<前回までのあらすじ>
女公アルフリズは敬虔な乙女だった。彼女は女の身ながら戦に優れ、ルーシ大公の従士団長というビャルトラ家でもまれな出世をした。アルフリズはタタールとの戦いに生涯をささげ、68で死ぬまで立派に領国を治めた。

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ビャルトラ家のグレゲルはわずか10歳でホルティツァ伯となった。
ホルティツァはドニエプル川の島の名。大平原のさなかにある小領だ。

このマジャル人ばかりの僻地で育ったグレゲルは、彼らの習俗に深く影響されたようだ。乗馬にたくみで、騎乗して平原を早駆けする様子がよく見られたという。

一方で、グレゲルは偏執的で、はかりごとを弄ぶ性質の少年に育った。宮廷での経験が彼をそのようにしたのだろうか。この性質はグレゲルの能力に影を落とし、「策謀は一流だが、まるで領国を掌握する才能に欠けている」と言われてしまうようになった。
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 たくらみのグレゲル
 維持できる直轄領はわずか3領

そんなグレゲルも長じては母アルフリズの補佐につき、主の1369年に母が死ぬとペレヤスラヴリの公座についた。

しかし母から受け取った領地は9領。
このうちから3領を選ばなくてはならない。
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ほとんど選択の余地はなかった。
一族が重点開発してきたリフランドの2領、そして新都ペレヤスラヴリ。この3領をグレゲルは直轄地とした。その他の領地はノルド人の臣下に渡して乗り切った。
 
疑い
スモレンスクにほど近い森の中。
グレゲルは7000の兵とともに幕屋を張り、野営していた。
さきごろダンマルク王が軍勢を率いて北ルーシを荒らし回ったので、これを討つべく大公の命令でペレヤスラヴリから出撃したのだ。

フクロウの鳴き声、松林のざわめき、ときおり聞こえてくる兵士たちの笑い声。グレゲルはまったく眠ることができないでいた。
というのも、夕暮れにある知らせを受け取ったからだ。
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 ペレヤスラヴリ公妃 やさしのソフィア

「お妃様、ご懐妊とのこと! おめでとうございます」
知らせを持ってきた若い兵士はそのように言った。
グレゲルの頰にぱっと赤みがさし、心は高揚した。
すでに娘イルサをもうけてはいたが、グレゲルは公領を継ぐ男児を切望していたからである。

しかし喜びがいったん通り過ぎると、あとにかすかな引っかかりが残った。
俺がペレヤスラヴリを出たのはいつだ?

たしか先年の秋、麦の刈り入れが終わったころ。
あれからすでに半年は経っている。
女は10月10日で子を産むという。腹が膨らんでくるのは3,4ヶ月だ。

はたして、本当に自分の子なのだろうか?
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グレゲルはさっそく人を雇って調べさせた。
その結果……。

「お妃さまの行動に不審な点はなにもありません。
お会いになる方も立派な司祭さまばかり。
むしろグレゲルさまの記憶違いなのでは?」

そう言われればそんな気もする。
妃を信じることにしよう。

生まれたのは男児で、ケティルと名付けられた。
待望の男児の誕生とあって、公領の人々は大いに喜んだ。
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疑惑は終わらなかった。
ソフィアが二人目の子を懐妊したという知らせを聞いたとき(もちろんまだグレゲルは戦場にいた)、彼の心に無力感と怒りがあふれかえった。

グレゲルは急ぎ南のペレヤスラヴリへと戻った。ソフィアを詰問するためである。
しかしソフィアは平然と彼を迎えた。まるで彼の子を懐妊したとでもいうかのように。

「いまやビャルトラの男子はきわめて少なく、あなたのお母様とて男子の少なさから女公に選ばれたのではありませんでしたか。ビャルトラの子を孕んだことで褒められこそすれ、詰問されるとは思いもいたしませんでした」
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グレゲルはソフィアを離縁することもできた。
だが彼はその子を認知した。もうこうなっては1人も2人も同じだ。それにソフィアの言うことは一面での真実であった。多少の氏素性のあやしさがあろうと、今のビャルトラ家には男子が必要なのだ。

ソフィアは全部で5人の男児を産んだ。このうち何人がまことにグレゲルの子だったのか、誰もわからない。グレゲルはその全員を黙って認知した。
しかしもちろんのこと、夫婦仲は隔絶した。
 
平原のグレゲル
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主の1372年、グレゲルは平原を越えて外征を行なった。
標的はクリミアのケルソン。アルフリズの代より請求権を主張していた土地である。

ケルソンはかつて帝国が領有していた橋頭堡だった。大昔のビャルトラ家は幾度となくこの地を劫掠したものだ。しかし今ではギリシア人の独立公がここを支配している。

軍船はドニエプルの流れを下り、ペレヤスラヴリ軍はケルソンを包囲した。
「ギリシア人を轢き潰せ」とグレゲルは命じた。
帝国なき今、独立公などもはや敵ではないのだ。
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 1372年10月3日、ケルソンの戦い

グレゲルはこの戦いで勝利をおさめ、ビャルトラ家はひさびさに黒海沿岸に領土を得た。
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またグレゲルはこのころ、彼の欠点だった勝手気ままさを失い、勤勉さを身につけたと言われている。自分の手で領地を得たことが自信につながったのだろうか?

