<前回までのあらすじ>
悠々と大公位についたビョルン。しかし彼の治世は大公というよりも、たまたま権力を得た地方貴族のようでしかなかった。評判は悪かったものの、ひとまず領土の喪失もなく大公を勤め上げた。クールラント公位を継承した娘のアルフリズはどのような治世を敷くのか……。
「祈りをささげ、日々の働きをするだけの暮らしに憧れる……」
次回、平原の騎士グレゲル
ペレヤスラヴリ女公アルフリズ
クールラント公位は破棄され、ペレヤスラヴリを第1称号としている
ビョルンの娘アルフリズは強く、そして美しかった。
その青い目とつややかな髪は公子たちを魅了し、ペレヤスラヴリの都には求婚者が絶えなかったという。
公子たちがアルフリズに求婚したのにはもうひとつの理由があった。
彼女の領地である。
1325年、アルフリズが継承した領地
赤丸の領地が彼女の直轄地として選ばれた
父親ビョルンからクールラント公領を、母親オドラからペレヤスラヴリ公領を受け継いだアルフリズは、11領という大領の支配者でもあったのだ。
さて、アルフリズは求婚者たちに剣の打ち合いを求めた。求婚者同士で戦わせるのではなく、彼女自身が戦った。というのも、父親ビョルンに似て、アルフリズはたいへんな剣の手練れだったからである。
打ち合いに勝った者は一人もいなかった。あまたの勇士たちが肩を落としてペレヤスラヴリを去った。アルフリズは22になるまで結婚せず、最終的にビャルトラ家の分家からダンという若者を選んだ。
オーゼル島のダン
凡庸だが節度ある青年だ
「アルフリズ様はどうしてダン様をお選びになったのですか?」
そう侍女に聞かれたアルフリズは次のように答えたそうだ。
「わたしを負かせる男がいないと知ったとき、これではどの男と結婚しても一緒だと悟った。そのあと最初に出会ったのがダンだったのだよ。それだけだ」
アルフリズは信心深く、勉学にもよく励んだ。
キエフの総主教について学び、いくつもの教説をそらんじるだけでなく宗論にも参加した。その弁舌はあまりにさわやかで『使徒的女公』のあだ名がついたという。
アトス山の修道院に寄進もした
「祈りをささげ、日々の働きをするだけの暮らしに憧れる……」
女公のつとめは忙しく、静かな僧院に隠棲したくなるような日もあった。アルフリズは生涯に7度ほどこの誘惑にかられたが、踏みとどまった。
主の1331年、アルフリズはルーシ大公デーネシュの指揮官たちに戦術を教えることになった。これはアルフリズから言い出したもので、1000人のハスカールを従えてきびきびと兵を動かす彼女に指揮官たちは驚くばかり。大公はいたく喜んだという。
「われらの盾乙女、アルフリズ万歳!」
アルフリズ麾下のペレヤスラヴリ軍は大公の右腕としてさかんに反乱鎮圧に出向き、経験を蓄積していた。その経験が生かされたというべきであろう。
主の1332年、アルフリズは長子グレゲルを産んだ。
彼の名をマジャル名にするかノルド名にするか迷ったが、アルフリズは後者を選んだ。入植して400年が経ったいまでも、ビャルトラ家はノルド人としての自覚を持ち続けていたのである。
主の1138年、さきの訓練で自信をつけたアルフリズは、こんどは大公の従士団長に名乗りをあげた。
大公デーネシュはアルフリズに借りがある。それに彼女は先の大公の娘でもある。顧問団に女を迎え入れるということに反対も多かったようだが、大公はアルフリズの願いを聞き入れた。
アルフリズ、ついに従士団長となる
大公デーネシュはそれからすぐに死んでしまったが、アルフリズは次の大公イジャークともすぐに良好な関係を築いた。
大公を評議会で支持
従士団長として
主の1342年、夫のダンが死に、息子のグレゲルがチョルティツァなど3領を継承することになった。
アルフリズは優しかった夫を思って泣いた。彼女はまた10歳の息子を任地へ送り出す母でもあった。そう、かつて自分もこうしてペレヤスラヴリへ送られたのだ……。
しかし公であり従士団長であるアルフリズには私事にかまけるひまがなかった。大公イジャークがタタールに対する戦役を号したのだ。
アラニア地方を奪還せよ
「いまやタタール人の帝国は四分五裂し、各地の王侯たちが反逆の狼煙をあげている。やつらを叩くなら今しかない。
ノルドよ立て、マジャルよ立て、スラブよ立て!
