スクリーンショット 2018-08-06 20.16.17
 北畿内の大大名、伊勢義晃
 9代目伊勢家当主だがinfirm持ち

わしはすでに老いた。
なんとか見かけは常のように保っていられるが、心中は死への恐れと悔悟ではちきれんばかりだ。伊勢家の家督を継ぐようこのわたしを選んでくれた家中の皆にはすまぬことだが、わしはその任を果たすことができずにおる。
スクリーンショット 2018-08-06 19.59.49
 義晃は5代目貞頼の孫、7代目義詮の甥にあたる
 継承が貞頼流に戻った

くじびきで選ばれた先代貞材から本家筋に戻すということで選ばれたのだが、わしは虚弱で、臆病な男だ。寝床に伏しておって、いかにして公儀のために尽くすことができよう。
スクリーンショット 2018-08-06 20.25.42
 愛宕の国人、足利昭義
 かつての堀越公方政知の末裔だが、御所が伊勢の員弁郡に移ってからは都を任された

わしの功とされるものはほぼすべて足利昭義の助けによるものだ。彼は先代から祐筆を務め、伊勢家領をよく保ち、わが名代として各地の大大名と渡り合い、将棋を通じて多くの友人を作った。彼を愛さないものがあろうか?

ある日、わしは寝床に足利昭義を呼びよせた。
「わが命、もはや永くはない。一族の中から家督を継ぐ者を選んでおきたいが、それぞれに会うだけの気力もすでにない。どうすればよいと思う?」
彼はゆっくりとうなずき、こう言った。
「すでに選んであります」
わしは思わず笑ってしもうた。
「手回しのよいことだな」
「伊勢家に何年お仕えしているとお思いですか? その間あまたの伊勢家の若君たちを見てまいりました。家督を継ぐべき、これという人物がおります」
「教えよ」
スクリーンショット 2018-08-06 20.01.07
「先の当主、8代目『くじびき貞材』の息子です。名は親信。天の才を授けられております」
聞き覚えがある。
たしか先代からよろしく頼むと言われておったような……。しかしわしの記憶は曖昧模糊とし、定かではない。
 
「おまえがそう言うならそうなのだろう。では彼を世継ぎとしよう。さしあたり摂津守護に任じるというのはどうか」
「よろしいかと。あなたも摂津守護職から始めて家督を継がれた。前例になります」
「わしが死んでからでは遅い。さっそく親信を召し出して引き継ぎをしてくれ」
「仰せのままに」

それからというもの、わしは安心し長い夢うつつの時を過ごした。公方の足利勝頼が諸大名に蝦夷地遠征を命じたらしいが、遠い国の出来事のように感じられた。
スクリーンショット 2018-08-06 20.08.11
 将軍が号したものの、実際には伊達軍が主体となって行われた蝦夷地遠征
スクリーンショット 2018-08-06 20.18.06
 関東の大大名 上杉直義(扇ヶ谷系)
 すでに公儀に服している

3年続いていた上杉直義との領地争いが決着したのもこの頃だ。
わが祐筆の足利昭義が出陣し、世継ぎの伊勢親信の初陣となった。関東全域が戦場となったが、武蔵、相模、上野、上総の国人が伊勢氏に恭順を誓い、上杉氏は甲斐、下総、陸奥に退いたと聞く。

すでに公儀が日ノ本を制することは目に見えていた。
大大名たちは「その後」を見据え、領国の確保にやっきになっておった。
スクリーンショット 2018-08-06 20.18.55
 1651年5月、伊勢家は関八州をほぼ押さえた
 大大名畠山氏は北陸から信越を確保 
スクリーンショット 2018-08-06 20.23.02
関八州を制したと思いきや、その8月にまたしても武蔵の余瀬秀盛が上杉家のもとに走った。先代のときから数えてこれで何度目であろうか。わしはもはやその数を覚えてはおらぬ。
名称未設定
 またまたまた武蔵国が上杉氏の領地に戻った
 もう知らない
スクリーンショット 2018-08-06 20.22.58
余瀬秀盛はまだ幼少につき、後見人である頼伝尼ほか武蔵の国人と上杉家のきずながかくも深いということであろうか。武蔵はあきらめたほうがいいのかも知れぬ……。