苦手だった領地経営にも目を向け、農地の開墾なども積極的におこなうようになった。よい変化といえよう。
 
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主の1375年、ゼムガレ伯キャルタンほか3名の北部の伯による請願があった。

出征する兵士の数を評議会で決めたいという内容だったが、グレゲルはこれを蹴った。大平原にはまだまだギリシア人やタタール人の独立君侯がいて、彼らに対する遠征のために兵士が必要だったからである。
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北部の伯たちはたびかさなる平原出征にかなり苦しんでいたようだ。
結託して兵を挙げるという計画が進められたものの、策謀にすぐれたグレゲルはこれを罠にかけ反乱を粉砕した。

反乱首謀者キャルタンはペレヤスラヴリに移住してきたノルド農民だったのを、グレゲルが貴族に取り立てたものだ。そしてグレゲルの友人でもあった……。

捕らえられたキャルタンは言った。
「農民たちが出征したあとの村は荒廃し、男手を失った家族は水のような粥をすすっている! グレゲル、おまえには民の苦しみがわからないのか」
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 黄金の手のキャルタン

キャルタンを追放することもできたが、グレゲルはそれをしなかった。友人というだけでなく彼が統治者としてきわめて有能だったからだ。

この事件があってのち、グレゲルはキャルタンを公領の家令に任命した。キャルタンの統治は善く、ペレヤスラヴリの民は大いに栄えたという。
 
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主の1376年。タタールに盲目のハーン、イェディが立った。
この即位には反対者も多く、タタールの国内は荒れているという。
ルーシ大公オスカールはこれを好機としてアラニアの征服を命じた。
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グレゲルはマジャル騎兵3000を率いてこの戦役に従軍。ドニエプル、ヴォルガ両河地方を駆けめぐり善戦した。

戦いのなかで得たものは多く、グレゲルは平原での戦い、騎兵での戦いにそれぞれ習熟した。幼少のころマジャル人とともに馬を駆った経験が生きたといえよう。

戦争はルーシ大公の勝利に終わり、ついにアラニアはルーシのものとなった。 
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 1379年、ルーシ大公国はカスピ沿岸まで拡大
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 文化マップ。大平原の西部をマジャル文化が埋めている
 ルーシのところどころにあるNorseはビャルトラ家領
 
公正公グレゲル
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年老いてからのち、グレゲルは『公正公』の呼び名で知られるようになっていた。きわめて厳正な統治をしき、正義をおこなったからである。

民は彼を愛さなかったかもしれないが、恐れてはいた。
領国に犯罪はなく、盗品はすぐさま摘発された。
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かつて失われた聖遺物が戻ってきたのも、そのおかげである。覚えているだろうか? 3代前の『狩猟者アーレ』が紛失した、あのビャルトラ家伝来の聖遺物である。

グレゲルは聖遺物を厳重に保管するように命じ、この家宝が二度と失われないようにした。 
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主の1385年。グレゲルは大公に乞われ、ルーシ大公国尚書長に就任した。あまり外交はたくみではなかったようだが、大公との個人的な信頼関係を買われたのだろう。
 
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同じころ長女のイルサが成人した。
彼女はきわめて賢く育ち、ノルゲの王の妃となった。
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 1386年、遠いノルゲにイルサは嫁いでいった
 東ではタタール人の帝国が持ちこたえている 
 南ではティムールの帝国が成長中
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ほかの子供達はどうだろうか?

長子ケティルは父親に不満を持っているようだ。
せっかく要地ケルソンを与えられたのに、うまく領国を経営しているとは言いがたい。家督を継がせる器とはいえず、継承者としての指名を逃してしまっていた。
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かわりに諸侯の支持が集まったのは次男のダンだった。
まだ成人前だが、家令キャルタンの教えをよく吸収し、善き統治をおこなうと期待されている。少なくとも父親よりは持てる領地の数は多いはずだ。
 
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主の1387年、グレゲルの尚書長タナ伯インギャルドがある策謀を成功させた。ギリシア側の文書を偽造し、一族の因縁の地タンタルキャの請求権を獲得したのである。

現在のタンタルキャ伯はルーシ大公の臣下だが、さきの法改正で大公国内の内戦は可能だ。

「何代にもわたって開拓した地を皇帝に横取りされたのだ。先祖の無念は今にいたるまで語り継がれている……」
グレゲルは味方からタンタルキャを奪取することに何のためらいもなかった。
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 1388年2月12日、タンタルキャの戦い

グレゲルは老身をおして戦いに臨んだ。
戦いは朝日とともに始まり、日の落ちるまでに終わった。
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 勝利
 
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しかし戦いによる疲労がグレゲルの体をむしばんだ。
彼はペレヤスラヴリに帰ることなく、そのままタンタルキャで死んだ。58歳だった。

策謀の人、大平原の騎士、公正公として知られたグレゲル。彼は煉獄でおのれの罪をつぐなうだろう。そうしてグレゲルの息子ダンがあとをつぎ、領国はいや栄えるであろう!