ある男の物語
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早朝、レヴォリューツィヤIIIの工業地帯はひどいスモッグに覆われている。工場のすきまを縫って走る路面電車。席はまばらに埋まっている。ホセ・アントニオ・ドミンゲスは自分の席を見つけ、ぐったりと座り込んだ。なんといっても、製鉄所でのきつい第3勤務を終えたばかりなのだ。

しばしの眠りをむさぼると、路面電車はホセの住む町へと入っていた。あわてふためいて電車を降りる。電停に降り立つと同時に、牛乳のように甘ったるい汚染空気が肺を満たした。

200年も前に建てられた国営団地住宅。住んでいるのは労働者ばかりだ。ホセは角にあるキオスクでコスモス煙草とプラウダを買った。プラウダはトイレットペーパーの代わりにするために買ったのだ。トイレットペーパーの供給はもう8ヶ月も滞っている。

『赫赫たる大戦果!』
『赤衛艦隊、ニプローシェヌイの57K艦隊を屠る!』

プラウダの1面には遠い銀河の果ての大戦果がうたわれている。そう、最近になってまたニプローシェヌイの記事が載るようになった。

ホセはニプローシェヌイがなんなのかほとんど知らない。人類はずっとニプローシェヌイとの戦いを続けている。銀河の向こうにいる恐ろしい敵だそうだ。ほんとうにそんな敵が存在するのだろうか。まったくどうでもいいことだ……。

だが昨晩、ホセは職場の集まりでこんなビラを渡された。
『ニプローシェヌイは存在しない』

ホセはこのビラを食い入るように読んだ。
 
『銀河防衛という欺瞞』
『ホルデバアナ条約を破棄せよ! ファフォッサン資本主義との癒着』
『反動分子によるエネルギーと物資の横流し』
『マティンやビルノックなどのファシストを懲罰しないのはなぜか』
『敵はずっと近いところにいる! 地球だ!』

ホセは秘密の集会に出かけるようになった。
そこにはソ連邦の将来を憂う同志人民が集まっていた。
彼らはみな口をそろえて言った。
「ニプローシェヌイなど存在しない、あるいは存在していても大した脅威ではない、地球のエリート官僚に我々は騙されていたのだ」と。

ホセたちは秘密のネットワークを形成し、同じ考えを持つ者を集め始めた。
集団はすぐにふくれあがった。やはりみな疑問に思っていたのだ。土曜労働があり、配給制限があり、電力も日に3時間しか使えず、すべての富をはるか銀河のかなたへ送り出しているのは何のためなのかと。あきらかに何かが隠されていた。

ホセは秘密ネットワークのなかでのしあがり、地区のリーダーを務めるようになった。ホセは精力的に地下演説会をひらいた。会場には下級官吏や軍人の姿すらあった。

「ニプローシェヌイ戦役を中止せよ!」
「ソ連邦の富はソ連邦のために使え!」
「同志たちに聞きたい。なぜ我々は銀河のかなたへ若者と艦隊を送りだし、そして何も手にすることがないのか。我々の労働は、電力は、物資はどこに消えたのか?」
 
ホセが咆哮すると、熱狂的な拍手と怒号が響き渡った。

今回も地下演説会は盛況に終わった。
次回はさらに多くの聴衆を集めることができるだろう。
ホセが帰宅すると、スーツの男が3人、ホセの部屋で待っていた。

「博愛省から来ました」
スーツの男たちの口調は慇懃だった。
「我々がここにいるということ。それで説明の代わりとしたいと思いますが、市民」
ホセの足が震えだした。
しかしホセはかろうじてこう言うことができた。
「隠そうとしても無駄だ。すでに人民の心に火はついた。真実はあきらかにされ、意味のないニプローシェヌイ遠征は中止されるだろう」

「なんの真実です?」とスーツの男はつまらなそうに言った。
「それではあなたの欲している『真実』をお教えしましょう、市民。それは大変うんざりさせられるものです」
 
真実
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 2402年、タヴァリシチ軍港に集結する初期の侵攻艦隊
 まだ補助艦や巡洋艦を交えて構成されている

2382年に始まったニプローシェヌイ戦役は110年間続いていた。
「110年? 正気か?」
そう聞き返されるかもしれない。
だが、これがうんざりするような真実なのだ。

人民もソ連邦政府もこの戦いに倦んでいた。110年間のあいだに7回の遠征が行われ、そのうち2回は艦隊が全滅した。
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 ニプローシェヌイのステーションに襲いかかるソ連邦宇宙軍魚雷

