<前回までのあらすじ>
ルーシ大公国の内乱のあおりで、先代ヒシングはあっさり暗殺されてしまった。彼には男児がいなかったので弟マッツがリフランド公位を継承することになったが……。

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兵士1「今日はレミセレの近郊13ヶ村から兵士が到着する日のはずだが……」
兵士2「影も形もないな。日取りを間違えているのでは?」
兵士1「村々が出仕の日取りを一斉に間違える? そんなわけはあるまい。何か事故があったのかもしれない」
兵士2「あるいは単に」
兵士1「ああ、また例のあれか。殿もさぞお困りだろう……」
06
ダグの子マッツは本当に困っていた。
まるで兵士が集まらないのだ。兄ヒシングの葬儀ではあれほどいたノルドの戦士たちが、マッツの召集にはまったく応えようとしない。

手をつくして使者を送ってみても、召集に応えるのはわずかに1280人。ヒシングの時には6000の軍勢を動かしていたことを考えると、これはいかにも情けない。

『臆病者マッツ』。
人々はマッツをそう呼んだ。お人好しなところも、社交を好むところも、軍を率いるのには適していなかった。

兵が集まらないので、こうなると封臣たちのほうが兵数が多い。反乱を起こされてはひとたまりもない。
03
 金貨を下賜し、関係改善
 しばらくのち反乱派閥は自然消滅した

だがそこは持ち前の人当たりのよさと金で乗り切った。
社交好きにもいいところはある。

マッツは汚い手も使った。
異教徒の略奪行があってもこれを撃退することなく、封臣たちの領土を制圧されるがままにしたのだ。
19
 マジャル系に育ったがために継承からはじかれたモーリス
 評議会の参加も拒否されている
 
特にトロペッツ伯である兄モーリスの領土は甚大な被害を受け、モーリスは反乱を考えるどころではなかった。このためモーリスはマッツに恨みを持った。
 
50
マッツは領国の経営にも心を配った。父親ダグ、兄ヒシングにならってよく領国を巡察し、それで民は彼を愛した。
21
女たちもマッツを愛した。
妻クリスティナは彼を信じて疑わなかったし、また兄嫁のエウフラシアも彼の誘いに応え、子を孕んだ。エウフラシアは帝都からこの北辺の地にやってきて初めて心の安寧を得たという。
12
主の1166年2月、妻クリスティナが病死すると、マッツは晴れてエウフラシアを娶り、これを公妃とした。二人の間には静かな愛があり、人々はそれを見てうらやんだ。

弔い合戦
さて、マッツは兄ヒシングとは仲がよかったので、ぜひ彼の弔い合戦をしたいと思っていた。
54
 臣下には無用のいくさだ

当時、北ルーシではスグロフのカガンがドイツ騎士団の領地を要求して戦争になっていた。しかしマッツはそれには目もくれず、兄を殺した『蜘蛛のヴィアチェスラヴァ』の首を取るために南へ軍を進めた。
00
 リフランド軍の進路
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 1167年2月22日、トルキの合戦

カルパチア山脈のふもとトルキにて、リフランド軍はヴィアチェスラヴァ軍に接触。これを完膚なきまでに打ち破った。この勝利の知らせはマッツの評価を高め、以後『臆病者』というそしりはあまり聞かれなくなった。
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 平民アケ マッツの祐筆
 故ヒシングとはよくチェスをしたという 

「よい機会です。この戦勝の祝いと同時に息子のダグ殿のおひろめをされてはいかがでしょう」
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アケの助言を入れて、マッツは臣下を集めてダグを彼らに紹介した。彼らはみなダグを盛り立てると言ってくれた。特にラドガ伯ラグナルはダグを気に入った様子で、後援を固く約束した。
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一方、兄モーリスの息子カーロイとダグは公の場で大喧嘩をやらかした。このためお互いの敵意は一生残るものとなった。このことがあってからマッツと兄モーリスとの関係はさらに微妙になってしまった。

ダグのこと
15
主の1171年、モラヴィアのサウル王がルーシに侵攻をはじめた。しかしリフランドは弱兵ゆえか召集がかからず、領国で後詰めを担当することになった。

マッツはこの時間を利用して後継者問題にめどをつけることにした。
15
ライバルの兄モーリスには3人の男児がいるが、マッツにはダグがいるきりだ。しかしモーリスの家系に家督を譲るということは考えられない。

そこでダグに後を継がせることになるが、彼にはヒシングの娘インギビョルグを娶らせる。ビャルトラ家家長としての正当性を確保しつつ、帝国皇女エウフラシアの血(インギビョルグはエウフラシアの娘だ)を入れるという案である。

この案はモーリスを除く臣下のおおむねの賛同を得られたので、この線でいくことに決まった。
08
ダグの育て方も悩みどころだった。マッツは人々の心を掌握することは上手だ。しかしこればかりは教えてものになるというものではない。

無理に教えて反発されるのもこわい。マッツは父ダグが兄ヒシングを厳しく育てたために、二人の関係に修復不能な亀裂が入ったのを見ている。
34
妃のエウフラシアに相談したところ、彼女はこう言った。
「聞かれたことだけ教えなさい。わたくしは帝室であれもこれもと教えられて育ったけれど、何一つものにならずに大人になってしまいました。ダグはわたくしと違って賢い子です。自分で自分の将来を決めるでしょう」

そこでマッツはそのようにした。また良き助言を与えてくれる妻に感謝し、彼女をさらに愛した。
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主の1174年3月、ダグは晴れて成人した。
先の妃クリスティナの血が濃いのか、少し南国人めいた風貌である。そして父親に似たのか軍事の才がまるでなかった。くわえて、もの狂いの気配があった。

しかし頭は悪くないようで、習い覚えたことはすぐ身につくたちなのであまり心配はしていない。まあ5年もすればものになるだろう。マッツはそう思って自らを安心させた。しかしーー。
 
30
 突然の死

主の1175年9月、兄ヒシングに続いてマッツもまた暗殺された。今回の下手人はわかっていない。
06
「トロペッツ伯の兄モーリスではないか?」といううわさはあった。彼はダグが成人するまではリフランドの第1継承者であったし、またマッツと険悪な関係にあったからだ。

されど真相は闇の中。
人々は不安にかられつつ、新しいリフランド公ダグの登位を見守るしかなかった。


次回、賢きダグ