上がった

アンコナ共和国ポデスタ、わが従兄弟のウグッチョネッロよ。
やってくれるじゃないか。くそっ。
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 1204年の戦線 まず勝てる相手ではない

30000を数えるイングランド軍が蠢き始めた。そしてただのパトリキであるわたしには何もできなかった。

だが主はすべてを見そなわし、人に定めをまっとうさせるべく配剤を行われる。
 
宣戦布告から3ヶ月、カエタニ家のグレゴリオが身罷った。この困難時にあたるべく、共和国元老院はポデスタとしてテディチェ・デッラ=ゲラルデスカを指名した。
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わたしは文字通り体が震えた。
この身に共和国の重責を担うことになるのだ。無理もない。

ポデスタとして
わたしは何よりもまずウェストミンスターに親書を送り、ヘンリー2世王に降伏の意を伝えた。
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あちらでも世代交代があったらしく交渉相手は息子のリチャード獅子心王になっていた。降伏はすみやかに受諾された。アンダルシアの商館は破却され、賠償金は支払われ、禁輸戦争は終わった。

ピサ共和国としては最少の出血でとどめた形だが、ゲラルデスカ商会の傷は深かった。8年の歳月とおよそ1500百リラが塵と消えた。そして商館数はまた本土の2ヶ所に逆戻りだ。

わたしはひどく落胆し、このような事態が二度と起きないよう願った。そして今回の事態の分析を命じた。数日後、以下のメモが長官室へ届けられた。

『密偵長エンリケット・デッラ=ゲラルデスカより
いとも高貴なるピサ共和国行政長官へ

・禁輸戦争はさけられない
  友好度、同盟の有無に関わらず、それはいつか必ず起きる
・ひとつの王国に商館を集中させるな
  この状態で禁輸を布告されると交易網は速やかに消滅する
・強力な王国に商館を置くな
  禁輸戦争で「勝てる」王国の港に商館を置くべし
・地元に投資せよ
  禁輸を布告される心配のない自国領の商館を増築せよ
  また商館のある港を武力によって「自国領化」せよ
・強力な王あるいは皇帝の庇護を受けよ
  そもそも禁輸されない状態を作るべし』

いちいちごもっともと言うほかない……。

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 父親ライネリがテンプル騎士団に籍を置いているので騎士団の十字を帯びている

善きこともあった。
戦争が終わり、『強気のアデラシア』がウェストミンスターから帰ってきたのでわたしは嬉しかった。目に入れても痛くない孫娘だ。彼女はアンコナの右方ゲラルデスカ、天才の呼び名も高きイルデブランドのところに嫁がせることになった。
 
仇敵ヴィスコンティ
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ゲラルデスカ家にも仇敵がいる。
ピサのヴィスコンティ家だ。黒い雄鶏の印をかかげた彼らとは、もうその発端もわからない昔からいがみあいを続けてきている。
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密偵長エンリケットいわく、わたしを暗殺しようという計画が持ち上がっているようだ。首班は誰かと聞いたら、わからないという。しかしヴィスコンティ家の動きが怪しいのは確かだった。

わたしは一度リヴォルノの別邸に身を隠すことにした。
そして年に一度のギルドのパレードを装って、ピサの街中に私服の兵士を潜ませておく。そして祭りも最高潮に達した折、カヴァリエーリ広場に姿を現したエルディツィオ・ヴィスコンティを捕縛したのだ。
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彼を尋問することはしなかった。わたしにとって、彼が新しい計画を立てさえしなければよいのだ。わが荘園の塔の地下牢にエルディツィオ・ヴィスコンティは死ぬまで暮らすことになるだろう。
 
商館網の復活
さて、ピサのポデスタとして、またゲラルデスカ商会頭取としての務めを果たす一方、わたしはピオンビノ市の筆頭参事会員でもあった。

わたしは郊外の小さな町ポプロニアに船着場を作り、また商人たちの意見を聞いてピオンビノの港湾や街路、市場を整備した。
Casa_delle_Bifore
 13世紀の建築になるピオンビノ市文書館(wikipedia.it)