初期の戦いでは宇宙軍は破壊魚雷を主兵装としていた。
しかしこの兵装は長距離では効果を発揮するものの、ニプローシェヌイに肉薄されると途端に無力化する。近接してくるニプローシェヌイ駆逐艦と正面切って戦ったのは、本来はミサイル撃墜用の対空火器だった。
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 改装後の239設計戦列艦
 レールガンで近接駆逐艦を駆逐する

この反省から近距離兵装として実体弾兵器であるレールガンが搭載された。またニプローシェヌイの事象崩壊砲がエネルギー兵器であることから、全艦で装甲を取り外し、シールド装備への換装が行われた。

さらに、駆逐艦や巡洋艦が会戦の早い段階で全滅した戦訓から、侵攻艦隊の全艦が戦列艦規格の構体を有することとされた。改装には10Kにのぼる莫大な資源が消費されたという。
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 ニプローシェヌイの事象崩壊砲

だがこの改装が悲劇を呼ぶ。
レールガンはシールドを削るばかりで敵艦体への攻撃がまったく通らず、近距離では以前と同じく競り負けた。

さらに敵の事象崩壊砲は我が艦のシールドを一瞬で無力化した。しかも事象崩壊砲はシールドと装甲を同じ割合で透過するため、装甲を削った分だけ早く艦体への砲撃が通るようになった。
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 2427年1月27日、ミクロルの渦会戦
 総火力180Kにおよぶ赤衛艦隊が……

その結果、ソ連邦宇宙軍赤衛艦隊は全滅した。
この事件は宇宙軍艦隊の設計方針が100%誤っていたことの証明となった。

その他、主要な敗因は4つあった。
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1. 艦隊を率いていたのが、絶対に撤退しないことで有名なサスペク・イタナカ宇宙軍大将だった(彼女は宇宙軍初のトラクポシアン人将官でもあった)
 
2. レオーノフ航法直後の無防備な30日間に近接された
 
3. 肉薄する敵駆逐を撃退せず、遠方にある戦艦を優先して攻撃した
 
4. 主兵装にして長距離兵装である魚雷のスピードが遅く、目標に到達するまでの時間で敵の事象崩壊砲に撃ち負けた

これでは勝てるはずがない。
赤衛艦隊全滅は起こるべくして起こったのだった。 
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 ホルデバアナ条約機構(緑) 
 ニプローシェヌイ(赤)は勢力を拡張し、ソ連邦とファフォッサンを合わせたほどの大きさにまでなっている

ソ連邦宇宙軍が全兵力を失っても他国からの侵攻が行われなかったのは、ひとえに共和ファフォッサンとの同盟『ホルデバアナ条約機構』の抑止力のおかげである。たとえ資本主義者のファシストであっても隣国とは仲良くしておくものだ……。
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 ソ連邦はこの同盟を維持するため、粛清も強制労働も征服戦争も放棄した

このままでは勝てない。
新たな編成が必要だった。
 
反攻
ミクロルの渦の悲劇から27年が経った2354年、方針が定まった。
太陽系をふくむ10星系を軍港化し、年間10隻の戦列艦を並列生産できる体制を整える。資源の供給量を加味して、20年で総火力200Kの建艦を行うことができるはずだ。

全艦隊を戦列艦規格でそろえることには代わりがないが、艦種は2つに絞られた。
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1. 近接支援艦 301設計航空戦列艦『ベルクート』
3ユニットの爆撃機隊を備えた近距離殴り合い専用艦。艦隊近辺に飛行隊を滞留させ、肉薄する敵駆逐艦を殲滅する。

重装甲。舷側にはソ連邦宇宙軍伝統の魚雷兵装をずらりと揃え、レンジ80以内での圧倒的なドミナンスを期待できる。
 
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2. 長距離砲撃艦 259設計戦列艦『モールニヤII』
伝統の魚雷兵装を外し、新開発のタキオンランスを装備。レンジ100オーバー。実戦での制圧力は未知数だが、理論値では過去最高の時間あたり火力を叩き出している。(中性子魚雷の装備も考慮されたが、魚雷の遅さで撃ち負けた戦訓から採用ならず)

タキオンランスがエネルギーを食うため、比較的軽装甲。
舷側にはニプローシェヌイのデブリからリバースエンジニアリングした事象崩壊砲を装備。近距離弾幕の薄さをカバーできるか。