親信が語る
スクリーンショット 2018-08-06 20.30.02
 摂津守護 伊勢親信
 8代目『くじびき貞材』の息子

あの日、わたしは急に都の今出川邸に呼ばれた。
一族の招集があったのだ。そこにいたのは伊勢家の祐筆足利昭義で、彼は静かにこう話した。
「義晃様が倒れられた。息はおありになるが、前後もわからぬ御様子だ」
スクリーンショット 2018-08-06 20.29.51
 ついに義晃にIncapableがついてしまった

「義晃様が言い残した通り、貞材様の御次男であられる親信様が伊勢家の家督を継がれる。異存ある方はおられるか」
そこにいる全ての者がわたしを見た。
ついにこの時が来たのか。すでに先代の務めの一部を果たしてはいたが、まだ心の準備ができていない。体の芯からくる震えが止まらなかった。
「おられないようですな。では以後そのように。本日より親信様がこの今出川邸に移られる」
スクリーンショット 2018-08-06 20.44.54
 1654年10月、伊勢義晃死す

義晃様はそれから3年生きた。
そして何もおっしゃることなく身罷られ、このわたしが正式に伊勢家当主となった。
スクリーンショット 2018-08-06 20.47.44
 10代目伊勢親信
 4代貞雅流に家督が戻った
 4,5,7,8,9,10代と貞頼流と交互に継承したことになる
 摂津守護職は兄の伊勢信孝へ渡った
スクリーンショット 2018-08-06 20.52.56
家督を継ぐのと時を同じくして、わたしは大和国の十市氏からこずえ姫を迎えた。大大名である伊勢家当主が大和の国人の娘を娶るというのは奇妙に思えるが、十市氏は文武に秀でた有力な一族だ。わたしは彼女から学ぶところが多かった。
 
「あなたはとても優れたお方。公方様を支え、この日ノ本の礎となられる方。きっとあなたはこのいくさ世を終わらせ、民が安んじて暮らせる国をお作りになるでしょう」

こずえの言葉はまことだった。
ほどなくわたしは公方様の命により、本邦最後のいくさに出かけることになったのだ。
スクリーンショット 2018-08-06 20.31.17
そのころ羽後国には針生氏が陣取っていた。針生氏はかつて伊達氏のもとにあったが独立し、公方様の支配を退けようとしていた。その心意気は買うが、兵数は1000にも及ばぬ。
スクリーンショット 2018-08-06 20.31.24
 針生親胤
 日ノ本最後の独立大名

「これで最後です、親信様。できれば血を流さずに終わりたいものです」
祐筆の足利昭義がそう言った。
「確かにそうだな」
わたしは何度も使者を送り、公儀への恭順をうながした。
しかし親胤はそれに応じることはなかった。ならば仕方ない。わたしは配下の者に催促状を回し、最後の戦いへとおもむいた。

北国の冬は厳しく、また出羽国の山は深く、兵は続々と倒れた。
伏兵を何度も退けながらわたしは軍を進め、親胤の住む秋田へとやってきた。
スクリーンショット 2018-08-06 20.54.11
 1655年3月15日
 羽後遠征、秋田を包囲中

「寡兵とて侮るな! 敵はこの地をよく知る者ぞ」
わたしが檄を飛ばしたそのとき、茂みからあまたの矢が飛び来たった。
「伏兵だ!」
うろたえた雑兵が次々に倒れていく。
次の矢ぶすまがきて、わたしの周囲に次々と矢が突き立ちーー。
スクリーンショット 2018-08-06 20.58.19
わたしは生きていた。
わたしをかばって盾となったのは祐筆の足利昭義だった。老いた身空で甲冑をまとい、従軍していたのだ。
 
