<前回までのあらすじ>
ウイグルタイ王は最初のオーク侵攻をしのぎきった。しかしさらなるオーク侵攻がリューンを襲いつつある。

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思い出す……余は思い出す。
オークとの戦いにあけくれたわが一生を。
そこに喜びがあり、愛があったとしても、それらはオークの苦痛と恐怖で上塗りされてしまった。
57
余はチャガガン。リューンの王だ。
11438年、余はトクタマノグル家の家督を継いだ。父も祖父もすでに亡かったので、ウイグルタイ王の曽孫にあたる余が選ばれたのだ。

先代ウイグルタイはよき戦士だった。
オークの侵攻をはねのけ、東方人の聖地ダゴルラドを国土に組み入れた。先代は余を自分と同じような戦士に育てたかったらしいが、そのようにはならなかった。

余も人並みに戦うことはできたが、それよりも神々や英雄について学ぶことが好きだった。特に興味があったのがアルダの創世神話で、古老を招いて話を聞き、いにしえの神々の偉業に思いをはせた。

だが王位についてからはそんな暇はなくなってしまった。
リューンの版図は広大で、評定や裁定の数はかぎりなく、民の嘆願を日に100、200と聴くのが余の仕事だった。

さて、余は先代ウイグルタイがそうしたように、ブルフ=エルマナリキスの都を大いなるものとした。その人口は増えつづけ、富は蓄積され、町はいやさかえた。
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 首都ブルフ=エルマナリキスを重点開発
 城2つで兵3800を徴兵可能に
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 未開発のブルフ=ドルイニオンと比較してほしい
 こちらも城2つだが兵は670にすぎない

このように内政だけをしていれば心安らかだったのだが……。王として、余はしばしば兵を率いて出御せねばならなかった。リューンの国境はつねにおびやかされていたからだ。
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 チャガガンの治世はオークによる侵攻の連続だった
 侵攻の数は9回を数えた

まず、ザグルーク=ハイ部族のオーク、ウグールがダゴルラドに侵攻してきた。余は兵10000をひきいてダゴルラドへ向かい、これと対峙した。
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当初リューン軍は優勢だったが、しだいに敵の援軍が増えていった。そこで余は数度の合戦に勝利したのち、ウグールと和議を結んだ。

オークを追撃せず和議を結んだことで、余の評判は地に落ちてしまった。しかし余の狙いは兵力の温存にあった。兵10000のうち4000は補充のきかない精兵だ。これを失うことだけはなんとしても避けたかった。
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数年後、バラド=リスイ部族の半オーク、ウグムズの侵攻があった。オークの軍勢に限りはなく、次から次へとやってくる。まともに相手をすればこちらが疲弊するだけだ。しかし、どうすればいい?
名称未設定
 カヴラキギオンのクドゥ
 別名『オークの災い』
 密偵長としてチャガガンの治世を支えた

「わたくしに策があります」
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 爆殺

余はウグムズの暗殺を命じ、それは成功した。
オークは仲間割れしやすく、身内の暗殺に手を貸す者が多い。首領が死ぬと、軍勢はちりぢりとなって解散した。これはいける。余はほくそえんだ。
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11452年、王弟バトゥとローハン王家のベオルトラフ姫の婚姻があった。これにより、リューンとローハンのあいだに同盟が成立した。
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ローハンは北方人の国で、われわれ東方人とはあまり仲がよくなかったのだが、たび重なるオークの侵攻を前にして同じ人間同士力をあわせることになったのだ。
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ローハン王セオデン3世はこの同盟を喜んだ。
「われわれは今ガーシュガースのオーク首領ルグバグと激しい戦いをくりひろげている。リューンの助けがぜひとも欲しい」
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 12500の大兵力を擁するルグバグ

セオデン3世の頼みを聞き入れ、余は西へ出御した。しかし余はオークたちと刃を交えて戦うつもりはなかった。なぜなら……。
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 射殺