1212年の年額収入
荘園からの   51百リラ 
ピオンビノ市税 67百リラ
ポプロニア市税 33百リラ
ピサ市税    49百リラ ポデスタ職に付随
その他都市税  67百リラ ポデスタ職に付随
商品取引    40百リラ 商館7
       37%の統治加算を加えて、
        計387百リラ(年額)
Pisa,_repubblica,_argento,_1302-1323
 ピサで鋳造された補助金貨(wikipedia.it)

そのようにして歳入を増やすことに努めた結果、国庫にはあまたのベザント金貨がうなるようになった。補助的な貨幣の鋳造もピサのポデスタの務めだったが、わたしは決して悪鋳を許さなかった。民に悪貨をつかませる者は天の国へ行くことなく、また地上の富を得ることもないであろう。

ゲラルデスカ商会はふたたび外地に商館網を築こうとしていた。
先の教訓を生かしてアラゴン王国のルション、ベンガジ太守国のベンガジが選ばれた。いずれも「勝てる」王国の港である。

そうするうちにイングランドではリチャード獅子心王が死に(驚くべき早逝だった)、その子ウェレラン幼王が即位。禁輸を布告した王がいなくなったため、アンダルシアへの道は開かれた。わたしはサン・シスト教会にすべてのピサ商人を集め、彼らの船団に艤装を命じた。

宮殿へ帰ったわたしはため息をついた。
ポデスタ職は疲れる。やることが多すぎるのだ。
 
皇帝フリードリヒ2世
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フリードリヒ2世と会ったのはその頃だったな。
そのころ彼はアルプスを越え、ロンバルディアまでやってきてデシデリウスの鉄王冠を受けた。長らく放置されていたイタリア王国がここに再建されたのだ。

わたしは旧都パヴィアまで出向き、彼にこう質問した。
「皇帝にとってピサはなんであるか?」と。
するとフリードリヒはこう答えた。
「わが帝国が風を受ける3つの帆のひとつ。2つの帆は風をはらんでいるが、ひとつは風がなくしおれている」
「皇帝陛下が引き綱をひいてくだされば、その帆はいっぱいに風をはらみましょう」
「帝国の庇護にいくら出す?」
「年額60百リラ」
「安いな……まあよかろう」
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皇帝はそう言って、笑った。そうしてこの簡単な問答ののち、ピサ共和国はその独立を返上し、フリードリヒ2世皇帝の庇護下に入ったのだった。

当時、フリードリヒ2世は北イタリア諸都市の不服従に頭を痛めていた。フィレンツェもモデナもジェノヴァもヴェネツィアも教皇派だった。

フリードリヒはおそらくピサの臣従を喜んだのではないか。衰えたとはいえ、いまだそこそこの力を持つ海洋共和国が、これらの都市の下腹にぴたりと短剣をあてることになるからだ。
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 主の1215年に結成されたドイツ商人たちのソキエタス、ハンザ
 皇帝の庇護のもと商圏を広げつつあるハンザに
 テディチェは危機感を覚えていたのかもしれない
 
元老院には反対も多かった。だがピサのポデスタの力は大きく、わたし個人の名声も大きかった。わたしは『帝国への加入こそが、禁輸を封じる最高の手段』だと言って彼らを説き伏せることに成功した。
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 1220年の海洋共和国
 赤枠はゲラルデスカ商会の商館網

そのあとは君たちも知っているとおりだ。
共和国は年々富み栄え、民は豊かな生活を楽しんでいる。アンダルシアからの船団は羊毛、絨毯、サフラン、綿花、イチジクやザクロをひっきりなしにこの港へと運んでくる。

若者たちよ、この言葉を覚えておくがいい。
『捨てる金あれば拾う金あり』
商売は結局、神のものだ。主の加護を信じて日々為すべきことを為した者だけがベザント金貨を積み上げることができる。

誰の言葉かって? いい質問だ。こいつはこのわたし、テディチェ・デッラ=ゲラルデスカの昔からのモットーなのさ。

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 主の1220年、テディチェ・デッラ=ゲラルデスカは主の平和のうちに召された