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大艦隊の維持には資源もエネルギーも必要だ。これらを支えるため、ソ連邦全域での大増産が号令された。またこれまで見捨てられていたような惑星にも積極的に植民が行われた。
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 太陽系近傍にありながら利用されていなかったコムソモール星系
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これまで利用されなかった惑星の多くは乾燥惑星である。辺境で産する希少液体DHMOを使用してこれらをツンドラ惑星にテラフォーミングする。
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ツンドラ惑星に植民するのは寒冷気候に耐性のあるトラクポシアン人だ。星間移民省は久しぶりの大仕事にてんてこまいとなった。
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 植民開始時点。2490年計画終了までにトラクポシアン人口は60単位から120単位へと倍増した
 
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2474年、人類による本格的な反攻作戦が始まった。
サナア・ジュハニ宇宙軍大将は総火力193Kの赤衛艦隊を率いてニプローシェヌイ宙域へ突入。
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 タキオンランスは強い、勝てる

この侵攻では数度の戦闘を経て次元門のあるアスタルテ星系まで到達した。しかし無傷の57K艦隊が目の前で3個も出現するなどの圧力に耐えることができず、艦隊は帰還した。
 
だが遠距離砲戦ではタキオンランスで圧倒し、近距離戦では駆逐艦を防ぎきるなど、301設計戦列艦と259設計戦列艦の有用性は十分に確認することができたのである。
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2485年、党上層部を愕然とさせるニュースが飛び込んできた。2個目の次元門がひらいたというのだ!
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場所はソ連邦の辺境、ミール星系近傍。
今度のニプローシェヌイにはアベラントという名が付けられた。彼らが通信でよく繰り返していた単語だ。
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赤衛艦隊はミール星系へ急行、これを撃滅した。次元門の破壊にも成功した。残念ながらそのときの画像は残されていない。人民を不安にさせないためすべてが機密のままに運ばれたのだ。

いずれにせよ、2474年と2485年に部分的ながらニプローシェヌイに勝利を収めたソ連邦宇宙軍は、勝利への確信を強めつつあった。
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 2492年には3個目の次元門がひらいたが、ソ連邦はニプローシェヌイの撃滅を優先した
 
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そして決戦の時がきた。
2490年、赤衛艦隊220Kはタヴァリシチ軍港を出港し、8度目の遠征を開始した。すべてはこの銀河を守るため、そいてソ連邦人民を守るために。
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今回はミクロルの渦から先の侵攻路を変えた。ティキム星系を経由することで、アスタルテ星系の入り口を避けて裏門から入るようにしたのだ。

アスタルテの入り口にはニプローシェヌイ艦隊が遊弋していることが多い。レオーノフ航法直後の30日の空白で近接戦に持ち込まれないための対策だった。ティキムから突っ込めば敵艦隊をかわすことができる上、タキオンランスでアウトレンジできる可能性が高まる。

赤衛艦隊は目論見通り、敵主力から遠い宙域にワープアウトした。30日かけてゆっくりとレオーノフ機関の冷却を終え、次元門へ進路を定める。

反物質スラスタがうなりをあげる。艦橋は静まり返り、ただ航法システムの無機質なロシア語だけが聞こえて来る。100年間の戦いがいまここに決しようとしているのだ。
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 すべての元凶、ニプローシェヌイの次元門

画像、映像がほとんど存在しないことがこの戦いの苛烈さを示している。ただ宇宙軍人の語り伝えが残っているだけである。

機関兵アレクセイ・カマロフ
「俺たちにとってはいつもの戦いと変わらなかった。このかわいいやつ(機関)の調子をとったり、おだててみたり、鞭を打って走らせたりな。俺たちは生きて帰れるとは思ってなかったが、負ける気もしなかったよ。サナア・ジュハニ婆さんが指揮をとってるからには負ける気は全然しなかったな」

士官チャン・グオピン
「タキオンランスは恐ろしい兵器だ。ソ連邦宇宙軍はこの兵器をファフォッサンのデブリから学んだが、ずっと放置して魚雷だけを使ってきた。だがタキオンランスは力だ。強力な力。タキオンランスの砲座の数だけ、艦隊は強くなる。光より速く装甲を貫きとおすんだ。次元を超えて攻めてきた敵でもそれは変わらない」

赤衛艦隊司令サナア・ジュハニ
「私が生まれる前から人類はニプローシェヌイと戦ってきた。私は奴らと戦うために育った。すべての訓練、すべての戦闘、すべての血と涙を捧げつくし、いま私はここにいる。生者に賞賛を。死者に敬礼を。そして異次元人にはケツでも蹴ってやればいい!」
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 次元門の破壊に成功しつつある
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 勝利。110年の労苦が報われた瞬間
 このあとジャンプしてきた敵艦隊との戦闘にも勝利した


次回、2495年