草原の騎兵
バクトラの都に、また新たなスキタイ騎兵の軍勢がやってきた。
すらりと脚の長いステップ馬は見ただけでわかる名馬ぞろいで、どの馬も金の馬面をつけている。騎兵たちは小札鎧を着て、大きなゴリュトス(弓矢入れ)を腰にさげ、昂然と頭を上げて列柱道路を行進してゆく。
スクリーンショット 2019-05-03 10.26.02
「みごとな軍勢だ。そうではありませんかな?」
行進を眺めていた州総督がそう言ったので、尚書長プトレマイオス・カドタはうなずいた。

プトレマイオス自身、スキタイの血が流れている。コラスミアの旧王族の出身で、一族がバクトリアに仕官してからもう30年になる。プトレマイオスをはじめ一族の半数はギリシア化したが、いまだ遊牧の気風は忘れていない。

「さよう。スキタイこそ当代最強の騎兵といえましょう」
彼はありあまる自信をもってそう答えた。
スクリーンショット 2019-05-01 19.41.22
オクソス河下流に住む遊牧部族サカ人は伝統的にバクトリアと友誼を結んできたが、近年になってその結びつきはより強まった。バクトリアは貪欲にスキタイの軍事伝統を取り入れ、自前のスキタイ式騎兵隊を編成するまでになった。
スクリーンショット 2019-05-01 19.01.39
 パルティアの軍事伝統に寄り道し、パルティアンショットを習得
スクリーンショット 2019-05-01 19.17.52
 サカ人に対して家畜、野菜、穀物、皮革を供給

使節の交換、独立保証、通行協定、交易の促進……。
プトレマイオスは尚書長としてサカ人との友好につとめ、ついにサカのバクトリアに対する臣従を勝ち取った。
スクリーンショット 2019-05-01 19.22.35
 初の進貢国サカ
スクリーンショット 2019-05-01 21.55.00
セレウコス暦77年にはヒュルカニア海のほとりに住むパルニ氏族の進貢を受け、またアマンタスの反逆以来冷え込んでいたセレウコス朝との限定的な同盟締結にも成功。バクトリアを囲む国々をその財力と外交力で次々と味方につけていった。人々はこの成功をなしとげた尚書長プトレマイオスを『黄金の舌』と呼んだ。
スクリーンショット 2019-05-01 21.35.17
 強力な騎兵集団(70000?)をかかえるパルニ氏族
 絶対に敵に回したくない相手だ
スクリーンショット 2019-05-01 21.54.47
 アマンタスの裏切りがあったにも関わらず同盟を締結してくれたセレウコス朝
 申し訳なさがある

こうして後顧の憂いを絶ったバクトリアが向かうのはどこか?
カウカーソスのかなた、インドでしかありえない。

侵攻
スクリーンショット 2019-05-01 20.58.56
当時、インドでは大規模な反乱が進行中だった。
反乱軍はマウリヤ朝軍をガンジス下流域にまで追い込んでいた。すなわち、戦線ははるか東方にある。バクトリアからインドに侵攻したとして、東部戦線から反乱軍主力がとってかえしてくるまでに相当の時間があるだろう。そのあいだに州を取れるだけ取る。
スクリーンショット 2019-05-03 10.39.05
 マウリヤ朝のアショーカ王
 なかなかの名君、仏教徒だ

インド侵攻にはもうひとつの利点があった。バクトリアにとってはできるだけインドの再統一が遅れたほうがよい。反乱に介入することで、いま不利な局面に陥っているアショーカ王を間接的に援護することができる。

一方、反乱軍との決戦は望ましいものではなかった。インド象兵の威力はつとに知られていたし、その象兵がもっとも力を発揮する平地での決戦は特に避けなければいけない。
スクリーンショット 2019-05-03 10.53.00
 セレウコス暦79年7月
 国境を突破し、順調にインド内奥へ展開するバクトリア軍
スクリーンショット 2019-05-01 21.19.52
この戦争では軽騎兵と弓騎兵だけで構成されたスキタイ式軍団が活躍した。実戦での強さは未知数だが、とにかく足が速いのだ。アラコシアの山岳も、インダス上流域の渓谷も、スキタイ式軍団は何千スタディアと長駆進撃した。

バクトリア軍の南方方面軍はエリュトゥラー海の岸辺にまで到達した。彼らはそこにアポロンをはじめとする7神の祭壇を築いて祭儀をおこなったのち撤退したというが、今はそれがどこなのかはわかっていない。

セレウコス暦80年12月、反乱軍は国境地帯から撤退し、バクトリア軍とのあいだに和議が結ばれた。こうしてパロパミサダエ、アラコシア、タクシラといったアレクサンドロス大王ゆかりの諸州がバクトリアのものとなったのである。
スクリーンショット 2019-05-03 11.19.50
 ついにインドに勢力を拡張
 参戦の礼としてセレウコス朝にも2州を渡した
スクリーンショット 2019-05-03 11.28.37
 セレウコス・ニカトールの孫アラはペルシア化してしまったようだ
スクリーンショット 2019-05-03 11.33.04
しかしこの征服によって、バクトリアは「攻撃的拡張をおこなった国」であるという認識が諸国に定着。国内の非ギリシア系民族についても不穏な動向が噂された。しばらくは動かないほうがいいだろう……。

アマンタスの遺産
セレウコス暦82年、長らく癌を患っていたアマンタスが死んだ。その王国は息子のソフュテス2世が継承すると誰もが思っていた。
スクリーンショット 2019-05-03 11.51.04
 継承の危機!