彼はなにか言おうとして血を吐き、そして死んだ。
昭義がなにを言おうとしていたのか、今でもわたしはそのことをよく考える。
名称未設定2
 1655年12月
 黄色枠内は伊勢親信の領国

いくさは終わった。
羽後の針生氏を従え、わが領地は出羽から肥後・日向にいたるまでに広がった。畠山氏には及ばぬが、公儀第2の大大名として成り上がったわけだが、わたしはほとんど何もしておらぬ。ただ公方様に忠義を尽くし、山城国のたった3つの郡から始めて、奮闘に奮闘を重ねた祖先たちのおかげだ。
Untitled
 1656年3月
 蝦夷地の一部をのぞき、足利幕府が日ノ本を統一

しかしわたしにはわかっている。
これから大大名たちの日ノ本をめぐる静かな争いが始まるのを。
この争いに勝つことはできるだろうか。わからぬ。しかし戦い続けるほかはないだろう。それがもののふの務めなれば。

(終)
スクリーンショット 2018-08-06 20.45.13
  大大名伊勢親信
 最終的に直轄領10、36000の兵を保有するに至った
 
付)大大名たち
畠山景道
スクリーンショット 2018-08-06 21.00.41 
名称未設定3
内紛はあったものの、序盤から終盤まで足利幕府に属し続けた畠山氏。幕府領は一時畿内近国だけになるくらい縮小したが、畠山氏の下支えによって復活したといっても過言ではない。終了時には南畿内から北陸東海信越を抑える幕府随一の大大名となった。伊勢家とはよく通婚している。

六角彰良
スクリーンショット 2018-08-06 21.01.03
名称未設定4
同じく足利幕府に属し続けた六角氏。
畠山氏と違って近江から出ることができない時期が続いたが、16世紀終わりごろに細川領を奪うことによって瀬戸内の東半分を抑える大大名となった。山城と三河をつなぎたい伊勢家にとっては目の上のたんこぶだった。
 
武田頼景
スクリーンショット 2018-08-06 21.01.51
名称未設定5
周防武田氏。
17世紀初めの幕府の大内攻めの際、大内勢から幕府側に寝返ったものと思われる。周防を中心に西中国と豊前、肥前を抑える。あまり伊勢家と関わりはなかった。

大内照
スクリーンショット 2018-08-06 21.02.09
名称未設定6
かつての西日本の覇者。
16世紀ごろ山陽山陰九州に覇を唱えたが、17世紀になって幕府に攻められ没落。経緯は不明ながら現在は備前、因幡、但馬、土佐に領地を持つ。細川領を食って生き延びたのかもしれない。

将軍足利勝頼
スクリーンショット 2018-08-06 21.02.30
名称未設定7
序盤から終盤まで直轄領は少なかったが、畠山、伊勢、六角の助けによって全国統一を果たした。16世紀半ばのごたごたで都を去り、鈴鹿山麓の員弁(いなべ)郡に御所を置いて以来そのままである。全国に散らばる8郡を支配している。幕府は実質的に大大名の連合政権であり、足利家に実権はなさそう。

上杉直義
スクリーンショット 2018-08-06 21.03.31
スクリーンショット 2018-08-06 21.03.01
王国級称号を3つも持っている東日本の元覇者。
扇ヶ谷上杉系。武蔵を中心に関東に隠然たる勢力を有している。その他、会津、陸中、津軽に領地を持つ。強い。

伊達綱孝
スクリーンショット 2018-08-06 21.03.17
名称未設定8
蝦夷地征服者。
詳細は不明ながら旧領を中心に陸奥で勢力を蓄え、その後上杉氏に従属していた。出羽・陸中を失ったかわりに蝦夷地へ伸びた。幕府の蝦夷地征服はほぼ伊達の軍勢によるもの。