侵攻の首謀者を暗殺すればすむ話だからだ!
こうしてローハンはオーク侵攻を防ぎきり、自由の民の国として生きながらえることができたのである。
07
11454年、余の息子アンバガイが成人した。
よき戦士として育ってほしかったが……。
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がっかりしなかったといえば嘘になる。
しかし人のことは言えまい。アンバガイがトクタマノグル家の勇敢さを受け継いでいるのはよかったと思う。
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このころ余は『有能王』と呼ばれるようになった。
数々のオーク侵攻を退けた手腕が評価されたのだろう。
47
 11465年、東方

しかし11463年、余ははじめてオーク勢力に敗北を喫し、ダゴルラドの全地を失った。しだいにオーク侵攻が苛烈になり、リューンの同盟国ジャンゴヴァルも北方の大国グンダバドからの侵攻を受けるようになった。
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 11465年、北方
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グンダバドのシャグフ2世の軍勢は地のイナゴのごとく多かった。おそらく24000を超える、中つ国では最大の兵力。シャグフ2世はその軍勢を駆ってさかんに南進を試みた。
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シャグフ2世に対抗できる者はゴンドールのエレスサール王しかいなかった。しかしエレスサールは齢191に達し、その戦意は低く、辺境の国々の要請に答えて彼が動くことはなかった。
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こうなっては各国は自分の足で立つほかない。
余はローハンのセオデン3世とさらなる同盟を締結し、グンダバドの南進に備えた。

終わりのないオーク冒険者の侵攻と、モルドール残党および北方のオーク王国の脅威。余は彼らとの戦争に疲れ始めていた。
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「戦いに倦まれたのであれば、王の資格はもはやない。わたしに王位を譲るべきでは?」
頭の痛いことに、王子アンバガイがリューン王位を欲し始めた。彼は待つということができないのだろうか? なんにせよ、わざわざオークの血を求めるまでもない。戦はむこうからやってくるのだから。
38
東方人の王国、バルホス、フンドラル、ジャンゴヴァルは崩壊した。ダゴルラドとグンダバドの挟撃にさらされたのだ。人々は虐殺され、美しい都市はことごとく焼かれた。もはや東方は地獄だった。
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 ダゴルラドの領主、ガズモグ=ハイ部族のヤグムズ
 バルホス・フンドラル両王国を迅速に併呑

このとき余は軍勢を派遣しなかった。見ていることしかできなかったのだ。グンダバドのシャグフも、ダゴルラドのヤグムズも、あまたのオーク同盟者を抱えていた。リューンの10000足らずの軍勢にできることはなにもなかった。

しかし、今になって思う。
もっと余にできることがあったのではないか? あまたのオーク侵攻にさらされ続けた結果、余はおびえきっていたのではないか? 東方人戦士としての矜持を失っていたのではないか?
32
 ホビット、ロヒアリム、ジャンゴヴァルなど
 さまざまな民がリューン宮廷に

虐殺を逃げ延びた者はリューンにたどりついた。
彼らはしばらくはここで暮らしていたが、そのあいだにも複数のオーク侵攻があった。リューンもまた安住の地ではないことを知った彼らはさらに東方へ旅立っていった。余はそれを黙って見ていることしかできなかった。
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思い出す……余は思い出す。
オークとの戦いにあけくれたわが一生を。
そこに喜びがあり、愛があったとしても、それらはオークの苦痛と恐怖で上塗りされてしまった。

先代が切り取ったダゴルラド以外に失った領土はなく、リューンはいまだ強勢を保っている。しかし次の代にはどうなっていることか……。誰もそれに答えることはできないだろう。

余は精一杯生きた。
女神ヤヴァンナよ、照覧あれ。
そしてリューンに御慈悲を。
御慈悲を。
08
 11488年、リューン王チャガガン死す
 
53
 同年、中つ国主要部
 ゴンドールがハラドワイスへ逆侵攻を果たしている
09
 同年、種族マップ
 北方のオーク勢力(Orkish)が中つ国を覆おうとしている 
 リューン王国としては生き延びたが、
 おそらく次代でグンダバドに併合されることだろう

時代を経るにつれオーク侵攻者の質・量が増大してくるので、事前にMODのMEP_orcinvasion.txtに記述されているオーク侵攻者イベントの頻度を下げる、あるいはオフにする必要があったかもしれない。悔しいが今回は投了である。 

『リューンの赤旗のもとに』はこれにて終わりとなります。 
読んでいただいてありがとうございました。