「まさか物言いがつくとは思わなかった」
尚書長プトレマイオスはそう書き残している。

「しかも対立王は男ですらない。ソフュテス2世の3人の姉が王位を要求してきたのだ」
スクリーンショット 2019-05-03 11.51.24
 長女アギアティス、51歳
スクリーンショット 2019-05-03 11.51.27
 次女パルテニス、46歳
スクリーンショット 2019-05-03 11.51.22
 三女テオドテ、43歳
スクリーンショット 2019-05-03 11.55.53
この3人はそれぞれ32000の軍勢を率いて王国各地に割拠した。計96000。ソフュテス2世が保有する軍は52000。

勝てるかどうか?
勝てるわけがない!
スクリーンショット 2019-05-03 11.56.08
プトレマイオスはこう書いている。

「12ヶ月以内に内戦が始まるだろう……。なにもせず手をこまねいていればの話だ」

『黄金の舌』が回り始めた。
プトレマイオスは国庫を精査し、ここに3190タラントンという巨額の財貨が眠っていることを確認。これには彼も驚いた。アマンタス王は評判は悪かったが、なかなかの治世だったといえる。

プトレマイオスはソグディアナに使者を飛ばし、前王の次女パルテニスにこう伝えた。

「親しくあるべき姉弟の間柄で血を流すなど、神々がお許しになりますまい。ここに1222タラントンの用意がございます。どうかこの金をお取りになって、矛を収めてはいただけませぬか」
スクリーンショット 2019-05-03 11.57.19
 すごい出費だ……
スクリーンショット 2019-05-03 11.59.23
そして、パルテニスはこの申し出に応じた!
彼女はすぐに軍勢を解散し、この金を持ってバビロンの都に行ってしまった。うわさでは毎日酒池肉林の騒ぎを演じているという。

同じようにして長女アギアティスも国外へ逃げた。しかし、そこで国庫が尽きた。三女テオドテとは戦うほかない。
スクリーンショット 2019-05-03 12.13.58
セレウコス暦83年10月、ついに反乱の狼煙が上がった。内戦が始まってしまったのだ。3個軍47000がソフュテス2世に反逆したと記録には残されている。

一方、王の側にとどまったのは4個軍。しかしそのうち1個軍26000は将軍の私兵と化しており、数に入れることはできない。つまり実際の味方は3個軍38000。
名称未設定のコピー
 人的資源(赤丸)に注目してほしい
 内戦前は30000あった
 今でもまだ10000ある

「地域としては広くソグディアナを取られた格好になるな。この反乱地域を制圧するのが先か、それとも反乱軍主力を撃破するのが先か。尚書長はどう考えるか」

ソフュテス2世の質問を受けて、プトレマイオスはこう答えた。
「もちろん反乱軍主力の撃破が先です。軍事的常識ではありますまいか」

しかしこの返答が誤っていたことを、プトレマイオスはすぐに知ることになる。
スクリーンショット 2019-05-03 12.18.38
最初の決戦はアラコシアの山岳地帯、バガッセでおこなわれた。決戦には勝利したものの、大軍を山岳に集中させたので兵を激しく損耗。
スクリーンショット 2019-05-03 12.43.46
そこでやめておけばいいものを、反乱軍残党を追って南西部の砂漠へと追撃を続けたために(砂漠へ進入した大軍に何が起きるか、誰もが知っているはずだ)、22000を数えた王軍主力は、半年もたたないうちに10000を割るありさまになってしまった。

「急ぎ兵を補充せよ!」
プトレマイオスは諸州にそう命じたが、返ってくるのは「無理です」「すぐには送れません」といった返事ばかり。そう、補充できる以上に兵を損耗し続けたせいで、もうバクトリアの国中探してもどこにも男子が残っていなかったのだ。
名称未設定
 「人的資源は国家の命」と思い知る

こうなってはもはや反乱軍主力を叩くことはできない。兵力がたくさんあった段階で、軍を分割して一気に反乱地域を制圧しておくべきだった。しかしそれに気づいても、すでに遅い。いまある兵力でできることをするしかない……。

そうこうするうちに反乱軍主力はバクトリアの豊かな穀倉地帯に入り、当地を荒らし尽くした。首都バクトラも第二の都市アレクサンドレイア・オクシアナも略奪され、数千人が殺された。ただ、この期間についてはあまり記録が残っていない。それどころではなかったのだろう。
スクリーンショット 2019-05-03 12.37.06
さらにこれを好機と見たか、スキタイの1部族ピッスロイ人が15000の兵をもって西部辺境マルギアナに侵攻してきた。もうどうしていいのか誰にもわからない。
スクリーンショット 2019-05-03 12.51.59
 内戦5年目、満身創痍のバクトリア

「わたしがあんなことを王に言わなければ……」
陣中でプトレマイオスは激しく悔いたが、あとの祭りだ。

夜更け、彼は自分の天幕に引きこもりあれこれ考え事に沈んだ。そして日が昇るころ天幕から出てきて、1人の伝令に手紙を渡した。