<前回までのあらすじ>
大胆なるダグは先代とまったく違って善政をしいたので民に愛された。外征も積極的に行い、ビャルトラ家の領地を飛躍的に増やしていく。
 
ノヴゴロド十字軍
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ダグは激怒していた。
というのも、兵士の一人から密告を受けたのだ。
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ダグの従士長であるエストニア人リットが、従士たちを勝手に使って農民を脅し、金をゆすり取っているという。

リットを呼んで聞きただしたところ、確かにやっているとのこと。悪びれもしないリットの様子にダグの怒りはさらに高まったが、彼はリットを罰することなく、従士長につけたままにした。

なぜならーー。
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 1150年、北ルーシ
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 リューリク家の末裔、ガヴリイル

ダグは2度目のノヴゴロド戦役を計画していたからだ。今回はリューリク家が治めるノヴゴロドの南北2領が標的だ。

エストニア人リットはきわめて有能な指揮官であり、彼を従士長から外すことは考えられない。たとえこの醜聞のあと、また同じことを2回繰り返したとしても。
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主の1151年夏、ダグはテンプル騎士団に聖戦への参加要請をおこなった。騎士団総長イベリン家のルーはこれを承諾。北ルーシにおける2度目の大規模な異教掃討戦が行われることになった。
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 1151年10月5日 ノヴゴロドの戦い

その年の秋、ビャルトラ家、リューリク家の両軍はノヴゴロドにて激突。凄惨な戦闘ののち、リット率いるキリスト教軍10000が異教軍4300を撃破した。
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 ノルドの盾の壁はこの時代になっても強力だ
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キリスト教軍は長駆リューリク家の都ヴラディミルまで進撃し、町々を焼き払った。得られた捕虜は数万に達し、それらはみなマジャル商人に売りさばかれたという。
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 1152年7月 リューリク家に勝利
 異教の大連合を相手にしていたことがわかる
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この聖戦に勝利した結果、ビャルトラ家はラドガ湖からヴォルホフ川東岸を完全に押さえた。黒海沿岸タンタルキャを追い出され、リフランドの1地方領主として再出発してから50年。ビャルトラ家は北ルーシにおける中規模公国としてみごと復活を遂げたといえる。

カラトラバ騎士となった長男のグズフリズを除き、次男のモーリス、4男のマッツにそれぞれ新獲得の領地が与えられた。公位継承者のヒシングは結婚してから領地を与えるつもりだったので、領地はなしのままだ。それでヒシングは父親をさらに憎んだ。
 
帰正
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主の1153年8月、ルーシ大公ヴォロダルが死んだ。そしてクンザハル家は大公位から降り、ペレヤスラヴリの公となった。

クンザハル家を継承したのは先の大公の娘ソフィア姫だったが、彼女には目立った同盟先もなく、兵力も脆弱だった。
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 ダグの祐筆 ウェセンベルのグズムンド

「今が好機。先代ソルド様のときに召し上げられたカレヴァン領を奪回しましょうぞ!」
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 1153年8月21日の戦線

リフランド軍は大挙してカレヴァンに殺到した。赤子の手をひねるようなものだった。ビャルトラ家はいまや4500人を動員できるだけの大家となっていたからである。こうしてリフランドはカレヴァン領を回収し、みごと12領を数える強力な公国となった。

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さて、いくさを終えてレミセレ城に帰ってきたダグを迎えた男がいた。キエフの総主教ドモトルである。彼は北ルーシ巡察の旅に出ており、たまたまこのカトリック公国の首都に立ち寄ったのだった。

ドモトルはきわめて聡明な聖職者だった。その知恵は大海のよう、その言葉は蜜のよう。ドモトルの説教はダグを完全に魅了した。ダグはドモトルと問答を続けるうち、正教の荘厳にあずかりたいと願うようになっていた。
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そういえば息子のヒシングに皇女エウフラシアを迎える条件が『正教への改宗』だったのだが、もう待ってはいられない。さっそくダグはドモトルの司式のもと、帰正の儀式をおこなった。そればかりか全領国に布告を出してラテン式の典礼をギリシア式に改めるように命じた。

領国の人々は驚きあやしんだが、最も衝撃を受けたのはバルト海沿岸の町に駐留していた諸騎士団の人々だ。彼らは庇護者であるリフランド公がラテン典礼を捨てたことを知り、失望と怒りに身を震わせながらリフランドを後にした。

そう、ダグはこのとき気づいていなかったのだが、もはやこれ以後、諸騎士団の援助を乞うことができなくなってしまったのだ。
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 1159年 宗教地図
 ルーシ、リトアニア、リフランドに正教圏が拡大している
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 1159年、スグロフ・カガン国
 カガンとルーシ大公の安定した統治のもと、ルーシは富み栄えている
 
輿入れ
主の1156年も暮れるころ、ヒシングがダグに話があると言ってきた。

「父上、帝都のヴァリャーグ親衛隊に勤務することをお許し願いたい」
「今なんと言った」
「ヴァリャーグ親衛隊に勤務することをお許し願いたいと申したのです」
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 婚姻を目前にしてまさかの傭兵志願

「許さんぞ。絶対に許さん! おまえはコムネノス・ドゥーカスの皇女を娶り、わしのあとを継ぐのだ。ヴァリャーグ親衛隊など……。ノルドの誇りだった昔ならともかく、いまや祖国を失ったフランク人とヒスパニア人がひしめいているというではないか!」

ダグは激昂し、ヒシングを輿入れの日までレミセレ城の塔に幽閉するよう命じた。ヒシングはなんともいえないような目をして、引き立てられていった。その後しばらく、ダグはその目を思い出して夜毎にうなされた。
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主の1158年春、待ちに待ったエウフラシア姫の輿入れがあった。すべての式次第はノルドの伝統ではなく、帝都式に行われた。大量の食物と酒、蜂蜜に菓子、亜麻布や絹が準備された。

領国の人々はこぞって帝都からやってきた花嫁を見に集まった。美しい花嫁だった。「さすがは皇女さまだ、まるで天使のように美しい」と人々はささやきあった。
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 エウフラシア・ドゥーカイナ・コムネナ
 ビャルトラ家もついに皇女を娶るところまできた

だが夫となるべきヒシングの気分はすぐれないようであった。ヒシングは美しい花嫁と目を合わせることもなく指輪や冠を交換すると、沈黙して総主教ドモトルの祝福をうけた。

この婚姻はダグにとって大きな誇りであったようで、そのあと会う人会う人に自分の息子がいかに盛大な式をあげたかを吹聴して回ったという。

そんなダグも夏にいったん体を冷やしたあと急速に老け込み、9月に急死した。
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先代ソルドの汚名をそそぎ、ビャルトラの領地を増やし、皇女を息子の嫁に迎えたダグ。善政をしいたのでその死を人々に惜しまれたという。そうしてヒシングがその後を継いだ。