[ビャルトラ家のサガ]
<前回までのあらすじ>
ビザンツ皇妃ハッラの陰謀によって故郷タンタルキャを追われたビャルトラ家は、大平原のサルパ領を経由して、もうひとつの領地であるバルト海岸のリフランドへと向かった。
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 新しいビャルトラ家の当主、アルニ

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人は彼を「チェス指しのアルニ」と呼んだ。
子供の頃は特に秀でたところのない子だったが、サルパ領からの北遷が彼を鍛えた。

父レフィルや戦士たちに混じって馬を進め、夜には焚き火のそばで話を聞いた。剣の道にも人の心にもそれなりに通じるようになり、なかでもチェスは終生の趣味となった。

一方で、父レフィルがアルニについてめぐらせた計画はほとんど失敗した。ムンソ家のウルフより先にレフィルが死んでしまったのでカールパート・スルタン国からの離脱はならなかったし、しかもウルフは78歳にして男児を得たのでウプランド2領の継承もなくなったのである。
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アルニは兄弟たちと仲がよかった。
特に親しかったのが双子の生まれだった妹マリアで、彼女は一族の故地オンゲルマンランドの女領主となったあとはビャルトラ谷に住んでいた。

アルニはバルト海を越えてビャルトラへおもむき、マリアやアルンビョルン、『盲目の』スヴェルケルたち兄弟と親しく交わった。
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『盲目の』スヴェルケルは皇帝ゼノビオスに目を潰されたあと、多くの言葉を習い覚えて通詞として生きていた。アルニは彼を見込んでドルパット領を与え、またリフランドの密偵長を任せた。それぞれ母親は違ったが兄弟の間には真の友情があったという。
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 スタケ家のリンダ

この時代にはスヴィドヨッドとの交通がさらにさかんになり、アルニもその妃を当地に求めた。ノーランドのヤルル、スタケ家との縁組は隣接するウプランド相続を見越したものだったが、相続が失敗に終わったあとでもアルニは約束を守り、スタケ家のリンダをリフランドに迎え入れた。
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またアルニはルーシの老王ドモトルと共に謀議をめぐらした。主君であるカールパート国のスルタン・フェレンツが代替わりで反乱に直面しているのをよいことに、艦隊をバルト海に出し、クヤヴィの都に兵をしいて独立戦争をしかけたのだ。
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この戦争はアルニとドモトルの勝利に終わり、リフランドとルーシは見事ムスリムの支配下から離脱した。カールパート・スルタン国は大きく領土を減らし、その栄光にも陰りがさした。

絆をはりめぐらす
さて、この独立を維持すべきか、あるいはいずれかの勢力につくか。アルニは迷っていた。
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リフランドの周囲には4つの大きな勢力があった。

1、共に独立したドモトル王、アールパード家のマジャル・ルーシ王国。(兵3000)

2、乱世を生き延び、再び北部ガルダリキを制覇しつつあるヴラディスラフのリューリク朝ヴラディミル公国。(兵4000)

3、スヴィドヨッドで勢力を広げるインゲマル王。(兵3000)

4、即位後あっというまにリトアニアを統一した異教大公スキルガイラ。(兵5000)

近さでいえばリトアニアかヴラディミル公国。カトリックということならルーシかスヴィドヨッドと組むことになる。

互いに緊密な婚姻関係で結ばれたカールパート・スルタン国とグルジュ・カガン国が直近の脅威なので、それらと切り結ぶことのできる国につくべきだろう。

アルニはよくよく考えた末、独立を維持することにした。そしてルーシ王にビャルトラの娘を送り、友誼を結んだ。1020年にはアルニはドモトル王との盟約にしたがい平原に出撃し、グルジュ・カガン国と干戈を交えている。
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1022年、リューリク家のヴラディスラフがトヴェリ大公を号した。そうしてノルド信仰のスラブ人、フィン人を糾合し、カレリアと北ガルダリキにわたる異教大国を作り上げたのである。

ノルドの古き教え。
アルニたち改宗したノルド人にとってはもはやおぞましいものにも感じられる祖先の信仰は、異国の民を魅了し、いままさにその野蛮な力を振るわんとしていた。

この隣国はいかにもまずい。そこでアルニは名案を思い付いた。
古き信仰を持つ者たちをカトリックに改宗させようというのである。彼はコケノイス司教ファステに改宗任務を与えた。
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ファステ師は果敢にガルダリキへ宣教の旅に出た。
しかし当地は野蛮の気風が濃く、簡単には改宗は進まない。それどころかファステ師はヴラディスラフに捕縛されてしまった!
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アルニは密偵長『盲目の』スヴェルケルを通して解放のために手をつくし、ヴラディスラフの妃レンミッキなどを動かすことでようやくファステ師を解放させたのだった。

「ノルド人がノルドの教えを守らず、逆に邪教に改宗させようとはどういう了見だ!と言われましたわい。あやうく生贄にされるところだったんですぞ」
ファステ師はもうこりごりという顔をしていた。
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1026年、ファステ師は今度はリトアニアへ旅立ち、そして異教大公スキルガイラをみごと改宗させた。南の新興国リトアニアはいまや同胞のカトリック国となったのだ。
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 1026宗教地図
 ガルダリキではリフランド、リトアニア、ルーシの3カトリック国が鼎立するようになった
 だがカールパート支配の残滓であるスンニー派も根強く残っている

