<前回までのあらすじ>
フンザハル家との婚姻戦略、積極的な外征、摂政としての公務を通じてビャルトラ家の威信を増大させたビョルン。しかし継承者と定めた息子を暗殺されてしまい、深い悲しみに沈んでいた。しかしそんな彼のもとに『次の大公に選ばれた』という知らせが届く。
 
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主の1314年1月、黒死病の恐怖がようやくルーシの地を去ろうとしていた頃……。
雪深きルーシの各地から諸侯がキエフに集まってきた。先の大公コルネールの死にともない、新しい大公を選ぶためである。

キエフでは長い長い寄り合いが開かれた。
あまたの蜂蜜酒の樽が空になり、あまたの鹿肉が調理されて並び、会議は連日深夜におよんだ。

そしてある晩、ついに結論が出た。
ルーシ諸侯はビャルトラ家のビョルンを大公として選出したのである。
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 武人大公ビョルン

「諸君、余を選出してくれたことに感謝する。ビャルトラ家の大公は反逆者グンナル以来360年ぶりとなる。余は善き政治をおこない、ルーシの民は肥え太るだろう!」
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ビョルンの治世は祝福されたように見えた。大麦は豊かに実り、森には獲物が満ち満ちた。宮廷では古きノルドの言葉が聞かれるようになり、その治世のあいだルーシはかつての古称『コーヌガルズ』と呼ばれた。

ルーシの国は広く、民は多い。
この国を束ねていくことがビョルンには期待されていた。
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しかしビョルンの最初の勅令は諸侯らの疑念を招くことになった。彼はこれまで禁じられてきた封臣間の戦争を解禁したのだ。

「余は1代限りの大公だ。次の代にはまた公に戻ることになる。ビャルトラ家がリフランド公位とエストニアを奪還するためにこの法改正はどうしても必要なのだ」
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 次代は3女のアルフリズが継承する予定

公として染み付いた処世術。
ビョルンは優れた男だったが、大公の器ではなかったのかもしれない。

このルーシの国の結束をゆるめる行為に、諸侯らはざわついた。マジャル人の大公のもと、ルーシは国内の戦争を禁じてここまで大きくなってきたというのに……。

ビョルンははたして大公としてふさわしいのか。無謀公というより無思慮公ではないのかという声も上がる。
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 内戦だ

そうしてすぐによくないことが起きた。
トゥロフ公、フンザハル家のラーザールがさっそくこの法改正を利用してペレヤスラヴリ領を攻撃したのである。その兵3000。

ペレヤスラヴリを統べるのはまさにビョルンの娘アルフリズ。その兵300。とうてい勝ち目はない。そう、ビョルンは自分が行った法改正によって、自分の継承者を危機に陥らせてしまったのだ。
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 トゥロフ公、臆病のラーザール
 フンザハル家としてペレヤスラヴリへの請求権を持っている


娘を攻撃されたビョルンは激怒した。
12000の大公軍をもってラーザールに迫り、領地の召し上げを通告。ラーザールは反逆するかに見えたが、この軍勢を見てあきらめたのか領地を差し出してきた。

ビョルンは最終的にラーザールの持つ3領すべて、およびトゥロフ公位を召し上げて強制的に戦争を終結させた。無一物となったラーザールはペシュトの親族のもとへ逃げた。
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ラーザールの持ち物だった3領はアルフリズに与えられた。動員力も増したので、これからは攻撃されることもあるまい。
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当然、この事件は公たちにはひどく不評だった。
なかにはビョルンの正気を疑う声もあった。実際この時期、ビョルンの施政にはそう思われてもしかたのないところがあった。
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 カブラ法の発布
 「以後ルーシではカブラをもって通貨とする!」
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ガーリチ公、義の人ドモスローは特に怒った。
「我々は選択を誤ってしまった。あなたのような大公は要らぬ。さっさと退位されるがよろしかろう」
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貴族たちの怒りはたまりにたまり、強力な派閥が2つもできた。それらを率いていたのはリフランド女公、ヒリング家のサラだ。
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ビョルンも黙って見ていたわけではない。
主の1316年、ビョルンはキエフ総主教を動かしてサラを破門させた。罪状は淫蕩の罪である。
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 「わたしは潔白だ!
 破門されるようなことはしておらぬ!」

まったく身の覚えのない断罪を受けたサラはキエフにおもむき懸命に無実を訴えた。しかし心痛が祟ったのか、しばらくして肺炎で死亡。こうして危険な2派閥はみごと解体されたのである。

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主の1318年、大モラヴィアの王はリトアニアを併呑し、ここにヴェンド人帝国の設立を宣言した。

東方皇帝も西方皇帝もいない今、唯一のキリスト教皇帝にしてローマの後継者を自称するヴェンド皇帝。長い国境を接するルーシにとっては気がかりな相手があらわれたということになる。

「こうなる前にリトアニアを食っておくのだった……」
ビョルンが悔いてももう遅い。
どちらにせよ、対外戦争をおこなうには国内の安定が必要だ。ビョルンの所業によって、内にも外にも身動きが取れない状態がつづいているのだった。
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この頃、ラーネランドのエストニア人がノルドの習俗を受け入れるなど、ルーシのノルド化もじりじりと進んでいる。

しかしマジャル人大公たちの安定した治世を忘れられない人々はそれ以上に多かった。しかもビョルンは重い税を課したので、農民の不満はきわめて大きかったのだ。
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1321年春、ガーリチ地方グロデクで大規模な農民反乱が起こる。これを鎮圧に出向いたビョルンは負傷。政務を取れない体になってしまった。

これまで無理に無理を通してきたビョルンだが、ここにきて急に弱気になった。
「余もそう先が長くない。こうなってはアルフリズにうまく継承できるかどうか、それだけが気がかりだ」
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 バンボローのメナシェ
 イングランドから来たユダヤ人でビョルンの相談役を務めた
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「継承については心配なさることはありません。アルフリズ様は筆頭2票を獲得し、無事クールラント領を継承されるでしょう」
「彼女がルーシ大公を継ぐ目はあるか」
「望みはありません。まず女子ですし、歳もお若い。なにより父親であるあなたが無茶をしすぎました」
 
「よい大公であろうとしたのだがな。ルーシの国土を広げることもせず、ただ臣下を怒らせて私腹を肥やすだけのつまらぬ大公になってしまった」
「主がそれを望まれたのでしょう。あなたは国土を削られることもなく、ルーシ大公を勤めあげた。それでよいではありませぬか」
「そのような慰めに納得はせぬぞ、メナシェ。しかし娘のことが心配だ。どうか娘をもりたててやってくれ。それだけが我が望みだ……」
 
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1325年8月、無謀のビョルンは死んだ。
彼は臣下の怒りをおさえるために惜しみなく金を使ったので、その葬儀でビョルンを悪く言う者はなかった。ビョルンは祝福され、キリストとともにいるであろう!

そうして娘のアルフリズがビャルトラ家長を継承した。ルーシ大公位は失ったが、クールラントとペレヤスラヴリとの合同には成功した。ビャルトラ家としては初めての女公アルフリズは、いったいどのような治世をめざすのだろうか?


次回、盾乙女アルフリズ