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パレルモ、ノルマンニ宮、カペッラ・パラティーナ
Version: 1.07(Mac)/Difficulty: Very Hard/Start: 1204.12.15

はじめに

これはParadox Interactive社の歴史シミュレーションゲーム、クルセイダーキングスIIのAAR(アフターアクションリポート)です。

CK2wikiでやりかけていたオートヴィル家AARを再開します。
オートヴィル家といってもピンとくる人は少ないと思います。歴史地図帳で中世イタリアの南部あたりに『ノルマン公領』と漠然と書かれているアレだといえば、わかりやすいかもしれません。

写真 のコピー

大昔に北欧を出発し、ノルマンディーで力を蓄えたオートヴィル家はイングランドへは行きませんでした。そのかわり彼らが目指したのは地中海です。このあたりの経緯については『ノルマン人による南イタリア征服』が詳しいです。こうして彼らは南イタリアを制覇し、オートヴィル朝シチリア王国はビザンツ、アラブ、ノルマンが混じり合う多文化国家として栄えました。しかし史実では王朝は12世紀末に崩壊してしまいます。

CK2は11世紀から14世紀まで好きな開始年代を選べます。今回のプレイでは、ドイツのホーエンシュタウフェン家に王国を乗っ取られ、歴史の闇に消えてしまう寸前の1204年オートヴィル家を選択しました。きっかけは、適当な時代の適当な場所をクリックしていたら美人が出てきたからです。

はたしてオートヴィル家はここから復興できるのでしょうか?
領土も、王位も、家族すら奪った神聖ローマ皇帝に一矢を報いることができるのでしょうか?

アルビニア・ドートヴィルについて
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「(ゴーティエ3世ブリエンヌは)シチリア王タンクレードの娘、シチリア王ギヨーム3世の妹であるマリアと1200年に結婚した。彼女の正確な名前は不明である。マリア、エルヴィラ、アルビリア、アルビニア、ブランシュなどと様々に伝えられている。
 
彼女は1216年に死んだ。結婚した時、彼女とその家族はフランスに亡命していた。(ホーエンシュタウフェン家の)フリードリヒ幼王に対するシチリア王位の請求をするために同盟者を探していたのである。

(アルビニアの)夫として、ゴーティエは教皇インノケンティウス3世からタラント公、アプリア公、レッチェ伯としての承認を受けた。1201年のアグネッラの戦いの後、ゴーティエはシチリア王位を要求した。(中略)1205年6月14日、彼はドイツ軍に捕らえられ死んだ。(後略)」

などと、主人公の名前すら明らかではないという始末。
CK2ではレッチェ伯として存在しているアルビニアですが、史実ではフランスに亡命し、夫が彼女の請求権を使ってイタリア遠征をしていたようです。一時的にタラント公領を統治した実績があったらしく、1204年のCK2データでアルビニアがレッチェを領有しているのはこれの反映かもしれません。
ちなみにこのアルビニアの夫君ゴーティエ3世ブリエンヌは、のちのイェルサレム王ならびにラテン帝国皇帝ジャン・ド・ブリエンヌの兄です。
 
その後アルビニアの娘アナイスは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の愛妾となり、後にシドンの十字軍領主バリアン1世グレニエと婚約したと言われています。(『キングダム・オブ・ヘブン』のバリアン・ド・イベリン(en)の孫)
またアルビニアの息子のゴーティエ4世ブリエンヌ(en)も聖地に渡り、ヤッファ伯となっています。たぶん、ヨーロッパにはもう彼らの場所はなかったんでしょうね。

開明的なイメージの強いフリードリヒ2世ホーエンシュタウフェンですが、彼による南イタリア支配は強圧的で、オートヴィル家残党の弾圧も徹底的でした。このAARはオートヴィル家をほぼ根絶やしにした皇帝家との緊張状態からスタートすることになります。

参考
山辺規子『ノルマン騎士の地中海興亡史』白水uブックス 
 
オートヴィル家についてはこの本がわかりやすくてよいです。
十字軍で活躍したオートヴィル家の男子、アンティオキア公ボエモン1世についての記述もあります。

それではAARを始めましょう。
復興オートヴィル家初代、アルビニア・ドートヴィルです。