タタールを討つためにわれら来たれり!」
数々の決戦が行われた……
しかしこの聖戦に思わぬ横槍が入った。
ノヴゴロド・セヴェルスキーの領地をめぐって、同じマジャル人のペシュト朝が介入してきたのである。
突然の第2戦線
タタール人に再占領されたアラニア
後背をつかれた形になったルーシ大公国はアラニアから撤退し、ペシュト軍と戦うほかなかった。一時はアラニア全土を占領していただけに、痛恨の退却である。
そうしてペシュト軍との戦いで、アルフリズは負傷してしまった! 命に別条はなかったものの、彼女の顔には大きな傷が刻まれた。タタール人との戦いならこれは勲章だが、同じキリスト教徒との戦いで得たとなると恥辱である。
恥辱はそれだけではない。
長期の動員でペレヤスラヴリの軍資金も底をつきそうになっていた。ユダヤ人の金貸しに泣きつくところまで行っていたのである。
これを助けたのがガウジエナ家のアケ・コルネールソンで、彼は伯として貯めた200箱もの金貨をアルフリズに差し出した。アルフリズはこのときの恩を生涯忘れることはなかったという。
そんな状態だったので、従士長コルビョルンの使い込みが発覚したときはアルフリズも激怒した。
「領民が血と汗であがなった金に手をつけるとはどういうことだ! 貴様がいかにわが友人といえ許さぬぞ!」
「領民が血と汗であがなった金に手をつけるとはどういうことだ! 貴様がいかにわが友人といえ許さぬぞ!」
コルビョルンは平謝りに謝り、軍資金はふたたびビャルトラの金庫に戻った……。
そうしてアルフリズの指揮のもと、ペシュト朝とのいくさも終わった。結果はルーシ大公国の勝利。なんとか役目を果たし終えたアルフリズはどっと老け込んでしまった。
領国にて
戦争のない時も、従士団長は諸国のうわさに聞き耳をたてる必要がある。
ルーシのアラニア撤退後、東方は静かだったが、ここにきてタタール人の新たなハーンのうわさが伝わってきた。彼の名はティムール。あのテムジンの再来と言われ、無数の城市が彼に門をひらいたという。
しかしアルフリズにとっては遠い東方の出来事。タタール人にまたひとり王が生まれたか、くらいの感想を持っただけだった。
たくらみのグレゲル
母親の武力は引き継がなかったが、それなりの武人だ
主の1363年、息子グレゲルが内々にアルフリズに面会を求めてきた。
「母上、宮廷内に裏切り者がいるのです」
「誰だ、言ってみよ」
「従士長のコルビョルンです」
さてはあの男、またやらかしたか?
しかし調べてみると、裏切りの事実はなかった。
ただとにかく評判が悪いだけだったのだ。
ただとにかく評判が悪いだけだったのだ。
「確たる証拠もなくわが友人を貶めることは許さぬ。息子よ、わたしを失望させるでないぞ」
コルビョルンは恩に着たつもりか、このあとアルフゲイルという武人を宮廷に連れてきた
1368年のクリミア戦役
小兵力だと思って舐めてかかったところ、逆襲された
大失敗に終わったクリミア戦役の後、すっかり老け込んだアルフリズは公領の仕事を徐々にグレゲルに任せるようになっていた。
アルフリズ64歳
かつての戦乙女はまだまだ元気だが、寄る年波には勝てない
アルフリズはグレゲルと妃ソフィアをペレヤスラヴリに呼んで、よくチェスを指した。
「わたしの若い頃、大平原でタタールの軍勢に包囲されたことがあった……そのときの陣形は……九死に一生を得て……」
チェスの試合はすぐにアルフリズの思い出話になってしまい、グレゲルはそんな母を暖かいまなざしで見て、あいづちを打つのだった。そうこうするうちにだんだんまぶたが重くなり、侍女がアルフリズを寝床へと運んでいく。
「母ももう歳だからな……あんなに活発だった人が」
そんなとき、グレゲルはソフィアにそう言うのだった。
主の1369年5月、アルフリズは帰天し、グレゲルがペレヤスラヴリを継いだ。けっして冷静さを失うことのない武人であり、よき妻であり、よき母だった。彼女は天上にて乙女マリアのそばにいるであろう!
次回、平原の騎士グレゲル
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