アルニは長女アスタを公子の小スキルガイラと、長男エイナルを公女のダニラと婚約させ、スキルガイラ大公と同盟を結んだ。
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改宗した者と、改宗を勧めた者。
スキルガイラ大公とアルニの特別な絆は長く続いた。アルニはリトアニアとルーシの同盟をお膳立てしたり、またみずからタンタルキャ戦士団を率いてポメラニアで戦うなど、この新興国の良き援助者としてふるまった。

リフランド、リトアニア、ルーシの三国相互同盟体制はうまく機能した。ルーシ大公国が選挙制になり、アールパード家に代わってクンザハル家が即位したのちも、同盟は継続された。
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主の1033年、アルニがエストランドを攻めた時、三国同盟からは計8000もの軍勢が送られてきた。アルニの外交努力が実を結んだというわけだ。
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 1035年11月15日、ラーネの戦い

ラーネの戦いに勝利したアルニはエストランドを我が物とし、その武名はひろくガルダリキに轟き渡った。実際の戦いはほとんど同盟軍任せだったにせよ……。
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 1036年のガルダリキ
 カールパート・スルタン国のほとんどを占めるウンガルン王国がスルタンに反旗を翻している

エストランドを併合したとしても、リフランドは芥子粒のように小さな国だ。ガルダリキはノヴゴロド、ルーシ、グルジュ・カガン国の3国で分割されている。ルーシと協調して他の2国にうまく対抗できればいいのだが。

もはや小領の時代ではない
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アルニの娘アスタは賢い子だった。
金勘定に長け、これならどこの公家に入っても夫をよく支えるだろうとアルニは思っていた。

アスタが成人した頃、リトアニアの大公スキルガイラが死に、スキルガイラ2世が立った。ここにはアスタが嫁入りすることになっていたはずだが、約束は反故にされた。原因はわからない。スキルガイラ2世は色魔で有名だったので、いろいろと難しい事情があったのかもしれない。
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アスタは新大公の弟君にあたるプルテニアのギンタラス公と縁組し、事なきを得た。
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アルニの息子のエイナルもまた賢く育った。父親宛の手紙を盗み読みした事件のときなど、アルニは文字の読める息子のことをむしろ誇ったものだ。
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エイナルは長じてよき騎士となり、リトアニア公女ダニラを娶るにふさわしい青年となった。アルニは彼に新征服地のエストランドを与え、当地の蛮族を教化するように指示した。

「領地を増やし、子供達は立派に育った。あとは死ぬまで父君からもらった領土を守っていくだけだ」

だが平和な時は短かった。
1040年からの10年間はアルニにとって戦いの日々となったのである。
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主の1042年、ナドボルというマジャルのならず者が2300の兵を率いてリフランドの海岸に現れた。ナドボルは豪語した。

「このリフランドを俺の王国にする。俺は俺の領地を切り取ってひとかどの者になるんだ」

さらにはエンシオというならず者に率いられた盗賊団も現れ、アルニは東へ西へと忙しい毎日を送った。

そこへさらにウンガルンとルーシの戦争が起きた。
ルーシ王との盟約にしたがい、アルニはみずから出陣しなければならない。守りの兵を息子エイナルに預け、後ろ髪を引かれる思いでアルニは南の平原へ出陣していった。
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 1047年5月25日
 ヴラディミル=ヴォルィンスキーの戦い
 ここぞという瞬間にノルド戦士団が北方から襲いかかった 

アルニは平原でよく戦った。
ヴラディミル=ヴォルィンスキーの戦場では、大公タードルがウンガルンに攻められているところを救援し、勝利を収めたのだ。しかし代償としてアルニは片足を失った。 

この戦いの後でアルニはルーシ大公国に参加することを決めた。戦友のヴィテフスクのイツァーク公がそれを勧めたからだ。

「もはや冒険の時代はすぎた。小領の領主がいさおしを立てる時代ではない。我々は共に強く結び合って生きていかねばならない」

キリスト教領主でありつつも自由なノルドのヤルルであるアルニは、できれば独立を長く保ちたかった。しかし現実をみればイツァーク公の言う通りだった。

アルニがルーシの都へおもむき、大公への臣従を申し出ると、大公タードルはいたく喜んだ。彼は大きな感謝と期待をこめてリフランドの忠誠を受け入れたという。
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 大公国の評定でイツァーク公の援護を得るアルニ
 イツァーク公とは公私ともに付き合いがあった

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アルニはもう57になっていた。
賢い息子エイナルを信頼し、いつ後を継がせても大丈夫だと思っていた。

ある日、アルニはエイナルに自分のことを刻んだルーン石碑を建ててほしいと頼んだ。エイナルがどういう文がよいかと尋ねると、しばらく目を閉じて考え、次のように言った。

タンタルキャのアルニは平原に生まれ、平原を追われ、平原で戦い、名誉のうちに死んだ、と」
「それだけですか」とエイナルが聞くと「チェスも強かった、と彫ってくれ」とアルニは答えた。

そうしてまもなくアルニは死んだ。
ガルダリキを駆け巡った人生だった。


次回、平原の子アルニ